市民の責任 | サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ

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 先日も、いつも聴いているFM番組にピーター・バラカンさんが登場していました。

 バラカンさんは音楽のみならず、世界情勢や歴史などについて教えてくれて、それに関連した世相を反映した曲の紹介をしてくれます。

 今回は、メインDJをしているアーティストのLOVEちゃんが「今日は民主主義について一から教えてください」と言うお題を投げかけたのを受けて「ほっほっほ」と穏やかに笑いながら古代ギリシャのデモクレスから続く民主制について説明をしてくれました。

 それらの話を受けてLOVEちゃんが最後に総括したのが「民主主義の弱点として、国民が愚かだと破綻する」ということでした。

 私がいつも言っている通りです。

 愚民化は現在の民主主義における深刻な問題になっています。

 すでにこの国の民主主義も深刻な危機に陥っています。

 一部政治家においては何をしても法の裁きを受けず、検察が糾弾を中止するなどと言うことがあってはならないことは言うまでもありません。

「法の平等」「三権分立」という民主制の基本が崩れています。

 こういったことが成り立つ背景には、政権による意図的なリードが存在しています。

 戦後ずっと、この国の政権は愚民化政策を企画してきました。

 LOVEちゃんが言った通り、国民が愚かであるなら民主制を名乗りながら権威主義を成立されることが可能だからです。

 なんなら立憲君主制や王政だって可能です。

 もしかしたら、ですが、この国はあるとき「総理大臣の○○を永世君主にすると閣議決定した」と言い出したとしても、なんやかんやで結局その通りにことが運んでしまうのではないかという気がします。

 実際に、そういう発表をしていないだけで、ほぼ等しい環境に至っています。

 閣議決定による憲法改正にまで手を付け始めているのですから。

 それを阻止できないのは、ひとえに国民が愚かであり、自浄機能を果たしていないからです。

 それを作ったのが政権の愚民化政策です。

 ただ、これにはもう一段階深刻な物理的課題が存在しています。

 それは少子化です。

 現在、政権与党はどんどん保守的夫権制を強化していって、少子化対策(少子化を避けるのではなく少子化を進める政策)を推し進めていっていますが、これによって将来、権威主義に抵抗する分母はどんどん少なくなってゆくことになります。

 つまり、この国の政権が目指しているのは独裁制の小国なのですね。

 どうしてかつては世界二位だった経済発展国が、国民を減らして経済を悪化させて、インバウンドや兵器開発のような三流国家のような真似を志しているのかが不思議だったのですが、国の規模を小さくして管理状態を強化すれば少なくとも権力の中枢だけは安泰です。

 そのためには、明らかに少子化は有力な手札となる。

 なぜこれがそんなに有効な戦略かというと、少子化は民主主義の宿命だからです。

 先にLOVEちゃんが言った「国民が愚かだと民主制は破たんする」という言葉ですが、愚かでなくなるためには国民は学び続けなければなりません。

 しかし、技術レベルが向上し、世界情勢が複雑化すればするほど、学ぶべき課題は物理的に増加してゆきます。

 ソクラテス先生の時代のように少ない情報量で知性だけを働かせていれば良いと言う状況ではありません。

 まずは確認すべき情報が増加しているのです。

 そのために、膨大な知識を吸収する時間と学習期間が不可欠となります。

 現在、世界レベルの知能で言うと、日本の東大を出たくらいでは一級の知性とはみなされません。

 各国のトップの学校をいくつか出て初めて平均的な高学歴とみなされます。

 結果、そういったインテリの人たちは初めての就職が30周りとなり、結婚して家庭を作るのが40過ぎになることが当たり前になっています。

 これが知的階級の少子化問題ですね。

 あらゆる先進国と呼ばれる国でこれが起きています。

 となるとどうなるか。

 必然、少子化と重なって、国民の平均的知的レベルが下がってゆきます。

 出産と言うのはどうしても、二人で一つの命の再生産ということが中心になります。

 となると、知的階級の子供一人が再生産されるのに対して、非知的階級の子供は数倍が同じ期間で再生産されるからです。

 元々、知的階級と非知的階級の比率が1:10くらいだったとすると、次の世代ではこの比率がより増加します。

 致命的なまでの分断はこうして必然化してゆくのです。

 これを補うのが唯一、教育ということになります。

 政権与党、ちゃーんとそこに手を回していますね。

 稼げる大学というキャッチコピーで、労働者として機能するための職業訓練所としての大学を指向していて、物を考えるための知性を獲得する人文知をどんどん迫害して行っています。
 学術という物をあからさまに弾圧している。

 これが反知性主義の恐ろしさです。

 知性とそれを持った市民と言う、育成までに恐ろしく時間と労力がかかるリソースを、凄まじいまでに根絶やしにかかっている。

 一般にはこういう状況をディストピアと言います。

 確かに、高度知性者が社会を支配して専横すると言う状況は問題でしょう。

 それを牽制するために反知性主義という考え方がでたのですが、すでに知性のある人間が絶滅危惧種のようになっている環境で、それを根絶やしにまでしようとする必要はありません。

 明らかに生態系バランスを破壊しにかかっています。

 これではポル・ポト派と変わりません。

 このことをもっと深刻に受け止めて、国民は改めて市民意識を持ってゆくことが、自分たち自身のためなのは確実でしょう。

 学ぶことがしんどいからと言って、自分の人生を生きる権利を代わりに行使してくれる王様に与えてしまっては、必ず自分が損をします。