弥陀智願の広海に 凡夫善悪の心水も 帰入しぬればすなはちに 大悲心とぞ転ずなる
阿弥陀仏の智慧によって生み出された本願の広い海に、私たちの善悪を問題にして、自分は善に立って悪を否定する心が飛び込んだならば、どんな悪も自分の悪を見たら否定できないという、すべての悪を許すことができる大慈悲心へと変わってしまうのである。
私たちには善悪を問題にする心がある。どんなに慈悲深い人であっても、それは善人に対してであって、自分から見て悪人ならば、その人を無慈悲に否定する心が誰にでもある。そして、悪人は否定されて当然だ、何が悪いとさえ思っている。でも、仏教では、その心を無慈悲な心という。同じ人でも自分にとって都合が悪くなると、冷たく否定するからだ。そんな否定する心があると、どうしてもその人に対して気を遣い、素直になることができない。その結果、自然とそのような人から離れてよこうとしてしまうのである。私たちは素直な心を出せる人に近づきたい。都合が悪くなると冷たくなる人とは近づきたくないのである。だから、人を本当に育てたいと思ったならば、相手の悪を許せるような人間にならなければならない。相手が思い通りにならなくても、その人をありのままに見て、相手を縛ることがない。それができなければ、相手を幸せにすることはできない。阿弥陀仏に救われるとは、悪を否定する心から離れ、相手を本当の意味で自由にしてあげることができるのです。