こころはひとつにあらねども | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

こころはひとつにあらねども 雑行雑修これにたり 浄土の行にあらぬをば ひとへに雑行となづけたり

雑行とは何か、雑修とは何か。それは自力の心でやる善が雑行であり、自力の心でやる念仏が雑修である。

では、自力の心とは、何か?それは仏教の教えがよく納得しておらず、頭だけでやらなければならないと自分の心を責めてやらせることである。例えば、善ならば、善をしたら幸せになれると思ってやるのではなく、仏教で善をしろと教えられているからやる。このような心で善をやると、本当はやりたくないから、善もせずに楽に流れている人を見ると、あの人は何をしているのかと責めずにはおれない。自分が善をすることに納得していないから、善に心が定まらない。それで理性だけでやらなければならないからやっている。私たちの多くは、悪をしている人を責める。そうすると、責められたくないから善をするようになる。善をするのは、責められたくないから。だから、善を本当にやりたいと思ってやってない。阿弥陀仏の救いを信じて善をしている人も、阿弥陀仏に救われて信心決定したら、もう善なんかしないと思っている。善をやりたいと思えない心。それが雑行。そんな人は、善をしたくないから、念仏唱えたら阿弥陀仏に救われると思って念仏する。これが雑修。共に、この世に自分の力で浄土を作ってゆこうと思ってないから、責められたくないから善をしているだけ。だから、雑行なのです。