僕らの国でも(LAZY) | 鈴木の一日一善・一日一曲

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フォークソング好きからニューミュージック好きへ、ヤン久ポップス好きから歌謡曲好きへ、ということで、お気に入りの楽曲についてダラダラ書いています。
お付き合いのほどよろしくお願いします。

僕らの国でも

(歌:LAZY / 作詞:伊達歩 / 作曲:水谷公生)

 

今日は、LAZYが歌う「僕らの国でも」を聴いています。

レイジーが元々はロック志向のバンドでありながら、大人の事情でアイドル路線を演じさせられていたことは知っていました。でもアイドル系のバンドというイメージが強いです。レイジーの代表曲は何と言っても「赤頭巾ちゃん御用心」ですし…。

 

今日は真面目に歌詞を見ながら「僕らの国でも」を聴いているのですが、先の通りロック志向と知っていながらも、「僕らの国でも」の詞はすごいなと驚いています。反戦歌です。ロック・アイドルが反戦歌を歌うってすごいですよ。

『この詞を書いた伊達歩って誰ヨ!?』とまたまたウィキペディアを見てきたら、何と作家伊集院静が作詞するときの筆名が伊達歩とのことで、直木賞作家伊集院静が作詞していたのでした。すごい!(直木賞とか権威に弱い僕…^^;)

 

スケールの大きな前奏から、スケールの大きな歌詞、世界のどこかで起きている戦争(タタカイ)に知らんふりしてていいのか、大人たちの決めた通りに走れるのかと問いかけてきます。いつか自分のことになるぞと警鐘を鳴らしています。

 

今日は8月12日、6日前は広島原爆の日、3日前は長崎原爆の日、そして3日後は終戦記念日。「僕らの国でも」を聴いて、諸々考えているのでした。

高が歌ですが、されど歌です。僕だけでなく、考えるきっかけにしてもらえれば。