娘がねじれる時
(歌:井上陽水 / 作詞:井上陽水 / 作曲:井上陽水)
今日は、井上陽水が歌う「娘がねじれる時」を聴いています。
僕は陽水ファンなのに、実は、陽水の歌詞の意味和をよく分かっていないということが多いです。とりあえず雰囲気で、『いいじゃない~』なんて通ぶっているのですが、今日聴いている「娘がねじれる時」がまさにそれで、『いい歌じゃない~』と取り上げてみたものの、いざ何か書こうとしたら『???』
困ったときは、ネットで調べるに限ります。見つけた2つの記事を紹介します。
その1 『Yahoo! 知恵袋』に次の質問が挙がっていました。
> 井上陽水の「娘がねじれる時」ですが、自分の娘の事を歌っているんでしょうか?
で、ベストアンサーを簡略すると、『自分の家庭云々という話ではないですよ。』でした。
その2 2016年11月23日(水・祝)19:00~20:47 TOKYO FMで放送された『ミュージック ドキュメント 井上陽水×ロバート キャンベル「言の葉の海に漕ぎ出して」』の中で、ロバート・キャンベル氏の質問に対する陽水の回答が「真実を表現することがモットーではない」「曖昧にしているからいい」
ということで、「娘がねじれる時」も、真実を実現している歌ではなく、曖昧にすることで幅と味わいを出しているという解釈ができます。
♪ 心と体と愛がねじれる
何だか分からないけど、『ねじれる』から、ぎゅっと絞られる感じ、ヒリヒリする痛みを想像し、その痛みが心にも体にもそして愛にまで感じられる。ねじれるという少し特殊な痛みを心と体と愛・3つ同時に感じるのは、家族だからじゃないかな~と思ったのですがいかがでしょうか。
ああ、このモヤモヤ感が陽水の楽しみの一つですね~。是非「娘がねじれる時」を聴いてモヤモヤしてください(^^;