キャリステニクスも少林拳の練功法も、脊椎に刺激を与えてホルモンの分泌を促して肉体を変化させる物である、というところで、同根の共通性を見せます。
我らが少林拳の言葉では、そのカテゴリーの練功を洗髄功と言います。
これは、濁ったり疲れたりした神経をリフレッシュされる気功として最初は取り組みます。
なので、手足の神経が対象として初めは習いました。
しかし、ある程度奥まで行ってから、脊椎に行う物を教わりました。
その方法は、私は夏場は良く行うのですが、冬場はあまり行いません。
というのも、スッキリとして背骨の中が冷えるような感じがうするので、夏場の暑さにうだっているときには良いのですが、冬場にはちょっと寒いのです。
直接的に肉体を変化させる易筋功と違ってこちらのはあまり重視していなかったのは、幸いにも私がそれほど神経が疲れてまいると言うような生活をしていなかったからというのもあるのでしょう。
目の疲れや耳の疲れなどに良い効果があるようなのですが、この辺り、ルーシーダットンとのつながりもやはり感じさせます。
目や耳などの五宮に関係すると言えば、これは気功で言うなら気の中でも神に分類される部分です。
神とは認識能力のことであり、それはすなわち人となりその物であるとされています。
ということはつまり、人間性を向上させるというのはこの神を練ってゆくことだ、と気功ではされています。
その意味で、本来はその効果のある洗髄功は非常に重要な物となります。
心臓の脈動から生まれた人間の気の内、上に循環したものがこの神であり、脳に属するのですが、下に循環して生殖器官に宿った物を精と言います。
この二つをして人間の精神と言うのですが、この二つを繋げる気功があります。
それが、房中術というカテゴリーに属する環精補脳法と呼ばれる一群の気功になります。
生殖に使われる時のために子宮や精巣に蓄えられ、遣われなければそのまま廃棄されてしまう精の気を、脊髄を通して脳に運んで神と繋げる気功です。
精子や卵子を脳に運ぶというとばかげて聞こえますが、そうではなくてそこに宿っている気を運ぶのです。
これがどういうことかというのは、実は多くの人が経験しています。
卑俗な例ですが、俗に男性は射精をした後は人格が変わると言います。まるで憑き物が落ちたようにコロリと変わってしまうのは世に珍しいいことではありません。これは、精子に宿っていた気がその働きを終えたためだと考えてください。まさに言葉通り「気が変わった」のです。
また、女性で言うなら女性周期の初期の激しいときなどに、イライラしたりして自分でも普段とは別人のようになってしまったと感じることがあるのではないでしょうか?
あれもまた、卵子に宿っている精の気が排出されることで、大量の気が体内から失われて神が消耗し、安定した人格を維持する力が乏しくなっていると考えられるのです。
そのような人となりの不安定さを補うためにも、完成補脳法は重要な物となります。
精を神に繋げるためには背骨にあると言われる衝脈という経脈を開通し、そこを通して精の気を昇らせてゆきます。
これがいわば精髄なのですが、これは実はヨガでも行われていることで、やはり人間性や霊性の向上を意味しており、悟りへの道だと言われているそうです。
しかし、これは同時に、クンダリニー症候群とも言って、上がったままの気が脳にこもってしまい、そこで熱を持ってしまって返って精神をおかしくするということが頻繁に起こるとも言われています。気功で言う偏差という状態です。
気功では、陰陽思想が中核となっているので、上げるがあれば必ず下げるということがあります。止まることなく循環し、円転するというのが陰陽思想です。
なので、今度は精から上がってきた気によって満ちた神を、下に循環させます。
これがすなわち、神髄ということでしょう。
こうして精髄と神髄を得るようにするのが、洗髄功の妙なのですが、こうなると肉体を変える易筋功にも影響が及びます。これもまた、精神と肉体という対になる陰陽の協調です。
生殖ホルモン、神経伝達物質という物の働きが上記の脊椎の内部の働きの活発化によって盛んな状態になっている訳ですから、肉体もまた免疫力や栄養の吸収力などが上がり、組織の成長も促進されます。
初めに書いた、キャリステニクスと易筋功の仕組みの部分の強化です。
どちらかというと枯れた印象のある日本のお坊さんのイメージに対して、インドや中国の僧侶が屈強な印象があるのは伝統的にはこういったことをしているからです。
健全な精神は健全な肉体に宿る。これはまさに、古代西洋キャリステニクスを推奨してきたギリシャ哲学の言葉です。
この哲学の実践を私も師父から学んで来ていまに至っているのですが、しかし、この素晴らしい効果の洗髄功には一つ問題点があるのです。
それは、気功としては上級な物であり、直接神経にアプローチするため、偏差が起きやすいのです。先に書いたクンダリニー症候群が頻繁に起きるというのはこのためです。
私自身も、師父からこの上級な物を習ったときには非常に意の働かせ方が難しいと思いましたし「これは偏差が起きやすいので、自己責任注意して行ってください」と指示を受けました。
結果、この功は一定段階まで修行が進んでこの人の神なら大丈夫だと思った人にしか伝えないようにしています。
なので、結果まだほぼ誰にも伝授していない……。
大変に良い物なので、出来れば多くの人に自分の心と肉体がどんどん良くなってゆく喜びを感じて欲しいのですが、危なっかしいチャレンジ任せるという訳にもいかず。
どうか、基本の段階までで皆さん一定のところまできちんと神を伸ばしてきていただければと願っています。
それもあって、武術をしながらではなく、気功などの部分を専修する伝統医術コースを開講した次第です。