念仏誹謗の有情は | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

念仏誹謗の有情は 阿鼻地獄に堕在して 八万劫中大苦悩 ひまなくうくとぞときたまふ

念仏を謗るものは、阿鼻地獄に堕ちて、八万劫の長い間大苦悩を休む暇なく受け続けるのだとお釈迦様は説かれている。

念仏を謗るとはどういうことか?

念仏とは、心で仏様を思い浮かべ、仏様と比べて自分の生き方を反省すること。そういう生き方をしているものを謗るとは、仏様の御心に従って生きることが恐ろしいと感じていること。

なぜ恐ろしいと感じるのか?

それは念仏をするものは無限の成長をしてゆくからだ。無限に成長してゆくものを謗るのは、自分は何も変わらないことが不安だから。不安ということは、自分の中に自己否定の心があり、その不安が見えないように我で覆い隠している。それが念仏の人を見ると、自分の中に不安があることが見えて、怖いから、謗るのである。

自己否定の心がある人は、我が崩れると、激しく自己否定してしまう。そして、目先の楽を求めて、罪悪を積み重ね、地獄の中でも最も苦しみの激しい阿鼻地獄まで堕ちてしまうのである。だから、念仏を謗る罪で阿鼻地獄に堕ちるのではなく、自分がもともと自己否定の心を持っている人は、念仏の人を謗るので、それで阿鼻地獄へと堕ちてしまうのである。