ここにいてもいいの?(TFGファシリテータートレーニング) | *わきあいママの和氣的生活 *

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ありがたいかけがえのない日常と旅日記を綴っています。

“ここにいてもいいの?”
とってもとっても小さいときから、わたしは、置かれてる環境で、この言葉を自問していました。

学校で、
友だちのなかで、
家族といるときでさえ。。
この社会に生きるひとりの人としても。。

そして、このトレーニングにきた時でさえ、その思いが沸き起こってきました。

ここまできちゃったけど。。どーなの?自分にできるの?
来てもいい人間だったの?必要とされてる方へ帰った方がよくない?
(こちらに来る数日前に、子のひとりが車横転の交通事故。。  ケガはありませんでしたが、要観察状態でした。。)

 
わたしの1回目のファシリテーターとしての練習ゲームのとき。。。
完全に氣が上半身にあがりきっているのがわかりました。

完全にどこかいってしまって、時折英語をつかうようになって、自分でもびっくり。。。
あたま真っ白状態でしたが、

それでも、シャーン!と自分が自動的になるパターンがわかりました!

 プレーヤーのかたに、今ここぞ!のときの、承認と励ましのメッセージをお伝えする時。。。真からのわたしの言葉を発して、それがよろこびとも感じている自分がいました。
 そして、プレーヤーの方が、奇跡・ミラクルのスクエアにとまられたとき!!
ここにとまると、全員が立ち上がって、ハレルヤを歌い、そのエネルギーを爆発させ、広がられていきます。
  あっ!この方がとまられた!と思った瞬間、その方の苦しまれた過程を目の当たりにみてきたからでしょうか、
 このエネルギー、一滴たりとも逃すまい!!と感じた瞬間、

  『すたんだーっぷ!!』
と叫んで、一気に天と地につながり、グラウンディングしてしまいました。


   人のことを思うとき、自意識がなくなり、ただゲームの一つのツールとなりえる私がありました。
 それは、いい悪いではなく、わたしの質を象徴しているものでありました。


そんな質は、プレーヤーのときも現れてきます。
とにかく、祝福・ブレッシングスクエアにとまることが多く、ほかのプレーヤーの方々に祝福をさせていただくことが多いのです。
そして、奉仕やサービスをするともらえるサービス・トークンというものがあるのですが、次のレベルに進むとき、それがないと進めないものです。2枚いただいたわたしは、相手のプレーヤーにあげようとしました。

非常におどろかれました。今までそんな人にであったことがなかったそうです

そして、メアリー先生から、フィードバックをいただきました。
『あなたは、与えることができる人。実生活のなかでも、さまざまな形で、ほかの人たちをその慈愛でサポートしていますね。
で、わたしは、気になったの。あなた自身は何をしたいの?』


ここからわたしは、丹田から手が離れなくなりました。

わたしはいったいなにがしたいのだろう。。。
どうなりたいのだろう。。。

とりあえず、今は、ここにいてもいい と、深く感じ入ること。
そして、自分自身で在って、次の練習ゲームにのぞみたい。
まちがっても、うまくできなくても、私自身でそこにいよう。。。


文章にすると、なんとも。。とほほ なのですが、丹田から熱いものがふきだすように、その思いが、熱く、わたしのからだを駆け巡り、細胞ひとつひとつに染み渡っていったのです。

そして、つぎのファシリテーターの練習のとき、
わたしは非常に落ち着いていました。

あがる、あがってない。。の次元の感覚ではなく、

いま、ここにいられるのがありがたい。。よろこびに震えていました。

メアリーの大きな愛でホールドされた、このうえなく安全安心な場所で、ここにいる人全員が、わたしのわたしであることをほんとうに願ってくれているのです。。。

ゲームの進行中、エンジェルカードをボードのどこに置くのかで、固まってしまった場面があったのですが、そのときでさえ、あなたはあなたでそこにいましたよ!とメアリーにいっていただけました。


ファシリテーターは、美しい場を創ること。愛を放つツールとして、ディバ
といっしょにただ存在していること。
そしたら、必要なことは、ただおきてきます。。。

メアリーから、ほんとうに大切なことを学ばせていただきました。

わたしも、ただ愛として存在したい。。。
そんなことを思いました。


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この日を境に、今まで4~5回、わたしのところにきていたセットバックカードのある1枚が、こなくなりました。

それは、
『あなたは、虐待によって後退しています。
というカードです。

わたしが自分自身を虐待していたのです。。


それにきがついたからこそ、きのう記事に書いた、
『矢は断じて受けない!』
と、強く決意することができたのだと思います。


人に強いたり、
コントロールしようとしたり、
比較したり、
優越感や劣等感を味わったり、
うらやんだり、さげすんだり、
する時代ではないのですね。

人にそれらをむければ、自分のところにはね返ってきてしまうのです。

わたしは、祈るだけ。。。


ひとりひとりが、祝福された存在であることを感じるられるよう。。。