幸せのこころとかたち(他人からよく見られようとする名聞の心) | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

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他人からよく見られようとする名聞の心

我とは何か。

我とは他人から見た私。

他人が自分のことを悪人と見たならば、自分は悪人だと思うし、他人が自分のことを善人と見たならば、自分のことを善人だと思う。

私たちは一人では自分は何者か分からない。だから、他人が自分のことをどう見るのかということを通して自分を定義する。
つまり、他人が見ている所にだけ自分が存在していると言ってもいい。
だから、私たちは他人から少しでもよく見てもらおうとするし、そうやって作られたイメージが崩れないように努力している。これを仏教で名聞と言われる。

私たちは他人から見た自分にとらわれる。それはその姿こそ自分だと思っているから。だから、このイメージが崩れないように生きているし、自分の中のイメージが崩れたならば、まるで自分は死んでしまったかのように落ち込む。 

この我にとらわれる心こそ私たちの迷い。この迷いがある為に本質的に自分が幸せになることよりも、自分の中のイメージが崩れないように生きてしまう。

例えば、昔の武士が生き恥を晒すよりも、武士として切腹した方がいいと思う。これも名聞から。
名聞で生きることは自分の心を見た行動ではないから、どんなに名聞が満たされたとしても心が渇き苦しまなければならない。他人からどんなに良く見られたとしても、心は満たされることはないのである。