先日、大塚食品において、看板商品のポカリスウェットに異物混入が合ったことを訴えた社員が、自分一人しか居ない部署に異動させられ、カメラで監視をされるなどの嫌がらせを受けるという扱いをされていたという事件が報道されました。
これが今回の記事を書こうと思ったきっかけでした。
大塚食品さん、間違いなく一流企業と言っていいですよね?
この日本という国の、一流企業というのはそういう場所です。
一流企業に努めているサラリーマンというのは、そういったことをしたりされたりする社会階層だということです。
バブル景気で一時的に階層のブランドイメージが上がってしまって以後もそのままになっていますが、これが日本のサラリーマンという物の典型、実態なのではないでしょうか。
オルテガ先生に「根無し草」だと言われた中身空っぽの大衆のまんまです。
バブル崩壊後、世間を震撼させたニュースの一つが日産の大量リストラでした。
この事件によって、リストラという言葉が一般に広まったと言って良いでしょう。
高度成長期から言われていた、いい大学を出て一流企業に就職さえすれば一生「食いっぱぐれ」ない、「勝ち組」だという実態のない神話が崩れ去った瞬間でした。
たまたま景気が良かったからサラリーマンで優雅に安心して暮らせると思われていただけで、そんなものにはなんの根拠もなかったのですよ。
一生自分を勝ち組だと思って生きていけると信じていた50代の中間管理職者たちが、大量に路頭に放逐されました。
昭和までは、定年退職と言えば50代でした。
平成になってからは年金の支給も引き上げられてゆき、どんどん「勝ち組」たちの勝ち逃げ幻想が崩壊してゆきました。
現在では、70を過ぎてからも最低時給のアルバイトをして暮らすことが一般化してゆきつつあります。
数字で言うなら、現在の日本円の価値はだいたいパキスタン・ルピーと同じです。
十年前から私がここで訴え続けてきた通り、日本はいわゆる後進国と同じになってきています。
そのような環境では、当然自分で自分を生かすという、自分で仕事を作って稼ぐ能力が求められます。
しかし、日本ではその能力を与える教育が行われてきませんでした。
個としての能力を持ち合わせない群れの一匹であるようにという教育が推し進められ、サラリーマン優遇社会でそれを受け入れるという政治体制が敷かれていた。
そのルート、もう崩壊しましたよね。
政府の指導で太鼓叩いて笛吹いて、2階に上げてからハシゴを取られました。
2階にあったのは家畜小屋です。
いま、この国では肉屋に媚びる豚ばかりが溢れかえってひしめいています。
外の世界で自分で生きる能力を持たず、ただベルトコンベーで精肉機に運ばれていくだけの人生を送る人々です。
バブルの頃、安定しているだけで収入の低い公務員になるような奴はバカだと言われていました。
バブル崩壊後、公務員が高笑いをするという貧困国家の風潮に戻ったと聴きました。
以前請われて公務員の人たちが働くお役所で指導をしていたのですが、幹事の男性が「すいませんね、うちの人たちはもう、この職場入るとみんな天狗になっちゃってて」と言ったことがありました。
なんでこんな小役人に天狗になる要素があるんだろうと思っていたのですが、ちっぽけな世界観の人たちの間では、外国に住むことも広い地球を歩くこともなく、日々クビにならないというだけの職場で老人に成るまで日常を送るという人生が、天狗になるに値することらしいのですね。
なんという、貧しい……。
これが日本という国の社会です。
そしていまは、その公務員の退職金すら無くそうという動きが出てきています。
彼らもまた、引退後に定年退職して「勝ち組」になることなく低賃金で使い潰されるというベルトコンベアに乗っていたらしきことが可視化されつつあります。
彼らの中では自分たちは天狗でサラリーマンたちとの対比があったと思っていたのでしょうが、そんな物は存在していません。
みんなまとめて家畜です。
自分で仕事を作って、自分の力で稼いで居ない人たちは、みんなおんなじ飼われた生き物です。
能力があってあえてやっているのなら良いですが、そうではなくて終生それしかないまま生きているとした……いつだって買い叩かれて屠殺されることは誰にだって想像が付くでしょうに。
考えてくるということをしてこなかった人たちの末路なのでしょうね。哀れなことです。
彼らを追い込んだ詐術と搾取こそが、この日本という国、サラリーマン社会という独自の世界の実態だと言って差し支えないでしょう。
このベクトルは、引き続きいまの若者たちを飲み込もうとしています。
もう手遅れの人たちにだって、できれば生き直してここから離脱してほしい。
しかし、それよりもまず、まだ無事な若者たちが迅速な方向転換で避難をしてくれることを強く願います。
彼らはまだ、愚かしさの罪も怠惰の罪も犯していない。
どうか染まってしまう前に自力を養って、自分で生きられる場所にたどり着いてほしいと願うこと切実の日々を送っています。