ゴジラ×コングは生態系の話だと書きましたが、これ、昔のSFの定番モチーフの一つなんですね。
ニュー・エイジの時代では、先日も映画が公開されたデューン・シリーズもその代表だと言われています。
どうにもならない人類に過酷な環境の中で、脅威と適応して生きてゆく中で、その生態系に順応してゆくということが描かれる物語です。
現代人はすでに自然の多くの克服してしまったと思う時代が経っており、人類こそが人類の脅威だという時代に入ってしばらく経ちます。
そのために人類は、天地自然、あるいはそれを表現とした「神」という存在と距離が離れてしまいました。
自我が肥大し、自己中心的になって存在が矮小化し、必然的に感性が低下して無力になった、というのが神話学的な解釈です。
SFの文脈で言うならこの後、人類は何も外敵の無いユートピアに済み、存在が退行して自殺をしてゆくようになってゆくというのが定番です。
自然のままの苛烈なサークル・オブ・ライフの中にあってこそ、人もまた生命が躍動するというのが昔ながらのバーバリズムのメッセージです。
第一次大戦前夜にこれを描いたのが、バロウズのターザン・シリーズですね。
文明の発展期にもう、その先の展開を呼んで描いていた。すごい作家ですね。
もう一つの看板シリーズ、火星のカーターのシリーズでも、宇宙船や一人乗りの飛行機などの科学が発展していながら、人類は素手やフェンシングで闘争をし、勇敢さや生命力を称え合い、コロッセオで誇りをかけて決闘をする、という蛮風を尊重した世界がある種の理想として描かれます。
その蛮風の生態系が、彼のペルシダー・シリーズを下敷きの一つにしたモンスター・ユニバースでも描かれます。
作中、天才科学者からなるモナークという組織のエリートたちが怪獣たちの故郷である地下世界を探検するのですが、その中で彼らは生死について非常にナチュラリスト的な会話をします。
ここで人が死に、人を食べた生物もまた他の動物に食べられる。これが生態系だというのですね。
神話学で言うサークル・オブ・ライフです。
この円環を、古代人は神と呼びました。
インドでは想像神ブラフマー、調和の神ヴィシュヌ、破壊神シヴァの三柱がその円環ですね。
肌が白い乙女の時は子を生んで育み、怒りにかられて真っ黒になると目に付く物をみな食い殺すカーリー女神もまた同じく。
日本では地上の人を毎日呪詛して殺して黄泉に連れ込もうというイザナミ女神と、ならば地上に人を満たそうというイザナギ神の二柱が一対となってこの円環となっています。
南米では、バナナと石の二つの神がこれとまったく同じ役割を果たしているのだそうです。
モンスター・ユニバースにおけるゴジラやコングもまた、これらに近い生態系を具体化した存在です。
つづく