前回は女神信仰についてお話しました。
英雄とは、この女神、世界に宿る生と死の力を代行者として差配する存在です。
自分の感情などは関係ない。自然界におけるサークル・オブ・ライフの一部となって、死すべきものは殺し、生べき者は生かす。
キャンベル教授は、イニシエーションによって英雄が獲得するものは「客観性」だと言います。
無私の客観性によって生死を知覚し、差配するのです。
女神の意思の代行者だと言えましょう。
女神というのは自然界そのものですから、自然現象の一部だとも言えます。
これ、蒼天航路において曹操の幕僚である荀彧が言うセリフなんですよ。
対して、儒者である劉備は大量の死者使ってダムを作り、生きるべき人を生かした曹操に許せんと激昂します。
人間に限らずあらゆる生命の亡骸を自然に返して次にいきる生命のために活用するのは自然の理なのですが、ヒューマニスト=儒者である劉備にはこれは耐えられないことなのですね。
これが仁者、すなわち私情の人です。
キャンベル式に言うと彼は英雄ではない。
神につながることのない、ただの人間なんですね。
して。
キャンベル神話学にはさらに先の段階があります。
それが、アモーレの段階なのです。
これは、神話的な視点、メタファーを離れて、個人を個人としてあるがままに観られるという個人主義の段階です。
私情の性愛であるエロスや神の愛であるアガペーとは違う、確立した個人としての愛です。
蒼天航路における曹操は、死後そこで若い頃に世の理不尽によって失った恋人の姿と再会します。
この恋人はシルクロードをわたってきた褐色の肌の奴隷で、彼女を失ったがために曹操は公正無私な正義の鬼と化して生涯を生き抜いていたのだということがここではっきりをわかります。
その恋人が、かつて彼に言ったことが、それが「アモーレ!」です。
蒼天航路では、作中に女神を進行する部族のような物が登場して、曹操の幕下に加わるという描写があります。
明らかにキャンベル神話学の視点から曹操を描いているものだと想像されます。