自分のものにする心から苦しみが生まれる | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

仏教では、苦しみとは、物や人に我をつけて自分のものにする所から起きると教えられる。

なぜ自分のものにしたら苦しみが起きるのか?

それは自分のものにしたものは、自由にできると思っているから。

自由にできるとはどういうことか?

自由にできるとは、価値のあるものでも、価値のないものとして見て軽く扱うことができる。

思い通りにならないものは責めて思い通りにすることができる。

自分が楽になるために、相手を動かすことができる。

これが自由にするということ。

でも、私たちは相手に対して思ったことは自分に跳ね返る。

馬鹿にしたら、馬鹿にされているように感じるし、責めたら責められているように感じる。そして、自分が楽をした分だけ、自分が動かないといけなくなった時に苦しくなって、不満しか起きて来なくなる。

私たちがこれは自分のものになったと思って、自由にできると、これらのことを思っただけで、私たちは軽く扱われているように感じて、何とか自分の価値をまわりに認めさせようと頑張るようになるし、責められないように生きるようになる。また、他人の為に動くと不満が起きるので、自分が認められるか、楽をする為にしか動けなくなる。

そして、このようになると、人生は思い通りにならないことがいっぱいで苦しむ。

あれもこれも障りになる。障りになったことがいつまでも忘れられず苦しみ続ける。

すべて自分のものにしたいという心から起きる。苦しみとは、自分のものにして安心する所から生まれるのですね。