世の中には、失敗したものは排除しろという考えがある。それは、悪いものを切り捨てることで、世の中が良くなるという思想があるからだと思う。この悪いものを排除すれば、世の中が綺麗になるという思想を仏教では、浄の迷いと言われる。
仏教では、汚いものを排除して綺麗になろうと思う心こそ最も汚い心であり、心が醜くなると教えられる。
仏教で、綺麗な心とは、汚い状態を綺麗にしてゆくことが好きな心であって、綺麗な状態が好きな心ではない。だから、綺麗な環境を汚すものが現れても、その相手を否定することなく、その人が汚した所を気持ち良く綺麗にしてゆく。
たとえ綺麗にしても、綺麗にしても、汚されたとしても、何で汚すのかと怒りを起こさず、これで掃除ができると喜ぶ。
悪を排除する心は、綺麗な状態が好きなだけで、汚れても、汚した人が責任を取って掃除をすればいいと思って、自ら動かない。
汚いものや悪を否定するのではなく、受け入れて、大事にして綺麗にしてゆく。そうしてこそ、自分の心も綺麗になるのだと思いました。