日本ではよく、何々の流派と某の流派、どちらが強いかというような話が出がちです。
しかし私はこれまでの経験から、これは中国武術においてはあまり意味がない視点だと思うようになってきました。
というのも、中国武術では流派を越えて◯◯拳という拳法が伝わっているからです。
流派というのを中国では門派、あるいは門といいますが、この門を越えて共通の拳法が伝わっている。
単純に、◯派◯◯拳と□派◯◯拳ということではありません。
もちろん、太極拳ではそのようなことがよく知られていますが、ここで話しているのはまた少し違う様相のお話です。
よく知られているのは長拳類です。
弾腿などの長拳類は、北派の多くの門派で行われています。
それぞれの門で重要な物として連行されています。
有名な李書文先生の李師八極門では、李先生が学んで取り入れた劈掛拳が伝わっています。
ただこれは、あくまで八極門の中の劈掛であって劈掛門の中の劈掛ではないと公言されていて、形は同じでも中身において相違点があります。
また、同じく名門の馬氏通備門でも八極拳、劈掛拳を併せて行っているのですが、これもまた李氏八極拳と出どころは同じながら劈掛拳の要素の強い勁を用いて通備勁と称し、他に翻子拳、弾腿なども併せて一門としているもので、同じ拳名ながらやっていることが違っていたりします。
ですので、それが何拳かということではなくて、何門の物なのかということのほうに意味が現れるような気がしています。