仏号むねと修すれども 現世をいのる行者をば これも雑修となづけてぞ 千中無一ときらはるる
専ら念仏を唱えていたとしても、その念仏を唱えて、何かこの世で良いことがあるようにと思っている人は、これも雑修と名づけて、そんな人が千人いたとしても、一人も救われないと嫌われた。
念仏を唱えるのは、自分の心から吹き上がる悪い思いが見えるから、その悪い思いを止めたくても、どうにもならないから、この心を許したいと思って、唱えるものが念仏。でも、現世を祈る人は、自分の心に目を向けておらず、自分の心からどんな思いが起きているか気づいていない。そんな人は、念仏は最高の善だから、自分が善をするよりも念仏を唱えた方がいいと本気で善をしようと思っていない人。まるで念仏さえ唱えたら幸せになれると思っている人が現世を祈る人。これは仏教の教えが分かっていない人でもある。こんな人を念仏を唱えていても、教えが分かっていないから間違った念仏を唱えている人だと言われて嫌われたということがここに教えられています。