弥陀釈迦方便して 阿難目連富褸那韋提 達多闍王頻婆娑羅 耆婆月光行雨等
大聖おのおのもろともに 凡愚低下のつみひとを 逆悪もらさぬ誓願に 方便引入せしめけり
王舎城の悲劇に登場する阿難も目連も富褸那も韋提も提婆も阿闍世も頻婆娑羅も耆婆も月光も行雨もその他のすべての人たちも皆仏様が形を変えて現れたものばかりであり、それは阿弥陀仏とお釈迦様が阿弥陀仏の救いは、どんな極悪人であっても、それを見捨てることなく救う誓いであり、そんなものがどのようにして救われてゆくか示された、壮大な仏様による物語なんだということです。
ここで、阿弥陀仏の救いというのは、自分は他のものよりも上だと思っていた人がお釈迦様の導きによって、自分ほど下のものはなかったと知らされ、こんなものはすべてから見捨てられると苦しんでいるものに、どんな極悪人であっても見捨てないぞと阿弥陀仏は救って下さる。みんな己の姿を知らないから、自分は上だと自惚れているが、自分の本当の姿が知らされたならば、どんな人も愚かな姿に自分で自分を責めずにはおれない。そんな自分の姿が知らされ、苦しんでいるものこそ、阿弥陀仏の救いであることを仏様たちがお芝居をされ明らかにされたのだということなのです。