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中学受験つれづれ-プロ家庭教師の独り言-

中学受験に携わって25年になりました。日々、生徒と触れ合う中で感じることを発信していきたいと思います。

 みなさんこんにちは。いつもブログを読んでいただきありがとうございます。


 さて今回は「過去問演習の留意点(2)」です。前回では,過去問をどのようにやるか,その方法についてお話ししました。前回,アップ後,あるご父母からご質問を受けました。「過去問は何年分遡ってやるべきか」ということと「第5・6志望など志望順位の低い学校の過去問を解いておくべきかどうか」の2点です。せっかくですからここで僕の考えをお話ししたいと思います。

 まず,「何年分遡ってやるか」ですが,一般的には声の教育社の過去問集に収録されている回数分でいいと思います。多くの塾には過去15年分くらいの過去問集が書架にストックされています。ですからやろうと思えば,そのストックをコピーさせてもらって20年近く遡れるるわけですね。
 これについてはもし余裕があればやっておくのもいいかもしれません。「しないでください」「やるべきではありません」というほど強い表現ではなく,逆に「ぜひやりましょう」というほど強くお勧めするほどでもありません。「余裕があれば」以上でも以下でもない,という感じでしょうか。
 
 多少の問題作問上の流行り廃りはあるとはいえ,15年前あるいは20年前の入試問題も立派に力をつけるための材料としては使えます。御三家などはずっとフロントランナーとして中学受験を引っ張ってきたわけですから,仮にたとえ1990年の入試問題でも解く価値は大いにあります。
 ただし10年以上前の過去問をやる上での注意点もあります。まず社会の時事は当然,解けなくてもいいレベルまで風化している事柄も出てきます。例えば現代史の一コマとしてソ連の崩壊は知っていてもいいでしょうけど,その後「CIS(=独立国家共同体)」という緩やかな国家連合体ができたことまでは答えられなくてもいいレベルです。それを一生懸命「CISは独立国家共同体,CISは独立国家共同体…」と念仏のように唱えて暗記するのは脳みその無駄遣いでしょう。国内政治でも新進党や村山内閣について,やはりそれがあったことくらいは知っていても害にはなりませんが,単語カードに書いて暗記するほどの重要度ではありません。また特に男子校ではオリンピックやワールドカップという旬のスポーツイベントと絡めた世界地理(国際情勢)の問題を好んで出しますが,フランスW杯やシドニー五輪に絡めた問題が出てきてもそれは無視していいですよね。前年のノーベル平和賞,サミットの開催地,衆参両院選挙の結果…この辺りはうまく大人が削ってあげないと,生徒はオーバーフローになってしまいます。
 また,これは特に理数科目で言えることですが,ここ数年で急にレベルアップした学校は15年前くらいまで遡るとずいぶん問題の程度が簡単であると感じられることがあります。簡単な問題をきちんと正解にできることは,それはそれでとても大切なことですが,人気が出て受験生が増えた今と単に問題の難易度を比較しても無意味です。
 
 僕の知人の家庭教師の先生は,担当生徒に20年くらいまで遡って演習してもらう,と言っていました。その心は「これだけやったんだ。僕は誰にも負けないくらい過去問を徹底したんだ」という自負と自信を持って試験に臨んでほしい,とのこと。なるほど。それはそれで一つの手法だと思います。

  

  *  *  *


 さて次に「第5・6志望などのいわゆるセーフティネットの学校の過去問演習をやるべきかどうか」という問題ですが,この問題に入る前に「過去問演習をやる」というのはどういうことなのか,言ってみれば「そもそも論」ですが,先にこれについての僕の考えを述べたいと思います。すなわちこれは前回示した
①実際に解く,ということについて
②その振り返り,後(あと)処理
③判断や考察
の②を論じることになりそうです。


「過去問をやる」。とてもよく使う言葉ですね。この「やる」は代動詞。英語の「do」にあたる言葉です。ではこの「やる」って,何を指しているのでしょうか。解くこと?採点をすること?このあたりが少々,人によって幅がありそうな気がします。

過去問について,その処理の深さに応じて五段階に分けると,
A.解く
B.採点をする
C.解説を読んで誤答した問題の正解をチェックする。また解き方を理解する。
D.何度もその問題を解きなおして,自力で何も見ずに正解が導けるようにする。
E.問題集などを使って間違えた問題やよく出題される問題の類似問題を演習する


 まあ,さすがにAで終わっている人はいません。人間,解いたら○×はつけたくなるものです。だから点数は出します。過去問集には自分で記入できる点数表みたいなのが付いているので,そこに点数が記入してあるのはよく見ます。そして「合格最低ラインを××点オーバーした(笑)」あるいは「A中学はだいたい60%が合格最低ラインだけど3年分やって全部50%台だった(泣)」というようなセリフもとても多く耳にします。だから9割以上の受験生はステップBまではクリアできている,と判断して良さそうです。
 ではCの段階はどうか。「理解する」というのはどういうことか。人にその解き方が自分で説明できるほどきちんと分かっているのか―これはかなり怪しい感じがします。大方の受験生は,答え合わせをするときにせいぜい「ついでに」解説を読み「ふむふむ」みたいな感じで「分かった気になって」しまっています。これは大変危険な状態と言わざるを得ません。
 過去問演習をする究極的な目的は,その学校の来年度の入試問題が解けること,でしょう。これには異存がないはずです。ところが,算数や理科(の1分野の問題)で,間違えた問題や解けずにタイムアウトになってしまった問題の解説を読んだだけでは,同じレベルの問題を自力で解けるようにはなりません。小学六年生レベルでは,声の教育社の解説を読んで「なるほど,そうか,そういうことか!」とは,普通はなりません。「分かったような分からないような…」がせいぜいでしょう。我々のような助っ人が説明してあげても,その直後は分かるのですが,やっぱり自力で解けるようにはなりません。「分かる」と「解ける」は全然イコールではなく,その間には「広くて深い」溝があるのです。
 
 「解ける」ようになる(「分かる」で止まるのではなく)には類題演習が不可欠です。ステップEですね。でも実はこれが厄介なのです。

 よく聞くのは,例えば「旅人算」で間違ったから「力の5000題」とか「特進クラスの算数」等で「旅人算」の単元の収録問題を解く,というもの。しかし,旅人算を落とした子のほとんどは,旅人算の何たるかがわかっていなくて解けなかったのではありません。その文章の中に気づけなかった「ひとひねり」があって,そのハードルが越せなかったわけですね。ところがその「気づけなかったひとひねり」は旅人算特有の要素(例えば同方向の追い越しは速さの差,出会いの場合は速さの和,のような)とは無関係だったりするので面倒なのです。
 とすると,そのような単元別の復習をしてもさほど有効ではない。(※注…算数に比べると理科では,例えば中和を落としたから中和をもう一度さらう,とか,月の満ち欠けをミスしたのでその単元をもう一度やる,というのは効果的だと思います)我々のような助っ人がついていれば,少なくとも類題演習の材料選び,という命題に関しては悩みは解決しますが,おそらくはプロの家庭教師がついている家庭はせいぜい受験生全体の5%くらいでしょう。それ以外の95%の人はどうしたらいいのか…
 ちなみに学生さんでは無理ですね。ストック(物理的な意味でも,頭の中の,という意味でも)がないので,彼らに類題を用意してほしい,というのは酷でしょう。
 
 そこで頼るべきは塾の先生です。「今度,子供に過去問の答案を全部持たせるので,何を家でやったらいいか,具体的に細かなご指示をいただけませんでしょうか。先生しか頼る人がいないんです」と泣き落とし作戦に出ましょう。大丈夫。塾の先生はほとんどが単純で人のいい人ばかりですから,そう頼まれたらやってくれますよ。


 正直,我々(今度は塾講師としての僕になっているのですが)も人の子ですから,何とかしてあげたいな,という子がいることは確かです。変な意味じゃないですよ,誤解しないでください。たとえば,ご父母も本人もすごくまじめで「やりなさい」ということは素直に一生懸命してくれる生徒。3年生から通ってくれているコアなファン。同様に古いお付き合い,というかお兄ちゃんもお姉ちゃんも通塾してくれて兄弟3人目のご家庭。あるいはあちこちで「あそこの塾はいいわよ」とアピールしてくださるありがたいお母さん。そんなご家庭から頼まれたら,間違っても嫌とは言いません。
 でもこんなとき,つくづく日ごろの信頼関係って大切だな,と思います。何もつけ届けを欠かすなと言っているわけではありません。そうではなくて,ふだんは要求ばっかり居丈高に通しておいて「高い金とってるんだから何とかしろよな」みたいなことをお父さんから言われて,困ったときだけ手を合わせられても何だかな…と思いますよね。勿論,大切なお金をいただいて学力を伸ばすことが我々の職務です。でもお金をかけていればこそ,どうせなら上手く塾の先生を利用しないと損ではありませんか。
 繰り返しになりますが,塾講師なんてほんとに素朴で純情な人種です。信頼し,慕ってくれる生徒やそのご父母には何とかしてあげたい,と思うものです。


  *  *  *


 ステップDの「一度解いた問題を何度も解いて,何も見ないで正解が出せるようにすること」について,は飛ばして話を進めてしまいました。その作法や注意点については,次に回したいと思います。ですから次回はそのことと,今回質問を掲げただけでお答えしなかった「第5・6志望など,志望順位の低い学校の過去問演習をするべきか」。そして過去問をやる上で気をつけること③の「過去問からの考察・判断」。その3点についてお話ししたいと思います。

 今回は過去問の正しい演習法について,です。


 本当はもう少し早くアップしたかった,というのが本音です。もう11月も終わり。6年生はいよいよ残り60日を切ろうというところですから。


 この時期に来ると,正直,教える我々も日々の教材研究に追われるようになってきます。例えば受験生を8人,担当しているとしますね。それぞれの生徒が第3志望まで過去5年間(5回分)やるとすると8人で120回分です。で,僕は四教科教えているので,×4で480回分。これを基本的には全部解きます。もちろん,昨年教えていた生徒と今年の生徒と志望校がダブっている場合もあります。本当は一度解いておいた問題はきちんとファイリングでもして,解き方や説明の際の勘所,あるいはそこから派生する類題や関連知識などをまとめておけばよいのですが,これは永遠の課題ですね。解きっぱなし,調べっぱなし,で散逸してしまっています。秘書でもいればいいのですが(笑)


 冗談はさておき,そんなわけで去年の指導の際に一度解いた,たとえば平成19年や18年の問題も今年もう一度解いておきます。ただし,今年担当している生徒同士の志望校のダブりはありますから,正確には480回分解くわけではありません。しかしそんなに極端にダブることはないので,なんだかんだで400回分は超えるんじゃないでしょうか。


 我々にとっての一番の恥。それは,生徒の質問に答えられないこと。また答えるまでにやたら時間がかかって生徒を待たせてしまうこと。「じゃ,ちょっと待って,今解くから」と言って生徒がじっと待っている。ところが解けない。5分,10分…隣で生徒があくびを連発する。さすがにまずいと思って「時間がもったいないからその間,なんかやっていて」と指示するものの,20分たっても解けない,なんていうのは悪夢です。
 そして間違ったことを教えてしまうこと。これも致命傷になりますね。だからいい加減な記憶に頼って答えられません。そうならないためにも一度全部解いておく。一度解けば,いきなり尋ねられてもほぼ瞬時に説明できます。そして質問されそうなことは予め調べておく。


 そんなわけで,この時期結構追われていますます。わずかな時間があればその時間を利用して問題を解いています。移動中の電車はもちろん(これは貴重な時間),奥さんをスーパーに送っていき,ちょっと駐車場で待っている10分とか,お風呂を沸かし直しして入れるまでの15分とか,食卓についてご飯が出てくるまでの間の5分とか。(これをやると奥さんに「ちょっと手が空いてるなら手伝ってください」と叱られます)だから家じゅう,いたるところに問題集やプリントが散乱してます。


 理社は関連項目をチェックするのに時間がかかります。問題の正解は本当に時間がなければ答えを見てしまえば済むのですが,正解以外の選択肢は自分で調べておかねばなりません。例えばUNICEFが正解だけど,他の不正解の選択肢にIPCCが載っていたら,IPCCのことは隅々まで調べておきます。アンモニアの密度や溶解度とかヨウ素の原子の質量とかウツボの平均的体長などもすべて覚えてはいられませんから,その都度調べます。
 例えば,次のような問題があるとしますね。
[次の中から電気を通しにくいものを2つ選びなさい。ア.金 イ.ゴム ウ.紙 エ.銀 オ.銅 ]
 これ自体はごく簡単な設問です。絶縁体と導体を見分ける,まあ,サービス問題の類い,と言ってもいいでしょう。ところが,「先生,金と銀と銅って電流の流れやすさって違うの?」と聞かれることを当然想定しておかねばなりません。ごくわずかですが,この3つの金属の抵抗率には差があります。また亜鉛や鉄はどうか。アルミニウムはどうか。そのとき生徒と交わした会話がどこかの入試で役に立つかもしれません。むしろ教える側の腕の見せ所は不正解の選択肢にあり,と言っても過言ではない。ただ正解を言っていくだけだったら,何もプロの家庭教師でなくてもできますからね。


 普段,空いた時間を利用してこういったことをするのですが,空いた時間に他の用事が入ることももちろんあります。たとえばプライベートな冠婚葬祭や自分の子供の学校行事もそうですし,勤めている塾で面談のために10時に出勤しなければならない,ということもあります。すると,その分,睡眠時間を削ってするしかなく,この時期は睡眠3時間,なんてことも。だから教える我々にとってもやはり今は胸突き八丁なのです。


 と言うことで,のっけから長々とタイムリーにアップできなかった言い訳をしてしまいました。

すみません m(_ _)m


 *  *  *
 
 さて,いまや過去問を解かずに試験に臨む受験生はいないでしょう。「この時期は何よりも過去問」というのはいろいろなところで目にするフレーズですね。


 その過去問演習については
①実際に解く,ということについて
②その振り返り,後(あと)処理
③判断や考察
についてお話をしたいと思います。


①実際に過去問を解く。
 「過去問は,実際の試験時間と同じ時間割でやること」
 いろいろなものの本を見ると必ずこう載っていますね。これはその通り。僕も異議を申し立てる気はありません。ただ,なかなか4教科を,休み時間も10分ずつとって続けて一気にはできませんね。今の時期連続4時間近く空きがある受験生はあまりいないでしょうから。

 その場合,細切れでも仕方がないと思います。ただ,お分かりかと思いますが,さすがに50分の算数を30分やってのこり20分は後に回す,というのはまずいと思います。
 また,他の家族がテレビを見ているリビングのようなところでやるのもいけません。テレビは極端でも,やっている横で兄弟がお母さんと学校の話をしている,みたいな状況も避けたいところで,自分の部屋があるご家庭はやはり過去問については,家族が集まるリビングよりも自分の部屋の方がベターと思います。


 「親はどこまでかかわるべきものでしょうか」という質問をよくいただきます。これには逆に「どこまでかかわれますか」と質問しています。
 ベストなのは,親が ・行うタイミング ・順序(どの学校をやるか、どの教科からやるか) ・試験開始と終了の声掛け ・採点 まですること。大人がこれだけ関与すれば紛れは少ないですね。ところが,この時期のお子さんの自立の仕方,自我の育ち方は千差万別で,「そんな干渉はとてもとても…」というご家庭もたくさんあります。となると,こちらが「親が××までやるようにしてください」とお願いしても負担になるでしょうから,「できる範囲で協力してあげてください」という言い方になります。つまり上記で挙げたことがすべて可能なご家庭もあるでしょうし,「過去問,どれくらいやった?」「××中は終わった」「そう,じゃ,今度の塾のない木曜日に△△中をやっちゃったら?」「わかってるよ!」程度が限度のご家庭もあるでしょう。

 

以前,勤めていた塾で,「いっそ過去問は親が答えを取り上げて持っていた方がいいのではないか」という議論がありました。これは一理ありますが,今ほとんどの受験生が使っているのは声の教育社の過去問集ですよね。これは答えが各回の問題の直後に収録されていますから,親が答えだけを切り離すのは難しいですね。
 とすると,上記を実現するには,親が購入したらまず問題をコピーして子供に渡し,演習(試験)が終わったら解答用紙と引き換えに答えと解説のコピーを渡す,というやり方しかありませんが,これだとすごく手間がかかるし,それよりもなによりもそこまでやると,いかにも「お前を信用してないからね」というメッセージを伝えることになってしまい,親子関係がぎくしゃくするリスクがあります。

 したがって,現実問題としては親が解答解説を取り上げてしまう,というは難しいと考えたほうが良さそうです。


えっ,なんで親が取り上げるべきなんて議論が起こったかって?それは,結構な割合の生徒がこっそり過去問の答えを見てしまうからなんです。なぜそんなことを彼ら/彼女らはしてしまうのか。どう対処すべきか。それは次回のときにご説明しましょう。また,解き終わった過去問をどう復習するのか。第5,第6志望の過去問もやった方がいいのか,などその辺りも。


 今回は「過去問演習の留意点(1)」ということで,ここで一回アップさせてください。

「数日後」と言っていたのに更新が遅くなってしまってすみませんでした。文章はできていたのですが、ちょっと自宅のネットワークがおかしくなってしまって。


さて。
前回述べた模試の活用法の続きです。


③「成績を知ること。そして志望校に対する合格判定」

やはり当人もご家庭も、返却された模試で一番最初に目がいくのは偏差値であり、志望校に対する合格判定でしょう。


しかし、これはそれなりの「紛れ」があります。もちろん、2万人が受けるテストですから、偏差値がきわめていい加減、とか、志望校判定は全くでたらめだ、と言う気はありません。ただ、みなさんが思っているほど「偏差値」の「志望校判定」も絶対的なものではない、ということは申し上げておきたいと思います。


まず三大模試会社の「メイン模試」の偏差値や合格判定の正しい意味を知るために、その前提として「模試の作り」を知っていただく必要があります。


「メイン模試」というのは一般的な語ではありません。言わば僕の造語です。四谷大塚では11月に「学校別模試」を行っていますね。「開成」や「桜蔭」を受験する生徒用の、学校ごとのそっくりテストです。また日能研では「合格力育成・完成テスト」という、亜種、といっては失礼ですが、「合格判定テスト」とは別のテストがあります。そのような学校別や目的別のテストではない、いわばその模試会社のメイン商品となるテストをここで「メイン模試」と仮に呼ぶことにします。それから栄光ゼミナールのアタックテストや市進学院の定例テストにも当てはまることですが、これらの「メイン模試」については、どの模試も「ごく基本的な問題」から「かなりの難度の問題」までが一つのテストの中にちりばめられています。特に顕著なのは算数で、ほぼすべての受験生が解ける簡単な計算やごく基本的な一行問題からそれこそ全体正答率が数%の難問まで一つの模試に入っているわけですね。


イメージとしてはこんな感じです。


トラックに10㎝ずつ高くなるハードルが低い順に(奥へ行けばいくほど高く)並んでいる。よーいドン、で受験生はスタートして、低いハードルから跳んでいく。ほとんどの場合、あるハードルが超えられないのにそれより高いハードルを跳び越えることはできない。つまり80㎝のハードルでつかえた子はその後にある90㎝のハードルは跳べない。いわんや100㎝のハードルは全く無理。で「跳べませんでした」という高さのハードルの手前で各自地面に腰を下ろす。


すると全員が跳び終わった時に、160㎝(これはもうハードルではなく走り高跳びの世界ですが、そこは比喩なのでご容赦ください)の手前で座っている子が何十人かいて、その手前の150㎝のハードルの手前で座っている子が百何十人かいて、140㎝のハードルの手前で座っている子が何百人かいて… みたいな感じで、分布ができますね。


これがメイン模試での散らばり方です。


教えている方(これは塾でも家庭教師でも同じですが)はそれぞれの生徒の限界をかなり正確に言い当てることができます。A君は130㎝だな、と思うとだいたいそこで跳べなくなります。たまにA君が110㎝でこけたとしても、(ああ、今回は調子悪かったんだな。あるいは踏切が合わなかったのかな)程度にしか思いません。逆に140㎝跳べたとしても(あら、まぐれで跳べたのね)と思う程度で、その力がついたとは思いません。


繰り返しになりますが、教えている方はそれぞれの生徒の「跳ぶ力」を正しく把握しています。だから試験の結果が返ってきた後に先生が「おかしいなあ、こんな成績取る子じゃないんですけどねえ…もっと力はあるんですが…」と困惑していたら、それはお世辞でも言い逃れでもなく、本当にもっと力があるんです。


僕は模試(と言っても塾内テストですが)の作問責任者をしたこともあるので、よく分かります。完成した問題を眺めます。すると教えているA君はこれとこれができない、B子さんはこれとこれとこれはできるけど後は全滅、C君はこの問題さえ取れれば満点。満点か90点かの分岐点は最後の大問[7]にあり… みたいに、ほとんどの子がどれができてどれができないかをほぼ正確に言うことができました。


えっ、逆の場合はどうかって?

「おかしいなあ、こんな良い成績取れる子じゃないんですけどねえ」と言うか?
いえいえ、それは言いません。それはちょっと、ね。せっかくのやる気に冷水をかけることになるし、本当に自信になって後から実力がくっついてくるケースだってありますし。でも職員室では「ありえないよ。完全なまぐれだね」なんて講師同士が言っていることは、正直、あります。


 * * *


それに対して実際の入試はどうか。


これはいうまでもなく、偏差値60の学校なら概ね偏差値60レベルの問題が何題も並んでいる。だから上のたとえに合わせるなら、140㎝は跳べるけど150㎝は跳べない子ばかりが集まって、今度は最初から最後まで140㎝のハードルが10個くらいならんでいて、どこまで跳べるかを争うのではなく、例えば何秒で全部跳べるかを競うゲームに変わる、みたいな。


それくらいの違いがあります。


すると当然、模試で偏差値60を4回続けてとっている子が偏差値60の学校に受からないことだってあるわけです。体調がすぐれなかったとか、緊張して普段通りの精神状態で受けられなかった、とかではなくて、もっと根源的な理由で合格できないんですね。言ってみればゲームのルールが違うのですからそうですよね。模試でとった偏差値と、ある学校の試験を受けたときの「合格力」(ん?そんな言葉、ないですよね。「本番の試験で得点する力」という意味です)は食い違いが出て当然なんです。


だから、テストごとに一喜一憂して、時には家族の雰囲気が悪くなって、場合によっては親子で大ゲンカになって… なんていうほど偏差値には信頼性があるわけじゃない。そんな程度なんだ、ということです。ただ、先にも書きましたが、いい結果が出たときは心から喜びましょう。そういうメンタリティはある意味、受験を乗り越えるコツみたいなもんだ、と思います。よかったら心から喜ぶ。悪かったらなかったことにする。これに限ります。


 * * *


そして「志望校の合格判定」。これもおおざっぱです。


「志望校に対する合格判定」と聞いた場合、どんなシステム(プログラム)を想像されますか。例えばA中学。昨年の模試の受験者で実際にA中学の入試を受けた生徒を抽出し偏差値順に並べる。すると偏差値60なら8割合格している。また偏差値55なら5割が合格している。だからA中学の80%合格偏差値は60、50%偏差値が55.そういうイメージですよね。


でもそうではない、と言ったらびっくりしますか?


実は、2万人程度の受験生で、首都圏の延べ1300回近い試験をそのような方法を用いて合否判定を出そうとすると、必ずおかしな判定が出てきてしまいます。例えば一般的に80%偏差値が50と言われているX中学の80%偏差値が57になってしまったり、逆に53と言われているY中学の80%偏差値が45で出てしまったり。おそらく1300回近い試験回数だと、サンプルは20万とか30万とかないと無理なんじゃないでしょうか。


じゃ、現実はどうなっているか。


最初に各中学の各試験ごとに、担当者が80%合格偏差値と50%合格偏差値を打ち込んでしまう。これは人力でやります。手入力ですね。つまりA中学の第一回目は80%偏差値が59、50%偏差値が55.A中学の第二回目入試は80%偏差値が61、50%偏差値が57…と初めから合否ラインを設定してしまう。


で、あとはコンピュータに「受験生A君の偏差値と上記の設定した合格偏差値との差を見て、その差が×以下なら□%と判定せよ、差が△以上○未満なら■%と判定せよ…」と命令する。


その程度です。


もちろん、春の段階で、受験生の結果を追跡し、結果偏差値を出します。これは上記の打ち込みをする際に大切な資料になりますから、まるっきり前年の試験結果を無視してやっているわけではありません。ただ、想定外の数字が出ちゃったりすると「いやこんなに高いわけないよね」みたいな感じで削っちゃったり「去年56で志願者数が20%増えたから今年は58くらいが適当かな」とか。(ちなみに塾の入試報告会などでご父母の目に触れる段階で結果偏差値は整えられています)


 * * *


「ちょっと待ってよ。じゃあ、親は何を信じたらいいのよ」と色をなすご父母もいらっしゃると思います。


そのご質問に対する答えは二つりあります。


一つは塾の先生や家庭教師の見立てです。
これは、模試の合否判定より、ずっと信頼性が高い、と思っています。
正直、我々は模試の合否判定ってあんまりきちんと見ません。80%と出ていても「いやいや、五分五分でしょう」とか、50%と出ていても「いやあ、10回受けたら7回受かると思いますよ」とか、独自の見立てを持っています。そしてその見立てにプロとしての自信を持っています。だから模試が返却されても「ふーん。70%か…」みたいな感じで流してしまいます。


ただ、気を付けなければならないのは、基本的には塾の先生たちは一科目しか見ておらず他の科目はわからないはずです。だから算数が得意で国語が不得手な子については当然算数の先生の見立ては好意的になりますし、逆に国語の先生は辛口になります。だから四教科すべての先生の意見を聞いて判断する必要があります。


家庭教師も、一科目、あるいは算数+理科、とか国語+社会、と言う形で「文系・理系」で手分けしてみることが多く、見ていない科目のことは基本的にはわからないはずです。四科のバランスには注意していただきたいと思います。


二つ目は過去問でどの程度の点数が取れているか。


過去問は言うまでもなくリアルな入試問題ですから、厳しい問題が並んでいます。先の例で言えば、140㎝のハードルが10個なら10個並んでいるわけですね。そこで自分が解いたら何割とれたか。これはごまかしがきかない「合格力」の尺度です。


ただし、自宅でやる、自分で採点する、などの「ノイズ」がつきものですから、その点は差し引かないといけません。これは「過去問演習」についてお書きした時に改めて詳しくのべたいと思います。そしてまた、春から受講している学校別対策講座の中で知らず知らずに過去問を一度解いてしまっているケースもあるのでそれも注意しなくてはいけません。


また塾の試験で言えば「メイン模試」とは別の「学校別模試」というのがありますね。これは四谷大塚だけでなく、サピックスや他の大手塾でも行っています。これに関しては、実際の入試を想定しそれに似たつくりになっている問題内容ですし、受験者も9割以上は実際の入試で競うリアルなライバルたちでしょうからその中での順位はそれなりに重みがあると思っています。学校別模試での成績分布と実際の入試の合否分布はかなり重なり合っているのではないでしょうか。


一部の塾の学校別模試は類似の問題を事前に学校別コースの授業の中で取り上げていたり、「うん?」と眉を顰めたくなるケースがありました。またこの学校別模試を優秀な他塾の生徒に個別にアプローチをする手立てとしている、という噂もあり、もしそれが本当ならとても残念なことです。

男女御三家の学校別模試に関してはやはりサピックスか四谷大塚のものを受けるのがよろしいのではないでしょうか。


 * * *


二回にわたって「模試の活用法」を申し上げました。

もう一度おさらいすると
模試は
①場馴れの手段。実際の入試のシュミレーションとして。
②弱点を見つけ出すためのツールとして。
③偏差値・志望校に対する合否判定の把握

でした。


ここまでお読みいただければ、みなさんが非常に強い関心を持っている③は、実は活用法としては下位におくべきことで、模試は①②の手段として活用すべき、という僕の意見がお分かりいただけたのではないかと思います。(同意・納得されるかどうかは別として)


もうここまで来たら、どんな判定が出ても受けたい学校は受ける。そんな開き直りこそ大切かもしれません。よく言うことですが、今まで世の中で試験を受けないで試験に受かった子はいません。勇気をもって受けることこそ、合格の第一歩だ、と常々思っています。


次回は過去問の活用法について述べたいと思います。