「ゲリラ戦のエスクリマってなんですか?」
うちには功夫の練習に来ていて、その他はバリンタワクのエスクリマを練習している生徒さんに訊かれたことがあります。
マニラにおける、大戦時および今に至る歴史的な流れなどを説明したのですけれど、いまひとつピンと来ていないようでした。
いつもの私の文を読んでいる、フィリピン武術に明るい皆さんの中には、翆虎はバハドのエスクリマに冷淡だ、と感じている人も居るかもしれません。
その通りだと思います。
なぜなら、ほとんど興味が無いからです。
とくにバリンタワク系。
いえ、好きな先生も興味深い技術もお気に入りのエピソードもあります。
しかし、それはあくまで私の個人的な話。
あくまで学徒としての公の目で見たときに、まったくタッチする価値を感じない。
というのも、私が武術に取り組む姿勢と言うのは、そもそも小我を離れるためです。
大きな世界を感じることでちっぽけで我儘な個人であることから離れようとする、一念法と呼ばれる行の取り組み方からです。
これは、お釈迦様の言う求道をすることで小我への執着を忘れられるというやりかたですね。
ですので、世界や人類史と言った、大きな物への取り組み方の一つとして武術を行っています。
そのため、自分を強くするとか勝つとか負けるとかましてや護身術なんていう自己愛と執着そのものに凝り固まったような病弊的なモチベーションで武術に取り組むこととは真逆の位置にいます。
ですので、より高い物、広い物、深い物、大きい物を掘り下げることに意味を見出しています。
そのような人類史の中で、バハドという短い時間の中での特異点は、とても面白い物だと思いますが、あまりに小さい。
バハドも現代式のパッド入りの棒でたたき合うトーナメント・ルールも、その意味では同じ、時代ごとの競技という縛りの中での物です。
私が取り組んでいるのはそのような時々の現代武道ではないのです。
ですので、どうしても創作新興流派であるバリンタワクと剣士としてのルーツであるドセ・パレスとでしたらドセ・パレスに興味がありますし、ドセ・パレスの中でもバハドに特化したカコイ・ドセ・パレスのスタイルと伝統諸派を集めたドセ・パレス・オリヒナルではやはりドセ・パレス・オリヒナルに圧倒的に関心が高まります。
セブに行けたら、やはりそちらを学ぼうとするでしょう。
そして、セブのエスクリマとマニラのエスクリマでだと、うーん、これが、難しいのですが、マニラのエスクリマには重大な意味が感じられるのです。
それが、ゲリラ戦の歴史です。
皆さん、セブと言うと何を連想されるでしょうか?
おそらくは地上の楽園、美しいリゾート地ということだと思います。
ではマニラはと言うと、危険地帯、いかがわしいカジノや風俗と言ったところではないでしょうか。
その、危険地帯のところがポイントとなってしまいます。カジノや風俗は見たことも無い。
私が子供のころ、昼下がりに学校から帰るとしきりにワイドショーがやっていました。
まさにワイドショーブームの時代だったのですね。
その中でしきりに目にしていたのが「マルコス大統領」「アキノ氏」また「若王子さん誘拐事件」という言葉です。
これが私が最初に接した、フィリピンと言う国の印象でした。
以前に、マニラと言うのは革命の街だと言うことを現地から写真と共に書きました。
あちこちに革命のモニュメントがあります。
そこに描かれた闘士たちが持っているのが、エスクリマ名物の山刀です。
その辺りへの書見について書いてゆきましょう。
参考となった動画は、たびたび登場いただいているケソンのアキラ先輩の作品です。
https://www.youtube.com/watch?v=SdfqHCyJbP4&t=25s
https://www.youtube.com/watch?v=ONKKdVpHr5M
つづく