小澤征爾さんが亡くなった | そうゆうクンのおはなし

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ちょっと「へぇ~」な仏教のお話、宜しければお付き合いください。

実際にコンサートでの指揮を見たことはないんだけど。

 

白髪をなびかせて、指揮棒を振るすがたを映像では何回もみた。

 

超有名指揮者でありながら、高慢さとは対極の人だった。

 

被災地にいき音楽の力でダメージを受けてしまったこころを包み込み

 

地方の小学校で、こんな世界もあるんだよって、呼びかけたり

 

世界中に、感動の種をまいた。

 

新聞に、いくつも追悼の記事がのった。

 

2月12日の朝日新聞に編集委員の吉田純子さんが一文を寄せていた。

 

小澤さんは泣き虫だった、と。

 

24年前。

 

長野の松本市でサイトウ・キネン・フェスティバル松本が開催された。

 

楽屋に小澤さんがいて、吉田さんも同席。

 

ドアがノックされて、若い男性と女性がおそるおそる入ってきた。

 

わたしたち先客がいたので挨拶してそうそうに出ていかれようとした。

 

小澤さんが、「だいじょうぶ だいじょうぶ どうぞどうぞ」と言った。

 

若いふたりは小澤さんに何枚かの写真を見せた。

 

「私たちの娘です」

 

お二人はご夫婦。

 

写真には、車いすにのった小学生くらいの女の子が写っていた。

 

笑顔の写真だった。

 

小澤さんが言った。

 

「ああ、この子! 覚えてる。ぼくのことを訪ねてきてくれたことがある」

 

小澤さんが表情豊かに笑った。

 

夫婦も、笑顔になった。

 

若い女性はやや、控えめに「亡くなったんです」と言った。

 

 

小澤さんは、本当に驚いた。

 

夫婦の方が、小澤さんの驚き方に驚いた。

 

小澤さんの顔が突然、ぐしゃぐしゃになった。

 

無言のまま、涙がぽろぽろ流れた。

 

のどから「くーっ」という声が漏れた。

 

若い夫婦が言った。

 

「この子はほんとうに小澤さんのファンでした。

 

小澤さんの演奏を聴くことに生かされていたので、一言御礼が言いたくて」

 

小澤さんの嗚咽が大きくなっていった。

 

外に聞こえたようだ。

 

チェリストのムスティスラフ・ロストロポーヴィチさんが入ってきた。

 

小澤さんがしゃくりあげながら何か言った。

 

チェリストが夫婦と小澤さんを招いて四人で丸い輪をつくった。

 

小さな声で祈りの言葉が響いた。

 

そのあと小澤さんは目を真っ赤にしながら、ファンへのサインに応えていたという。

 

小さな一人のファンが亡くなった。

 

遠い世界の遠い出来事ではない。

 

編集委員の吉田さんは、この感性こそ、小澤さんの本質だったのではないかと結んでいる。