一人からされたことは、みんなに対して自分がやっていること | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

人間は誰しも我を持っている。

我とは、他人から見た自分。他人から自分がどのように扱われるかによって、私たちは自分の価値を判断している。

だから、他人から軽く扱われた時、私たちは相手から見たら、自分は軽く扱われる存在なんだということにショックを受ける。

この時、自分が軽く扱われたのは、自分が他人に対して軽く扱っていたからなんだと思う人はいない。

私たちは他人から嫌なことをされた時、嫌なことをした相手を問題にするが、相手からされることは、自分もやっているかも知れないと思って、自分の言動を反省する人はいない。

これが我。我とは自分に価値があれば、まわりの人は無条件で自分のことを大事にしてくれると思う心。

つまり、自分に価値があれば、自分は他人のことを軽く扱っても、他人は自分のことを重く扱ってくれると思っている。

でも、仏教は因果の道理。自分にやってくることは、すべて自分が他人に対してやっていることなんだということ。

だから、他人から冷たくされたならば、なんで私は冷たくされなければならないんだと思うのではなく、冷たくされるということは、気がつかなかったかも知れないが、自分もまわりの人に対して冷たくしていたんじゃないかと思って、まわりの人に対して優しくしてゆく。

私たちはやられたらやり返すと、冷たくされたら、冷たく返すことをしてしまうが、仏教では、やられたら、反対で返す、しかも、一人の人に冷たくされたら、まわりの人に温かいものを返してゆく。

因果の道理とは不思議なもので、自分がみんなに対して温かいものを返したら、必ずまわりから温かいものが返ってくるようになる。

そういう意味で、すべて自分の種まきなんだと思わずにはおれません。一人からされたことは、自分がまわりの人たちにやっている姿なんだと思って反省してゆきたいですね。