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中学受験つれづれ-プロ家庭教師の独り言-

中学受験に携わって25年になりました。日々、生徒と触れ合う中で感じることを発信していきたいと思います。

 前回の続きです。


 すみません,数日後にアップなんて,また空手形を振りだしてしまいました。実は塾の春期講習会で,直前になって担当コマが1コマ増えた影響で予習に追われてしまい…。失礼いたしました。


 日能研の次に行ったのは四谷大塚。

 ご存じ中学受験業界の老舗です。

 のっけから笑い話ですが,そもそもこの「四谷大塚」,不思議なネーミングですよね。
僕がまだ塾講師として駆け出しだったころ,先輩から「中野の四谷大塚に寄ってから出勤するから主任に言っておいて」と電話を受けて,はて,先輩は中野に行くのか,四谷に行くのか,大塚に行くのか,それとも三か所寄っていくのか…と悩んで,いいや,一番多いのを伝えてておけばいいだろう,と思い,主任に「F先生,生徒の家を三か所尋ねてから出勤するそうです」と言って後からその先輩に叱られたことがあります。


 もともとこの四谷大塚は日曜テストの主催塾でした。いや「塾」と言えるのか…。受講生に予習シリーズを販売し,生徒はそのシリーズを自学自習で勉強し,その勉強を基に日曜日にテストを受け,その蓄積が受験勉強となっていく,という「テスト会」というスタイルです。僕がこの業界に入ったときはまだ受講生に「正会員」「準会員」という格付けがあり,さらに校舎によっても序列があった記憶があります。中野校舎が一番でお茶の水が二番だったかな。


 そうは言っても,なかなか小学生が一人でシリーズを勉強してその内容がきちんと身に付くかというとなかなかうまくいくものでもないですよね。そこで派生したのが,四谷のテスト会を受ける子たちを集めて予習シリーズを用いて授業をしてあげる塾です。つまり,今でこそYTネットワークという形で系列化が整っていますが,当時は「準拠塾」と言っても四谷大塚とは無縁,「勝手連」じゃないですけど勝手に四谷大塚のカリキュラムに基づいて勝手に教材を使用して教えていたわけですね。でもそれでも結構持ちつ持たれつ…の関係だったようです。だって前年度の週例テストの過去問集が売っているなんて,リナックスのオープンソースじゃないですけど,全部公けにするからよきに計らってください,というようなものですものね。


 そのころは町の塾にも凄腕の先生がたくさんいて,口コミだけでも遠くから生徒を集めている「伝説の教室」みたいな塾もありました。塾長先生がシリーズ使って一人で全科目見て,塾のOBの大学生をチューターみたいな形で手伝わせて…みたいな言わば寺子屋風の塾です。それでボコボコ御三家に入れてしまう。柏に杉田塾という塾があります。今は先代の先生の息子さんが継がれたと聞いていますが,その先代の先生の頃は常磐線沿線では「杉田塾」と言えば「ああ,あの柏の…」と知る人ぞ知る,という存在でした。いまでも40代後半以上の東京の東側や千葉・茨城が主戦場の塾講師や家庭教師からは「杉田塾」と言うと「ああ,すごい塾だったよね」という反応が返ってくることは珍しくありません。
 そんな杉田塾のような塾が数多あったものですが,こういう個人塾はやはりある種の職人芸のようなものなのでしょう。次代を担う人にノウハウを伝えようとしてもうまく伝わらないことも多く,塾長先生の引退とともに廃業したり代替わりをきっかけに衰退したり…。また,四谷大塚本体が平日の授業を開いたのも大きな転機になったのだと思います。(1995年ころだったような…すみません,かなりあいまいな記憶です)本体が平日の塾を始めてしまうのですから,地元の準拠塾より多少通塾時間がかかってもそちらに通わせた方が良い,とご父母が考えたのは無理からぬことですよね。


 勿論,今でもいい町の塾というのはあります。ただどうしても小規模塾は,いわゆる六大塾(サピックス・日能研・四谷大塚・早稲田アカデミー・栄光ゼミナール・市進学院)をスピンアウトした子を受け止めるという役回りになってしまっています。それはそれで大切な存在意義ですし,現場の先生たちには大手塾を食ってやろう,という意気は盛んなのですが,どうしても合格実績と言う意味での成果は厳しくなってしまいがちですね。またこのような個人塾は,「囲い込み」ではありませんが,ほぼ毎日授業があるので,通わせる方はすべてを賭けるしかなくなってしまいます。ダブルスクールで様子を見る,ということができないんですね。そうなると,やはり一度しかない中学受験ですから「寄らば大樹の蔭」,大手塾に通わせた方が安全だろう…という「リスクをとらない」塾選びになりがちです。


すみません。また話が逸れました。話を元に戻しましょう。

 四谷大塚の入試報告会のコンテンツは「今春入試の全体動向」+「各科目ごとの今春入試の総括」。
 目新しさはなかったものの,内容は僕が聞いた3塾の中で最もしっかりしていた印象でした。玄人受けする,という表現がふさわしいかもしれません。資料もしっかりしており,また算数の先生のお話しもツボを射ている感が一番強かったですね。


 この四谷大塚という塾は,先に述べたように,出自が「自学自習のテスト会」ですから,教える側にも「勉強は基本的には自分でやるべきもの」という考えが集合的観念としてあるような気がします。「人から言われてやるようじゃ,トップ校には受からないでしょ」とでも言ったら良いのでしょうか,理想像を示して「ここまで頑張って上がってらっしゃい」と上で待っているイメージです。僕の知っているご家庭でも,面談のときに成績が伸びないことを相談したら「勉強のやり方よりなにより,そもそも勉強の絶対量が足らないのではないですか」と切り返され,鼻白んだ,という話を聞きました。もう少し商売上手な塾ならおそらく違う返答が返ってくるでしょう。その意味では商売っ気がないというか××正直というか。


 それはそれで良いのです。まさに正論・筋論,それに文句を言う気はサラサラありません。しかし,今の子供たちはとにかく受け身です。25年前,僕の駆け出しのころと比べても明らかにその度合いは増しています。手取り足取りしてあげないとやらない。いや「できない」のか。
 登山で言えば四谷大塚の教育は,遠くにきらめく孤高の峰を仰がせ「あれが君の目指す峰だ。誰の力も借りずに,君自身の力であの峰を征服したまえ。それが本当の,あるべき登山の姿だ」と説く。しかし,今はそのような「本当の」登山より,大所帯のパーティーを組み,1次キャンプ,2次キャンプと漸進し,最後選りすぐりのアタック隊を組んで踏破を目指す。そんなお金も手間もかけた手法の方が成功率が高い。それと同じだ,といったら比喩のこじつけが過ぎるでしょうか。


 昔「塾屋」で言われていた冗談があります。「新聞は朝日新聞。銀行は第一勧銀(=いまのみずほですね)百貨店は三越。本屋は三省堂。そして塾は四谷大塚」 意味わかります?それぞれの業界の本流,という意味です。


ぜひ日能研同様,老舗で本流の四谷大塚にも頑張ってほしいと思います。

次回はサピックスの報告会報告。できるだけ早くアップします。ちょっとお待ちを。


塾での新学年がスタートしてそろそろふた月になろうとしています。みなさんの勉強は順調でしょうか。

 四谷系の塾の新5年生は,この時期,一気に分数の加減乗除と小数⇔分数の換算が出てきて,それだけでふうふう言っている生徒が大半です。いつまでたっても加減と乗除の区別がつかず,「あれ?かけ算って通分するんだっけ」なんていう質問をいまだに受けてカッカしているお母さんもいるようですが,大丈夫,そのうち慣れるものです。この辺りは「習うより慣れろ」。今は数多く解くことを目指してください。


 新6年生は新6年生で,三角形の底辺の比と面積の比,相似の応用,食塩水,速さと比,と重量級の単元が目白押しで,ついていくのが必死,という生徒も多いですね。正直ここは差のつく時期です。慌てず焦らず授業で解けなかった問題のおさらいを手を抜かずに行ってください。無理をせず一歩一歩,着実に進むことが大切です。

 

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 さて,入試が終わり各種データの解析も済んで,2月の下旬から3月上旬は各塾の入試報告会が花盛りです。今年はいわゆる三大塾の日能研・サピックス・四谷大塚の入試報告会を拝聴させていただきました。その感想や内容のさわりをご紹介したいと思います。

 

 まず最初に行ったのは日能研。

3大塾の報告会の中で一番こなれていたのがこの日能研でした。司会進行の先生,入試動向の説明をした先生,途中の講話の先生,いずれも話し上手で,この辺りは「企業としての人材の厚み」のようなものを感じました。

 入試動向はスクリーンとパワーポイントを使用してビジュアル的にもわかりやすい工夫がなされています。そして秀逸だったのは「日能研生の合格への軌跡」をまとめた動画。普段の塾での風景や日能研主催の個別相談会の様子,夏期講習会で流れる汗をぬぐいながら頑張る子供たちの姿,壮行会から入試当日へ,そして見事合格の栄冠をつかんだ瞬間の子供たちと寄り添うご父母の歓喜,最後に受験生へのインタビュー…
 時間的には20分くらいだったでしょうか。動画の紹介の前に司会進行の先生が「どうぞお手元にハンカチをご用意下さい」と茶目っ気を交えながらおっしゃっていましたが,確かにもらい泣きが会場中から漏れていました。

 

 合格発表のシーンはいつ目にしてもいいですね。最近は我々が合格発表まで見に行くことは少なくなりました。以前,ネット発表が一般的でなかった頃は,塾生の受験番号をすべて控えて受験者の多い学校の発表は手分けして見に行っていたものです。合否の把握を漏れなくするためなのですが,当然,発表の瞬間に教え子と出くわすこともあります。固唾をのんで掲示板の張り出しを待って,受験番号を見つけてお母さんと三人で抱き合ったりしたこともありました。また番号がなくて,男泣きに泣く受験生をお父さんと両側から抱きかかえるようにして連れて帰ったりしたことも…。

 当節は,というと,職員室のモニタの前に先生たちが鈴なりになってページ更新を待って,発表の瞬間はそれなりに湧いたりするものですが,以前のリアルな合否発表に立ち会うことと比べるとやはり味気ないものです。


 この動画の中の生徒インタビューではみな一様に「支えてくれたお母さんにお礼を言いたいです」「お母さんにありがとうって言いました」「やっぱり何と言っても両親に感謝したいです」と言っていてそれがまた観ている人(大半はお母さん)の胸を熱くします。「塾の先生に感謝」という答えもあったはずなのですがそれをカットしたのは作り手の見識でしょうか。


 会の後半に設けられていた各教科(国算理社)担当者によるパネルディスカッションは,工夫と意欲は買いますが中身は少々期待はずれでした。パネルディスカッションという形式は,クロストークと言うか,ある発言者の意見に関連してそれに対する反論や支持があって初めて活気づきます。「朝まで生テレビ」とまではいかないにせよ,「今,××先生から…という意見がありましたが,そこだけを強調されると誤解を招きかねないと思いますね」なんて言ってやんわりと軌道修正を図る。それに対して最初の発言者が再反論をする… そうすることによって論点が明確になっていくものです。しかしこの手の「パネルディスカッション」は全然ディスカッションになっていなくて,「では初めに算数の××先生」「次に国語の△△先生」「社会の××先生,社会はいかがでしょう」と進んでいくと,結局,論壇で一人ずつ発表するのとなんら変わらなくなってしまいます。

 

 これはひとり日能研に限ったことではないのですが,そもそも1教科あたりに直すと10分弱で「入試問題に見る今年の傾向」を話すのは無理があります。社会と理科は時事と絡めて頻度の高かったトピックスを挙げることはできますが,国語と算数は「流行(はやり)」や「目立った問題」を挙げるのは簡単ではなく,どうしても総花的な話になりがちですね。さりとてこのコーナーを設けないいわけにもいかず無理やり「象徴的な問題」を挙げるものの,その象徴的問題が全体像をきちんと代表しているようにも思えず(自分からみると),話し手の先生も苦労されているな,というのが率直な感想でした。理社については「震災がらみ」の問題が当然多く見られたものの,ではそれが2013年入試にどのようにつながっていくのは定かではなく,「さて帰って子供にどう話そう」と悩まれたのではないでしょうか。


 「キースピーチ」という講話は,大学全入時代に向けてどのような教育を目指すべきか,というテーマで,簡単に言うと「競争よりも『協創』を目指そう」という結論でした。ご説ごもっとも,とは思ったものの,はてなんでその話が中学受験の塾の入試報告会に?と,やや唐突な感じを受けたことは事実です。

 もともと日能研は先代の高木さんのころから「日本の教育を憂える」という視点での発信が多く,最上位クラスをそれこそディスカッションスタイルの授業にしたり,と,意欲的なアプローチをしています。それはそれで評価されてしかるべきですが,なにぶんこの世界は数字がすべて。完全に合格実績でサピックスの後塵を拝することになってしまった今,そんなご託宣よりも態勢の立て直しが先じゃないか,という口さがない陰口も聞こえてきます。

 しかし,わが国で初めて「中学受験のための塾」をきちんとビジネスモデルとして確立した功績は大きいと思いますし,また他の多校舎展開をしているネットワーク塾に比べると明らかに教え手の質は高く,どの教室に通わせても一定のクオリティが保障されているのは大きな強みでしょう。

 どんな業界でも,一社の独り勝ちはよくないものです。今後の日能研の巻き返しに期待したいですね。

 

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 今回はいったんここでアップします。次回は四谷大塚とサピックスの報告会の報告を数日後に。


2012年度入試も終わりました。


塾では新学年・新学期の授業がスタートしています。

今まで一緒に戦った6年生がお母さんと一緒にあいさつに来られます。


見事意中の学校を射止めた子。

図らずも第一志望・第二志望が×でいわゆる「抑え」の学校に行く子。

ある一線を引いてその線より下の学校は受験せず,結果,公立に進学して高校受験でリベンジを誓う子。


さまざまです。ですが,ここに来ると皆ある種のすがすがしさ,とでもいうのでしょうか,いい顔をしています。苦しかった受験という試練を経て,確実に子供たちは成長をしているんだなあ。毎年この時期になると感じることです。


中学受験はけっしてゴールではありません。ようやく勉強のスタートラインに立ったようなものです。なにも危機感をあおるつもりはありませんが,今回の入試の結果はあくまでも12歳のこの時点での完成度を競ったものにすぎない,ということは皆心に留めておいてほしいと思います。今回の受験がうまくいかなかった人は,何年後かに「あの時に失敗して,かえってよかったね」といえるよう,そして今回首尾よく行った人は「あのとき,第一志望に受かったことがかえって仇になっちゃったね」とならぬよう,これからの人生を歩んでいってほしいと思います。


お母さんたちからは「もう虚脱状態になっちゃって…。なんか,何もやる気が起きないんです」という声をよく聞きます。そうそう。一種の燃え尽き症候群,というのでしょうか。とくにお子さんが男子の場合,母子が力を合わせて何かに向かうのは,今回がさびしいけど最後の機会になると思います。中学になったら,大概の子は口もろくにきいてくれない。最初のうちこそ,いままでのようにいろいろ勉強面のアドバイス(というよりはありていに言うと「指図」ですが)をしますが,そのたび「うっせーな」「うざっ」というような反応しか返ってこず,やがて何も言う気が起きなくなります。でもこれは男子が男性になる過程で誰もが通る当たり前の道なので,さびしいけれどお母さんは受け入れなくてはなりません。母と娘だとまたちょっと違うようですが。


やがて何年か経つと,今回の受験が家族史の中で大きな節目だったことに気付かれると思いjます。家族が力を合わせ,一つになって共通の目標を目指す… 手段や対象がどうであれ,そしてまた戦いの最中はきれいごとばかりではなかったとはいえ,それはやはり家族の絆を深める出来事だったに違いありません。


お子さんが第一志望に受からなかったご家庭では,いつまでも「あの時,ああしておいたら…」と悔やまれるかもしれません。しかし,人生の岐路は無数にあり,それはあとから振り返るからこそ,別の道を行けば違う景色が見れたのではないか,と思えるのですが,でもそのときはベストの選択をしたはずです。後知恵をもとに終わったことを振り返ってみることにどれほどの意味があるのでしょうか。


もちろん,仕事やスポーツの試合などは,今後,同じような状況や場面になることはありますから,すんだことを冷静に顧みることも大切かもしれません。でも一度きりしかない人生,いつまでも「ああ,あそこで××していたら」という「ifの呪縛」に縛られるよりは,終わったことは終わったこととして早く前を向いてこれからの人生をよくするように努力すべきなのではないか,と思いますが。


塾では5年生をはじめとして6年生以外の子たち相手の授業がスタートしています。正直,ぼくらも最初はなんというか,気合が入らなくて困ります。塾では「新6年生」と呼ばれますが,なにぶん学校の学年はまだ5年生ですから,「えっ俺?」みたいな感じで,まだ6年生の自覚は生まれていません。これはやはり4月になり,学校でも最上級生にならないと難しいのだろうな,と思います。


このブログも初めての年度超えになります。いずれ書くことがまるっきりなくなる日が来るのでしょうか。まだまだ皆さんにお知らせしたいことが僕の中にもあるので,今後も続けていく予定です。またよろしくお願いいたします。