願力成就の報土には 自力の心行いたらねば 大小聖人みなながら 如来の弘誓に乗ずなり
阿弥陀仏の本願力によって生み出された浄土には、自分は善人だという自力の心で修行しているものは行くことはできない。それは、阿弥陀仏の浄土に往生したならば、自分の心が照らされ、悪人の自分が見えるからだ。自力の人ほど、悪人を否定し、自分も否定されたくないから、善人という所に立つ。この善人という所に立った人は、自分のやることはすべて正しいと思っているから、まわりを見下し、自分の正義に合わない人をこの人のことを自分と同じ人間とは思ってない。その人が傷つこうが、何とも思わないような冷酷さを示す。この悪人に対して無慈悲な心は自分の心が浄土によって照らされた時に跳ね返り、激しく苦しむ。だから、自力のものは悪人を否定するから、阿弥陀仏の浄土には往生できない。しかし、自力の心は多かれ少なかれ、どんな人にも持っている。だから、大小聖人であっても、阿弥陀仏の本願によって救われた人から智慧を頂き、智慧を頂かなければ、阿弥陀仏の浄土に往生することはできないのです。