像法のときの智人も像法のときの智人も 自力の諸教をさしおきて 時機相応の法なれば 念仏門にぞいりたまふ像法の時の智慧あるものも真実を知っている善知識にお会いすることができないから、聖道仏教を実践してもすべて自力になってしまうから、自力の教えでは助からないとさしおきて、どんな時期でも助かる教えである念仏の教えに救いを求めてゆかれた。