中学受験つれづれ-プロ家庭教師の独り言- -4ページ目

中学受験つれづれ-プロ家庭教師の独り言-

中学受験に携わって25年になりました。日々、生徒と触れ合う中で感じることを発信していきたいと思います。

都内の入試も2日間を過ぎました。昔は当日発表なんてなく,全ての学校が翌日以降の発表でした。だから2日目の試験に向かうときは初日の結果は出ていなかったんですね。子供が入試を受けている間にお母さんが発表を確認し,また受験校に戻り子供を迎える。だから二日目校の校門の前で,初日の結果を知りガッツポーズをとる子供もいればガックリ肩を落とす受験生もいる。そんな光景が一般的でした。
 ところが,あれはいつくらいからでしょうか,各校が競うように発表日と時刻を早めたので今や,翌日以降発表の学校の方が少数派になってしまいました。
すると,今日この時点で二連敗している受験生もいるはずですね。その子とそのご家族はとても今しんどい思いをしているに違いありません。

塾に行けば,あっちこっちで「おめでとう」「良かったね!」というセリフが飛び交う。受かった子の目尻は下がりっぱなしです。塾の先生はというと,自分と話すときこそ沈痛な表情ですがその舌の根も乾かぬうちに受かった子とハイタッチなんかしてる… もう身の置き場がないです。

早い受験生はもう撤退を考え始めます。試験を受け始める前は,自分の番号が掲示板にないという事態がいまひとつ分からないんですね。頭のどこかでどうかなると思っている。しかし何度見ても自分の番号がない。それが二度続く。もうズタズタ,心の複雑骨折状態です。ご父母もそんな様子を見ると「頑張れ」とは言えない。もう止めよう,終わりにしよう,となりがちです。

 でもちょっと待って。けっして煽る気はないのですがリーマンショック以降,同じ受験校で後の日程で受かるケースは明らかに増えています。2,3日の本郷が×で5日で合格。1,2日の吉祥が×で4日で合格。1,2日の攻玉社がアウトで何と特別選抜で合格など以前は考えられないような結果が毎年でています。これは,やはり受験生減少が原因でしょう。以前の常識とは逆で,後の日程ほど入りやすい,という学校が増えているのです。

粗い理屈に聞こえるかも知れませんが,今まで世の中で,受けないで受かった子はいません。
名誉ある撤退もいいでしょう。しかし,人生には,泥臭く這いつくばってでも進まねばならないときもあるのではないでしょうか。

片目のあいていない受験生。頑張れ。くじけるな!
 ついこの間大晦日とお正月を迎えたのに,明日は早や2月1日。あっという間の1月でした。

 いよいよ決戦の時です。
 と言っても,一昔前と違い,今はほとんどの子が1月に試し受験をするので明日が生まれて初めての受験,というのは少数派でしょう。
 しかし試し受験はあくまで試し受験。明日からの数日間で今後の6年間,場合によっては10年間が決まってしまうのですから,緊張度は千葉・埼玉や地方校の東京受験の比ではないはずです。

 この時期,子供たちは決まって「ハイ」になります。あれは何なのでしょう,とにかく躁状態,とでも形容するのがふさわしい調子っぱずれな明るさを身に纏っています。もちろん,中にはガチガチに緊張する子もいるのですが,むしろそれは圧倒的な少数派のような気がします。よく大人が徹夜をすると「ナチュラルハイ」と言ってふわふわと浮わっついた変な昂揚感に襲われますね。徹マン空けなど,たいしておかしくもないことでゲタゲタと阿呆のように笑ったり。あれはドーパミン,かどうか知りませんが,寝不足のせいである種の多幸感をもたらす脳内物質が分泌されているのだ,ということを読んだことがあります(真偽は不明です)。まさに入試直前の小学生はそんな雰囲気ですね。
 そして周囲の大人が唖然とするような間違いをする。今日も社会の先生が「先生,西南戦争って第一次大戦より後だっけ」と質問されて絶句していました。(ちなみに市川に受かった生徒からです)「原価の2割5分の利益を見込んで」という一行問題でなんと原価を2.5倍してしまう。「日光をアびて」の書き取りで「照びて」と書いて平然としている。塩酸と水ナト水を混ぜてできる物質を「でんぷん?」と真顔で言う… 枚挙に暇がありません。

 駆け出しの頃は慌てました。どうしちゃったんだろう,底が抜けちゃったみたいだ… オタオタしました。でも周囲のベテランの先生たちは,2/1になれば元に戻るよ,と平然としていました。今はもう慣れっこになってしまって軽く「おいおい,2.5倍じゃなくて1.25倍だろ。そんな値段をつけたら誰も買ってくれないよ」と助言する程度です。ここで目を三角にして「この時期に何言ってんだーっ,お前ら」みたいなことを言っても意味もなければ効果もない,ということが,長年やっていると分かってきました。でもご父母にしてみると慌てますよね。ここのところ「どうかなっちゃったんでしょうか…」というお電話をいくつかいただきます。

 *  *  *
 
 今まで,本格的な競争というものを経験していない彼ら/彼女らにとって,今度の入試は冷酷な現実を突きつけられる最初の機会です。言わば初めて世間の荒波を浴びる,とでもいうのでしょうか。

 彼らはふだん,最後は必ず正義が勝つ,あるいは笑って終わるハッピーエンド,予定調和のドラマやマンガに接しているので,根拠もなく「最後は上手く行くさ」と思っています。どんなに状況が悪くなっても,最後の最後に神様は微笑むのだ,このピンチはエンディングを盛り上げるための演出なのだ,と。しかし,現実の厳しさ,現実はドラマとは違うのだ,いくら願っても叶わぬことがあるのだ,と知ったときのショック。「あんなに頑張ったのに…」と泣きの涙にくれる姿はいつみても切ないですね。中学受験を忌避する人の間で根強いのは,年端もいかぬ12歳に優勝劣敗を味あわせるのは早すぎる,という意見。ごもっとも,と思います。しかし逆に12歳でなければチャレンジできない機会,というものも厳然とある。どちらを選ぶか。これはもう,それぞれのご家庭のそれこそ子育ての方針の問題で,他人がとやかく言うことではありません。
 
 先日,教壇に立たせてもらっている塾でも,千葉の発表後ですか,あまりに落ち込んでいる子がいたので,ちょうどいい機会だと思い,授業の中で10分弱,時間を割いて生徒に話をしました。僕はあまり授業中,くどくどしく話をするタイプではないのですが,まあたまには良いか,と。
 そのとき話をしたのは僕自身の経験です。こんな風に話をしました。

 「君たちの中には埼玉や千葉の結果が思わしくなくて,とても落ち込んでいる人もいるようです。とりわけ,千葉・埼玉の学校を進学先の候補の一つと考えていた人は,悲しいやら腹立たしいやら,とにかく面白くない状態なんだろうと思います。でもね。入試で落ちるって,ある意味,すごくクリーンでフェアなんだよ。単純に点数が足りなかったわけでしょ。決められた時間内で,受かった人よりも問題が解けなかったわけだよね。それは解く力が足りなかっただけじゃないですか。
 今から10年後,人によっては6年後の人もいるかもしれないし,12年後の人もいるかもしれないけど,多くの人は就職活動と言うのをします。簡単に言うと,みずほ銀行とか全日空とか,資生堂とかNHKとかに『僕(私)はおたくに勤めたいので入れてください』とお願いをするわけです。そこでは一応,ペーパー試験もあるものの,基本的には「大学時代に何を得たか」とか「どんな仕事をしたいか」とか「自分が他人に負けないもの」とか,そんなことを聞かれてそれに答えて,そして合格か不合格かが決まります。(というと,みな目を丸くして『えーっ』とか『そんなー』と驚きます)これって,不合格だったとき,かなりへこむよ。先生も大学卒業するときと会社を変わったとき,何度も何度も不合格になりました。書類だけで落とされることもあるんだけど,それはまあショックは少ない。痛いのは,1次、2次試験をクリアして偉い人に面接してそして最後の最後で不合格になるとき。もう痛いなんてもんじゃない。俺の何が悪かったんだろう。パンチ不足だったのかな,やる気が伝わらなかったのかな,それとも笑顔が悪かったのかな(というと皆笑います)1・2社ならいいけど10社、15社、最近は就職事情が厳しくて100社とか断られる人もいるらしい。最後はノイローゼ状態だよね。僕は自信を持って,絶対に100社なんかチャレンジできない,と断言できる。もっと前に心が折れちゃう。
 でも,それに比べて入試ってどう?男前とか雰囲気とか,関係ある?やる気とか長所とかは?あるいは親の職業とか家柄とかは? 無いよね。要は決められた時間内に点数とれたかどうかだけだよね。すっごいフェアでクリーンと思わない?落とされたら単に問題が解けなかっただけじゃないですか。だったら解けるようにすればいいだけの話でしょ」

 こんな話をすると,心なしか,落ちた生徒の表情も明るくなるような気がします。男の子は本当に素直で子供らしいので,授業が終わって帰るとき「先生,オレ頑張るよ」と言ってくれる子もいて,そんな言葉を聞くと,まあ,話してよかったのかな,と思います。
 また,2/1を控えてつい先日はこんなことを言いました。

「ほとんどの人は,人生の最初から最後までで総計算すると,いいことと悪いことは半分ずつです。今回,○の人と×の人で分かれるけれど,それは数列が奇数で始まるか偶数で始まるかくらいの違いしかないんです」。そしてなでしこの澤選手を例に引き,「努力はいつか,必ず報われる。それは今じゃないかもしれない。でも君たちが,来る日も来る日も,遊びたいのを我慢して机に向かった努力は決して君たちを裏切らない。なでしこの澤選手を見てごらん。15歳のときに代表に選ばれたんだけど,その頃は,いやついこの間まで,みな女子サッカーなんて見向きもしなかったよね。彼女はサッカー人生のほとんどを恵まれない環境の中で,でも黙々と頑張ってきた。だれが見てようと見てまいと,やるべきことをやってきた。そしてそのご褒美にサッカーの神様が,あのアメリカ戦の後半,ピッチに降りてきたんだと思わないかい?」と。

 実際,アメリカとの決勝戦では後半30分過ぎに,あの宮間選手のコーナーキックに澤選手が触れて同点ゴールとなったわけですが,その後のインタビューで彼女は言っていましたが,とにかく無我夢中で相手DFより先に触ろうと無心で足を出したそうです。それがボールの軌道を変え,よく見ると相手選手に触っているように見えますが,敵ゴールに吸い込まれていった。あれはまさに神の仕業と言えるのではないでしょうか。

 パロンドールがどれほどすごいのか,男子のメッシが好きな子はよく知っていますが,女子はいまひとつ価値がわからないみたいなので,「世界でたった一人しかもらえない,その年のサッカー選手のMVPなんだよ。何しろ女子は今まででたったの3人しかもらってないんだ。それを澤選手は受賞したんだよ。すごくない?」と解説をしました。
 どれだけ通じたのでしょうか。でも一人の子が,ノートの余白に蛍光ペンで「努力は必ず報われる」と書いていたのが視野の端に見えてしまいました。うーん。多少は彼ら・彼女らに伝わったのかな。

 今日は,仕事からの帰り道,「子育て不動尊」というところがあるので,そこで立ち止まり,よくお願いをしてきました。「受からせてあげてください」というのはちと虫がよすぎるので「どうか彼らが普段の力が発揮できるように見守ってあげてください」と願をかけました。

 いよいよ明日です。
 日本中の受験生よ,頑張れ。 

今回は「過去問演習の留意点」の最終回(3)です。

 まずは,前回お話しした中の過去問の処理A~Eの中のD,「一度解いた問題を何度も解いて,何も見ないで正解が出せるようにすること」についてお話しします。このテーマは教科によっても多少方法が違うので,教科ごとに述べたいと思います。

 
志望校の過去問で落とした問題は,何度も解きなおしてすらすらと手が動くようにしなくてはなりません。それはどの科目でも共通することなのですが,とりわけ算数は,復習の仕方,その方法や手段がその後の学力の伸びと大きくかかわる科目だと思います。
 前回も書きましたが,算数においては解説を読んで「ふむふむ」というのはいけません。厳密に言えばそれでは復習になっていません。もちろん,算数の間違いにもいろんな種類の間違いがあり,条件の見落としや勘違い(辺AB=ACなのにAB=BCと読み取ってしまった,とか「B点を折り返してから何秒後か」なのに「A点を出発してから何秒後か」と読み取ってしまった,とか)これらのミスは解説を一読すれば解消できます。これはまあ良いです。

 他に算数における不正解には以下のような場合があると思います。
①「おそらくここの角は90度なのだろうけど,どうして90度になるかがわからない。『理由が言えないのは正しい解き方じゃないぞ』と普段先生から言われているからとりあえず解答しなかった」という類いの問題
②地道に数えあげたり当てはめていったりすれば,いずれは正解は出せそうだけど,そんなことしてたらほかの問題に手をつける時間が無くなってしまう。「何か一発で答えが出せるうまい方法があるはず」と思うものの,その方法が分からず,断念。
③問題が何をきいているかは分かるのだが,どうしていいか皆目見当がつかなかった。解答する端緒もつかめなかった。
④問題が何をきいているかさえ分からなかった。


 この中で比較的習得しやすいのは①②で,これは問題を解く上でのストーリーは理解できているわけで,でもツールが手に入れられなかった。(もしくは引き出しから引っ張り出せなかった)このタイプの問題については,解説を読んだときかなり強く解き方が印象付けられるもので,そんなに繰り返し練習しなくても身につきます。
 問題は③④ですね。これぞ本当の意味で「分からなかった問題」になるわけですが,これらの問題をどうするか。
 僕は,ここまで来たら「解法丸暗記」しかないと思っています。解法をとにかく頭から尻尾まで丸のみします。(「解法」ですよ。「解答」ではありません。お間違いなきよう)事ここに至ってはそれしかありません。えっ,算数・数学は暗記科目ではない?いやおっしゃる通りです。そうです。そうなんですが,「暗記科目ではないから丸暗記などさせても無意味だ」と言って何もしなければ何も変わりません。
 あるとき,ご父母からこんな質問を受けました。「過去問って,しょせん過去問ですよね。つまり来年,同じ問題は出ないですよね。それを暗記するほど解きなおすって意味があるんでしょうか」
 意味があるんです。
 いや,質問の意味は分かります。気持ちもわかります。一度解いた問題を何度も解くより,少しでも未知の問題に多く触れておきたい,という気持ちですよね。
 勿論,その方がおっしゃったように,まるで同じ問題が出ることはありません。しかし,これらの過去問演習で解けなかった問題の解法には,そのとき自分に不足していた「解法のキモ」が必ず一つ二つ入っています。そして同じ問題は出ないまでも,その「キモ」が来年度の入試においても必要になることは十分に考えられるのです。
 たとえば,斜辺の長さが4㎝の直角二等辺三角形の求積。
 この直角二等辺三角形の斜辺でない辺の長さは2√2です。だから面積は(2√2)×(2√2)×1/2ですから4ですね。しかしこれは中学生以上の解き方。小学生は当然,√は分からないですから,斜辺でない辺の長さを求めようとするとそこで手が止まってしまいます。こんなときは同じ直角二等辺三角形をもうひとつ用意し,斜辺同士をくっつけて正方形を作ってあげます。この正方形の面積は(対角線)×(対角線)×1/2ですから8ですね。そして求めたい直角二等辺三角形はその正方形のさらに1/2ですから8÷2で4.だから無理数を使わなくても出すことができます。
 これは,偏差値で言えば45レベルのベーシックな問題ですが,仮に過去問を解いているときはこの手法が思い出せずに解けなかった子がいたとしましょう。で,上記のやり方を「丸暗記」したとします。この「2乗すると整数になる場合,平方根を求めずに2乗した数を利用する」という解き方は,平面図形の求積ではけっこうおなじみの手法です。すると,見た目は全然違うけど,同じように「2乗すると整数」を使わねば答えが導けない問題に来年ぶつかる可能性がある。しかし,そのような同じテクニックを使わなければならない問題が出てきたとき,自然と解けるようになっている。これが解法丸暗記の狙いなんです。
 だからもう四の五の言わずに覚えこんでしまう。くどいですが,何度も解きなおす。すらすらと,手が勝手に動くくらいに。するとかならずそれらの「キモ」は自分で使いこなせるようになります。


 さてより具体的な方法に入りましょう。僕は生徒につぎのようなやり方を勧めています。
 まず,B5サイズのルーズリーフを用意します。過去問をコピーし,間違えた問題を切ってルーズリーフの表(おもて)面に貼ります。そして裏面には自分の手書きの解法を書きます。つまり表には問題だけ,裏返すと解法が載っているわけですね。で,一枚に一問(大問で一問)にします。つまり2題間違ったらルーズリーフが2枚必要になるわけです。一行問題の場合はどうするか。これも贅沢に1枚につき1題を守ります。もったいないですよ。もったいないですが,あと50日。もうここまでくれば,「もったいない」の神様にも目をつぶってもらいましょう。
 この方法のいいところは,後からそのルーズリーフをソート(並び替え)できることです。年度ごとに並び替えてもいいでしょう。分野ごとに並び替えるのも必要かもしれません。また,「分からなかった度」に応じてソートしてもいいでしょう。そのために1枚に1題,なのです。
 そして繰り返し繰り返し,解きなおす。ボロボロになるくらい,やってほしいと思います。


 「過去問演習の2度目3度目」という言い方をする場合がありますね。塾の中には本番の入試まで何度も1回目と同様にきちんと時間を測って試験のリハーサルを繰り返しすべし,と指導しているところがあります。そのような塾では「1回目は合格点に15点足りなかったけど,この間2度目をやってみたら82点取れた」というように使うのですが,これは僕は正直,あまり意味がないと思っています。まあ,害があるからやめろ,と言うほど強くは反対しませんが,1度目に解けた問題は2度目以降も解けるはずなので,もう一回試験問題の初めから最後まで全部を解きなおす意味がよく分からないのです。ただ,塾の先生からは「何度もやって最後は4教科とも100点満点をとれるようにするんだぞ」と言われていることを考えると,結局は僕と同じところを目指しているんだろうと思います。

 

 理科の第一分野も算数に近いと思います。特に物理領域はこのやり方でOKでしょう。一分野と言っても化学領域は,気体の性質や試薬の変化など暗記事項も結構あります。たとえ一分野の問題であっても「覚えておくべきことが覚えられなかったために取れなかった」場合は,これからお話しする二分野や社会に関する対処法を参考にしてください。

 社会と理科の二分野は暗記科目です。知識が入っていなかったか,抜け落ちてしまったか。あるいこんがらがってしまってただしくアウトプットできなかった(例えば日米和親条約と日米修好通商条約の開港地が混同してしまったようなケース)か。いずれにせよ知識の整理が不可欠です。
 この二科目については自作の暗記用ノートを作ることをお勧めします。文具店に必ずおいてある,縦15㎝×横10㎝くらいのメモ帳ってありますよね。デザインは大学ノートをそのまま大きさだけ小さくしたようなやつです。100円くらいなのかな。罫線が1ページに20行くらい入っているもの。そこに一問一答式のQ&Aを作ります。今の理社の試験問題は,一問一答式ではなく,長文形式と言うべきか,紀行文や日記などが書かれてその中から設問が作られているようなスタイルが多いですが,このままではいささか使い勝手が悪い。そこでひと手間かけて,一問一答式に自分で変換させるのです。
 たとえば次のような問題

「青森県六ヶ所村には( a )があり」の( a )に入る語句としてふさわしいのは次のどれか ア.地熱発電所 イ.高速増殖炉 ウ.核燃料再処理施設  エ.ニュートリノ検出実験装置
 で間違ったら,ノートの表に「青森県六ヶ所村にあるのは何か」でいいんです。それを書く。そして裏のページには「核燃料再処理施設」と書いてあげる。
 そんな暗記ノートを作ります。そして日常の隙間の時間,5分10分と時間が空いたらそのページを繰るようにする。これで暗記を固めなおします。四科のまとめやメモチェもいいんですが,それらよりも自分の志望校の過去問に登場した語句や術語を集めたものを優先させてほしいですね。


 最後に国語です。
 国語の復習は確かに難しい。しかし,これもやりっ放しでいいはずはない,と思っています。僕が生徒に進めるのは次の4つ。
①記述問題は模範解答の解説内容を思い出しながら,自分の力で過不足なく書けるように練習する。
②選択肢問題で間違った場合は,自分の選んだ選択肢のどこがいけなかったのか,正解の選択肢との差異をきちんと自分の口で言えるようにする。
③特に論説文・説明文で背景知識がわからない場合,大まかにでも調べておく。(時間に追われて調べる暇がなかったら,背に腹は代えられません。周囲の大人に聞いてしまいましょう)
(注…ここでいう「背景知識」と言う言葉の意味を説明します。例えば「同時多発テロ」がその文章のキーになっていたとしましょう。その「同時多発テロ」がいつ,どこで,どのようなことが原因で起きたのか,そしてどのような結果をもたらしたのか,を知らない受験生がいたとします。彼/彼女は文章の流れを理解するのにとても苦労するでしょうし,場合にってはその知識がない為に正解を選べなかった,ということさえもあります。この「同時多発テロ」のような文章のコアになる事件や人物や考え方などの知識を「背景知識」と言っています)
④語句・文法・文学史・韻文の技法などの「知識」は理社の暗記項目と同様に覚えこむ。

 

 *  *  *


 さて。もうかなり長くなりましたが,今回はこのまま話を続けます。
 

 今回2つ目のテーマは,前回の質問にありました。「第5・第6志望などの志望順位の低い学校の過去問をやるべきかどうか」

 これは前回で述べた「やる」の意味にかかわってきますね。「やる」=「類題演習(ステップE)まで」とすれば,そんな志望順位の低い学校の過去問まではとても手が回らないでしょう。第2志望くらいまでが精一杯ではないでしょうか。
 ただ「やる」=「解く」でいいのであれば,それは解いてみることはいいかもしれません。しかし,悩ましいのは,その学校独特なスタイルの問題が過去問の中に散見されたとき,どう対処するか。たとえば千葉の麗澤や芝浦工大柏には,国語の試験に作文があります。それも与えられた絵を「解釈」して書かなければならない,という,よく言えばユニーク,悪く言えば「変な」問題です。「真ん中の線の向こう側に立っている男の子の周囲が乱雑で片付いていないのは彼の混乱した心理を表している」とかそういう類いのことを書く作文(?)なんですね。この問題については言いたいことはヤマのようにありますが,今日のところは本題とはずれるので取り上げないこととします。
 さて,ためしに過去問を解いたらそんな問題があってたまげた,というのは意外とよくあるケースです。ではそのための練習をすべきか。答えはノーでしょう。仮にそれらの学校が第5・第6志望であれば,その学校に受かるための対策をするのはあまりに時間の浪費です。「でも,地元のお子さんは,その対策をしっかりして臨んでくるわけですよね。だったらこちらもきちんと対策をしておかないと受からないんではないでしょうか…」と心配してお聞きになるご父母もいますがそれには「だったら受けるのをおやめになったらどうでしょう」とお答えしています。それはトータルで見ればメリットよりもデメリットが大きい試し受験になってしまうからです。
 が,まあしかし,麗澤を第5・第6志望で受ける,ということは,偏差値が50台半ばから後半ある,ということですよね。とすると,そんなユニークな問題の対策をことさらにしなくても地力で受かるはずなんです。だから対策など無視して思い切って何もせずに受ける,という手ももちろんあります。 一番いけないのは,まるで無視するのでもなく,さりとてきちんとケアをするのでもなく,中途半端に対策をすること。そんなんだったら,その時間を第一志望校の対策に回しましょう。

 

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 最後です。
 過去問を解いた後の考察について。

 過去問集には,学校が発表していさえすれば,合格最低得点率が載っています。国100算100理50社50の300点満点で合格最低点163点,とか。これはもちろん,合否判定の大きな物差しになります。

 ただ,注意点もあります。


 ①自宅で解いた方が点数は悪く出ます。
 これは意外に思われるかもしれませんが,リハーサルの方が点数は芳しくありません。この辺りは何と言っても小6,12歳。いくら口を酸っぱくして言っても本番と同じようにはやりません。「とにかく本番と同じだと思って,時間配分に気を付けて,解く順番も気を使って」と言っても,のんびり,ゆったり。塾でやらせているときなど目に余って「おい,あと試験時間10分だけどみんな大丈夫か?」と声をかけるとあちこちで「げっ」とか「やべ」とか言ってます。ろくに時計も見ていない。それ以外にも生あくびを連発したり,いつまでもシャープペンを直していたり…大人はリハーサルの意義が分かっているのでそのあたりは意識してやりますが,子供は子供ですね。それに対して本番はもっと集中するし,火事場の馬鹿力も発揮する。時間が足りなければとりあえず読まずに記号だけ書いとく,みたいな狡さも出てきます。ざっくり言うと,自室で解いた過去問は100点満点で10点とか15点くらい悪く出るのではないでしょうか。

 ②親は厳しく採点しがちです。
 これは①と逆の心理ですね。特に国語の記述。これは模範解答が立派すぎる時があります。この国語の模範解答は,声の教育社と契約を結んでいるプロのライターや塾講師の方が書かれています。僕自身,そのうちの何名かのライターの方とは知り合いですが,その執筆陣の中には「ちょっとちょっと,そのあなたの答え,高級すぎでしょ」と突っ込みたくなる方がいます。あんまり普段子供と接してないのでしょうか。ところが採点する親の方はどうしてもその解答を基準にして少しでも違うと×,としてしまいがち。できたら記述の採点は,塾の国語の先生にしてもらった方がいいと思います。


 ③受験生の中には,答えを見てしまう子もいます。
 これは,前々回,少し触りだけ話しました。「過去問で答えを見てしまう」。すごい悪いことというイメージがありませんか。「中学受験の歪みの現れ」とか「目的達成のためには手段を択ばないというほど追い込まれている子供たちこそ犠牲者だ」とか。でもどうなんでしょう。そんなに大げさなことなのか。結構いますよ,答えを見て点数を上乗せしてしまう子。平均して20人の塾のクラスで3・4人はいるんじゃないのかな。だからそれほど珍しいことではないので,塾の職員室でも「えっ,それ答え見てるんじゃないの?」「ですよね」とか普通に言っています。
 家庭教師をしていると,見ているかどうかはすぐにわかります。お母さんが「先生,××中,初めて解いたのに75点だったんですよ」と喜んでらっしゃるとそれに冷水を浴びせるわけにはいかないものの,「それはありえないかなー」というのはすぐにピンときます。ただこの時期にそれを暴いてもあまりいいことはないので,気づかないふりをしますが。悩ましいのは,そのバイアスのかかった点数に引っ張られて,一度決まった併願パターンを組み替えようとする事態になってしまった時。これは勇気をもって進言するとことにしています。ただそれでも「お子さんですが,問題集の答えを見ていると思います」とは言えないので,「残念ながら,たまたま,だと思います」とか「直前にそっくりな問題を塾でやったのだろうと思います。というのも,正解した問題の解き方を尋ねても説明できないんです」等,できるだけ事を荒立てないような表現を使います。こうなると,子供もつい出来心でやってしまったことが存外,大きな波紋になっていることに青くなっていますから,逆にほっとしたりします。
 
 この答えを見てしまう行為を「カンニング」と表現する人もいますが,過去問を自室でやるときに答えを見てしまうことと「試験中にカンニングペーパーなどを見て高得点を取ろうとすること」あるいは「人の答案を見ていい得点を取ろうとすること」とはちょっと異なると思うので,僕自身はこのような過去問集の答えを見てしまうケースを「カンニング」とは表現しないようにしています。
 この「答え見」は先にも書いたように,日常茶飯事的にありがちなことなので,それほど大騒ぎするべきでもないと思っていますが,中には危険なケースというのもあります。

 それは両親,特に父親の圧力が強すぎて,どうにもならなくなって答えを見て点数を上乗せしてしまう場合です。男子に特に多い気がします。このようなご家庭の場合,お父さんは暴君タイプでは決してないんです。仕事もできて社会的地位も高く,恐らく会社では部下の信頼も厚いのでしょう,暴君どころかジェントルマンタイプが圧倒的に多いです。
 会社で部下との面談ってありますよね。成果報酬型給与体系が一般的になって以来,いろんなカタカナ名称の評価面接が増えました。前期の仕事を振り返り,達成度を共有する。そして来季の目標設定をする。必達数値とかプロジェクトチームとか,××プランとか。また達成のためのメソッドとかプランドゥーシーとか,まあほとんどがアメリカ由来なんですかね。そんな類いの言葉をやりとりする面接です。
 部下とそれをするのはいいんです。会社と言うのは利益追求のための集合体で,構成員一人ひとりがいかに利益を出すか,の1点で人間関係を結んでいる場です。情緒を排し,「仲良しクラブ」ではない筋肉質の集団,戦う集団を作る。これは管理職として当然の職務でしょう。しかし,そこでやっている手法を家庭に持ち込んではいけません。子供は子供です。部下とは違うんです。こういうお父さんの下で,子供が答えを見て点数を偽装していた場合,根はすごく深い場合があります。


 もし,この文章を読んでくださっている方が受験生のご父母で,お子さんの最近の過去問の点数が「妙に」いい場合。その割には本人の屈託げな様子に拍車がかかっている場合。そして過去問の点数がいい割には塾の宿題や小テストでの×がやたら目立つ場合。ぜひ,プレッシャーを取り除いてあげてください。やり方ですか?気障なようですが,「たとえ何があっても,君を愛しているよ。そしていつでも重い荷物は下ろしていいんだよ」ということを伝えてあげるのが一番なんじゃないでしょうか。


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 長々とお付き合いくださってありがとうございました。次のテーマは決めていません。中学校ごとの3大模試の合計志望者数の集計を今,進めています。次回はそれをテーマに何か,お伝えできたらいいのですが,いつその集計が完成するやら… いずれにせよ,少し間が空いてしまうかもしれません。なにとぞご容赦ください。