他人の執着が気になるとき | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

執着というのは、使わないものに溜まる。

でも、自分のものは整理できても、他人のものはその人の我がついている為に簡単には整理させてもらえない。

では、他人の執着が気になった時はどうしたらいいのか。

執着とは汚い心。汚いものを見て、これ汚いから綺麗にしたいという心が、執着を見て気になる心。

汚いものを見て綺麗にしたい心は一見すると、いい心のように思うが、その心がけが間違っていると、自分を苦しめる悪となる。

では、どういうものが悪になるのか。

それは相手を否定する心でやっているもの。それは、たとえどんなに綺麗にしたいと思ってやったとしても悪となる。これは自分は綺麗な所に立っているから、相手の執着が気になる。

つまり、自分は善人という所に立っている心が執着が気になる心。
それは正しい所に立って、相手の間違いを否定する心でもある。

でも、そうやって、どんなに自分が正しいからと言って、相手を否定すると、今度は自分が否定されるのではないかという不安が起きてくる。
責めたら責められるし、否定したら否定される。見下したら見下されるし、見捨てたら見捨てられる。
自分の蒔いた種まきが自分に跳ね返ってくる。

これが因果応報の真実。

どんなに相手の執着が気になったとしても、その相手を否定する心で行動したら、自分もまた否定されているように感じて苦しむ。相手を否定することは自分を否定するのと同じなのですね。