ルイジアナ・ママ(飯田久彦) | 鈴木の一日一善・一日一曲

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フォークソング好きからニューミュージック好きへ、ヤン久ポップス好きから歌謡曲好きへ、ということで、お気に入りの楽曲についてダラダラ書いています。
お付き合いのほどよろしくお願いします。

ルイジアナ・ママ

(歌:飯田久彦 / 作詞:Gene Pitney・漣健児 / 作曲:Gene Pitney)

 

今日は、飯田久彦が歌う「ルイジアナ・ママ」を聴いています。

原曲は作詞・作曲者であるジーン・ピットニーが1961年に発売し、日本では同年暮れに飯田久彦がカバー、翌1962年に大ヒットしたとのことです。僕はまだ物心がつく前で、大ヒットの状況を覚えていません。

 

「ルイジアナ・ママ」は日本では大ヒット曲なのですが、本国アメリカではほとんど売れなかったようで、アメリカ人に「ルイジアナ・ママ」のことを聴いても知らない人ばかりなんだとウイキペディアに紹介されていました。日本で流行ったのは、曲が日本人好みのロケンロール(ロカビリー)だからなのか、歌った飯田久彦の魅力からなのか、漣健児の訳詞の妙か、これらが複合的に反応した結果なんでしょうけど、日本だけで大ヒットというのも面白いですね。

 

飯田久彦は、「ルイジアナ・ママ」の後ヒット曲に恵まれずに、所属していたレコード会社ビクター音楽産業にアルバイトとして入社、その後正社員となり、 1999年3月にはビクターエンタテインメント専務取締役にまでなっています。ロカビリー歌手というより音楽ディレクター・経営者として成功している人ですね。音楽ディレクターとしては、ピンクレディを育てた一人として有名です。

1999年6月には、テイチクエンタテインメント代表取締役社長に就任しています。ロカビリー歌手から一転、アルバイトから正社員、コツコツと実績を積み重ねついには社長にまで上り詰めている、ってすごいですね~。

唐突に、吉田拓郎の話です。吉田拓郎はレコード会社を転々として、フォーライフという会社を自分たちで作ったりもしているのですが、テイチクに移籍しています。その理由が飯田久彦が社長だから。飯田久彦がテイチクを去ってエイベックスに移ると、吉田拓郎も後を追ってエイベックスに移籍しています。拓郎と飯田久彦にはどんなつながりがあるのか、拓郎ファンとして興味津々です。

 

1962年当時、将来自分が社長になるなんて思いもせず、ただ若さをぶつけて歌唱をしていた「ルイジアナ・ママ」、改めてお楽しみいただければと思います(^^