至心に触れる | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

阿弥陀仏の本願に至心信楽欲生我国とあるが、これは至心に触れ、至心を心から敬い、私も至心と同じ心に生まれたいと願うこと。

この至心とは、阿弥陀仏の御心のことであり、清らかな正直な心のことである。

この御文について昔から疑問があった。それは聞いている人は阿弥陀仏の御心を思い浮かべなさいといっても、想像すらできないのに、どうして阿弥陀仏の御心に対して心から敬うことができるのだろうかということです。

どんなに阿弥陀仏はこんなに尊い方だと話しても、それはお話であって、至心に触れたことにはならない。結局、説いている人の心に触れて聞いている人は阿弥陀仏を想像するしかない。

つまり、この阿弥陀仏の本願の御文は、説いている人が如何に阿弥陀仏の御心に近づき至心になるか。それによってしか聞いている人は至心に触れ、心から敬うことはないのだと思いました。

しかし、至心になることは大変なこと。どんなに私自身が阿弥陀仏の至心を思い浮かべることができても、自分の心が至心になるのは大変な修行をしてゆかなければならない。

でも、それしか聞いている人が阿弥陀仏と同じ心の世界に出る方法はないのだからやるしかないのですね。

果てしない道だけど、その道しかないのだから一歩ずつ進んでゆく。それが不可能と思える道だったけど、進んでゆくうちに光が見えてきた。

浄土真宗の教えとは、自らも仏となり、他人も仏の心になるように導いてゆく教えなんだと悟りました。