末法第五の五百年末法第五の五百年 この世の一切有情の 如来の悲願を信ぜずは 出離その期はなかるべし末法第五の五百年となると、智慧がない為に二河白道を進む人がなくなる。だから、形だけ仏道修行をしていても、正しい智慧のある人から教えを聞いている訳ではないので悟りを開くことはできない。だからこそ、この時期の人は阿弥陀仏の本願によって救われた人から教えを聞き、教えを実践してゆかなければ、悟りを開くことはできないのである。