自力聖道の菩提心 こころもことばもおよばれず 常没流転の凡愚は いかでか発起せしむべき
聖道仏教の菩提心を自力の心しか知らず起こそうとしたならば、感情が嵐のように暴れまわり、とてもじゃないけど、菩提心を起こし続けることはできない。そんな自力の心で感情を否定し形だけ善をしようとしているものは、常に二河白道から外れ、二河白道を進もうとしても振り出しに戻るものであるから、菩提心を起こして二河白道を進むことがどうしてできるであろうか。
私たちは正しい所に立つ為に間違ったものを否定する。悪い心を否定すれば、正しい所に立てると思っている。だから、菩提心を起こそうとして、悪い感情が吹き上がると、こんな心では駄目だと、感情を否定して、菩提心を崩さないようにする。これが自力。否定すれば正しい所に立てると思う心。自力聖道の菩提心とは、自力の心で聖道仏教の二河白道を進もうとすること。しかし、それは否定された感情が暴れまわり、心も言葉も及ばない、全く実践できないもの。つまり、聖道仏教で菩提心を起こし進んでゆくことが心も言葉も及ばないのではなくて、自力の心で聖道仏教を実践することが心も言葉も及ばないということ。必然的に自力の心で二河白道を進もうとすると、感情が暴れまわり進むことができないから常没流転の凡愚となり、どうやっても菩提心を起こし続けることはできないのである。