80年代、日本が世界二位の経済大国にまでなったことで、本来は能無しの丁稚奉公だったはずのサラリーマンが本当に世界のビジネスマンであるかのような誤解が増強されてしまった。
本来、西側社会におけるスーツを着たビジネスマンというのは、英国紳士をその土台としています。
では英国紳士とはなんでしょうか。
それはつまり、植民地支配代行会社の職員です。
英国東インド会社の社員等がそのアーキタイプです。
日本はその西側植民地主義によって民主化をされたために、必然そのマナーの中で再出発をするに至って、国民がそうなってしまったのです。
結果、世界的にスタンダードなビジネスマンではなく、日本独自のローカライズをされた「サラリーマン」という存在が大量発生しました。
それが前の記事で書いたように、その野蛮さ、品性の低さで世界の人々を驚かしてきた訳です。
当時彼らは、エコノミック・アニマル、スーツを着たサルだとして悪名を轟かせていました。
しかしそのような伝統的価値観など彼らには関係ありません。
英語すら話せなくても構わないほど、彼らの経済力は強かった。
いや、話せないからこそ、文化というものに接することなくさらなる邪進化を邁進してゆけたのでしょう。
これによって、日本の社会では根無し草の丁稚奉公が、社会のスタンダードだという体裁が広まってしまいました。
元々はなんの仕事もできない、自分の仕事を作ることが出来なかった半端者たちが、社会の中核を締める憧れの対象となってしまったのです。
これをサラリーマン社会といいます。
我々からしたらその中で生まれ育ったので特に疑問は感じなかったのですが、サラリーマン社会なんて言葉があるくらいで本来は異様な土壌です。
私は年寄りに囲まれて育ったのですが、そのような戦後サラリーマン社会が成立する以前の祖父母等の口からは、時々「食いっぱぐれない」「食いっぱぐれる」というような言葉がまま出てきました。
もちろん、食いっぱぐれないというのは能力を持っていて、自分で自分の仕事を作り出せる人たちのことで、食いっぱぐれるというような人というのは……サラリーマンのことですね。
ですが、そういった価値観は狂ったようなバブル景気の破壊力でかき消されてしまいました。
ここには間違いなく、日本政府の意思が反映していたように思います。
大企業優先で、彼らは確実にそのような社会を意図してデザインした。
しかし、そうやってそれまでは食い詰めた次男坊三男坊だった連中をおだてあげて2階に上げておいて、ハシゴを外す結果になりました。
バブル崩壊です。
つづく