南無阿弥陀仏をとなふれば 十方無量の諸仏は 百重千重囲繞して よろこびまもりたもふなり
阿弥陀仏に救われて念仏を唱えるものは、念仏を唱えながら、人々の苦しみを抜くために、目の前の人に向き合う。しかし、思うように救いたいと思っても、智慧や力が無ければ、救うことができない。だから、まだ力がない時は、失敗の連続。積み上げた積み木が崩れるように、今までやってきたことが水の泡になるような時もある。それでも、0からの出発になっても、歩みを止めることがない。それは、阿弥陀仏に救われた人には、大宇宙の諸仏が百重にも千重にもなって守って下さるからだ。この歩みを止めないから、やがて力が身につき、自由自在に人々を救えるようになるのです。一人の善知識が誕生する為には、途方もない努力が必要。簡単な道じゃない。それでも努力を続けてゆかなければならない。そうしなければ、智慧と力は身につかない。だからこそ、阿弥陀仏に救われた人は、守られるのです。