経道滅尽ときいたり 如来出世の本意なる 弘願真宗あひぬれば 凡夫念じてさとるなり
末法一万年の後、お釈迦様の教えがこの世から消えてしまう経道滅尽の時が来る。その時になっても、お釈迦様の出世の本壊である阿弥陀仏の本願だけは、凡夫を救い続ける。
私たちは善人悪人にとらわれているから、いつも自分を善人に置いて、悪人を否定している。だから、自分が間違っていると聞くと、自分は間違っていない、自分は正しいのだと、まわりを否定する。そんなものが私たち。だから、お釈迦様は善を勧められ、本当の自分は悪人であり、どんな人も否定できないことを教えようとされた。しかし、お釈迦様の教えが廃れてくると、真面目に修行するものはいなくなり、それでいながら、自分は善人と自惚れているものばかり、自分は正しい所に立って、まわりを見下し、正しい智慧を持ったものでさえも、上から目線で教えを判断するようになる。そんなものが私たち。だから、阿弥陀仏はそんなものに温かく接してゆき、自分は正しくなくてもいいんだと思えるようになるまで、導いてゆかれる。末法のものだからこそ、正しい智慧を与えればいいのではなく、間違いを指摘するのではなく、長くつきあって少しずつ間違いを認めさせてゆく。だからこそ、阿弥陀仏のような心を持って接してゆくからこそ、この世で救われる人も現れてゆくのである。