土着の家伝剣術、アップデートして変化したバハド系、フィエスタでアップデートされた剣術系と言うフィリピンにおけるパラダイム・シフトについて書いてきましたが、これとは別のもう一つの流れがあります。
それが、ゲリラ戦のエスクリマです。
実は、これがフィリピンにおいては背景として切っても切り離せない物で、現在でも彼らはいつでも戦乱が起きると言う中で生きています。
90年代までは革命ゲリラや共産ゲリラが普通に居ましたし、二年前にも戦争が起きました。
ドゥテルテ大統領は今回のロックダウン下での食糧配給においても「山岳部にはヘリで運べ。ただ山には悪党どもが住んでいるから気を付けろ」と指示を出したそうですが、この悪党どもと言うのがいまだに山間部に潜んでいるゲリラです。
彼らは山岳部に訓練キャンプを作り、武装して、時に麻薬取引や誘拐ビジネスによって活動資金を稼いでいます。
以前ほどニュースになることはなくなりましたが、いまだにこのような武装集団がフィリピンには存在しているそうです。
彼らや、それらとはまた別の外国などの武装集団が軍事訓練のキャンプを所持しています。
ドゥテルテ大統領自身、通称デス・スクワッドと呼ばれる私兵部隊を率いていまの地位にたどり着きました。
そのように、各地に軍閥が盤踞しているのがフィリピンの現実です。
当然、彼らもまたエスクリマを訓練します。
ナイフでの近接戦闘は多くの軍の兵士が行いますし、そもそもキャンプを開くのにジャングルを切り拓かないといけないので、そのための山刀が日常の必須品となります。
そしてこの山刀がスペイン統治時代に、本国に送るサトウキビ政策において活用された物で、海賊との交戦に用いられたエスクリマの原点の兵器です。
マニラがロックダウンされて、建築業に就いていた私のマスターの一人は、農村部に引っ込んでそこで野菜の収穫をしていますが、やはり山刀を持って勤労しています。
このような、日用品を持ってそのまま有事には戦うということが、戦争と日常を地続きに暮らすフィリピンの土着の人々の武術となっているのがよく分かります。
もちろん、大戦時にも彼らは活躍いたしました。
この時には、首都であるマニラが活躍の中心地となります。
大戦時の都市戦や、マラカナン宮殿からマルコス大統領を追い出した革命のことを思うと、有事の動員数の多さに驚かされます。
これが生活に根付いたフィリピン武術の在り方だと見ると、フィエスタやバハドよりもこちらの生活型の方がより感覚としてフィリピンの武術観に近いのではないかという気がします。
フィリピン武術がナショナリズムと結びつく部分があるのも、これとは無縁ではないのでしょう。