縦令一生造悪の | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

縦令一生造悪の 衆生引接のためにとて 称我名字と願じつつ 若不生者とちかひたり
 
たとえ一生涯悪を造り続けるものであったとしても、そんなものでも導き浄土へと引き入れる為に、我が名字を称えなさいと念仏を勧めて、そういうものを必ず生まれさせると誓われた。

悪を造り続けるものでも浄土へ往生することができる。それは意外のように聞こえるが、どんなに悪を作り続けるものであっても、自分の悪を認めて、他人が悪をしていても責めなければ、心穏やかな世界へと出ることができる。念仏とは仏を念ずること。それはただ南無阿弥陀仏と唱えることではなくて、心で仏を念じなければならない。この仏とは、どんなに悪を造っているものでも見捨てないという方。私たちは自分は悪を造りながら、悪を造るものを否定するから苦しむ。どんなに悪を造っていても、それを否定しなければ、悪の報いがやってきても、苦しむことはない。悪を否定しなくなるために、仏を念ずる。それが念仏なのです。