以前何度かギャンブル依存症という物に触れてきました。
最近は大物スポーツ選手の周辺でこの話題が取り上げられることがよく目につきますね。
その影響で、ある芸能人の方がメディアの方から取材を受けたそうです。
この方は依存症で人生に躓いた過去があり、その後、陰謀論で洗脳されかかったところを周囲の助言で立ち直ったという経歴の方なので、左用な話題に一家言ありと見れられたためでしょう。
記者の側はこの件について「どういった性格の人が依存症になりやすいですか?」と質問をされたそうで、この方は「そういうことじゃない。人格関係なく、依存症は脳の機能の問題なので、環境さえ成立すればどのような人間でもなりうる」と言っていました。
そういう、機能的な問題だというのですね。
これはね、恐らくそうなのだろうと思います。
依存癖の強い性格の人間というのは存在します。
しかし、それとはまた別に、依存症というものは成り立っているのでしょう。
そういえば、過去にもスポーツ選手が絡んだギャンブルの事件を我々は何度も目にしてきました。
有名なスターがそれで話題になったこともありました。
そう考えるなら、やはり平素から脳が興奮しやすい環境にあるということがこの精神疾患の要因であるというのは納得がいくようなところも存在します。
実際にギャンブル依存症を患った人の文章を読んでみると、それはある種の生存本能に到達する刺激なのだということでした。
無事に賭場から立ち去るときに、自分は破滅の脇をすり抜けて生き延びたのだという、生の歓喜が湧き上がってくるのだそうです。
私自身、過去に何度も死にかけたのですが、その後は得てして生命機能が活発化するのか、あらゆることが新鮮に感じられました。
そのような感覚を得るために自作自演を繰り返しているのだとしたら、リストカットを繰り返すメンヘラ娘と大差がない。
乙女チックなナルシシズムに耽溺するのは、なんというかちょっと恥ずかしい気がします。
なんだか女装して鏡の前で自慰行為にふけってるみたいだ。
そういった女々しさを感じるせいか、私はギャンブルにも他の依存的な物にもまったく興味を持たずに生きてこれました。
しかし、たまたま手の届く処にギャンブルが満ちており、そして自らを省みる恥の意識が薄ければ……恐らく私もいつでも依存症になったことでしょう。