弘誓のちからをかふらずば いづれのときにか娑婆をいでん 仏恩ふかくおもひつつ つねに弥陀を念ずべし
どんなに頭で現実と向き合わなくてはならないと分かっていても、直接善知識から教えを受けて、弥陀の弘誓の力を受けなければ、現実と向き合うことができないものが私たち。だから、どんなに知識で仏法を分かっていたとしても、現実と向き合うことができなければ、娑婆を離れることは夢のまた夢。
だから、今善知識から教えを受けているご恩を深く思い、常に弥陀を念じて進んでゆかなければならない。
現実と向き合うことの大切さが分かれば分かるほど、自分の力で現実と向き合うことが如何に難しいかが知らされる。だからこそ、善知識から教えを受けることが如何に大事か強く知らされる。私たちは善知識から直接教えを受けていても、現実となかなか向き合わないもの。そんな私が善知識がいなかったらどうなってしまうかを考えると恐ろしくなる。自分にとって弥陀の力がかかることが大切だと感じるほど、その力を受けることができる善知識の存在が大事に思われるようになる。そのことがこの御和讃に教えられているのです。