気についてもう一度書いてみよう | サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ

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気持ちよく生きるためのライフスタイルとしての南派拳法(カンフー)蔡李佛拳とエスクリマ(フィリピン武術)ラプンティ・アルニス・デ・アバニコを横浜、湘南、都内で練習しています。オンライン・レッスン一か月@10000で行っております。
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 少し前に気によって他人の気を誘導して経穴を開くことを書いたり、最近でも太極拳において気功は必要なはずだということを書いていますので、ここで改めて私が書いている気とはどういう気のことなのかについて書いてみたいと思います。

 これは決して、近代日本の気合や気迫などと言う人間を無抵抗な道具にするための強弁としての物ではありません。

 なので、それの別形態に過ぎないスピリチュアルやオカルトでの気のような物でもありません。それらはすべて精神的な物であり、ゆえにまやかしのための詭弁以外の何物でもない。

 もともとの中国の思想における気とは単に力のことです。

 老荘の陰陽思想においては、すべての物を相対的に見ると言うのがミソです。

 西洋哲学では原子というところにまで世界を構成する物の単位を遡ることが出来ましたが、中華ではその原子と対になる物を想定しました。

 それが気=力です。

 すなわち、物質と力という二つによって世界は構成されていると考えたのです。

 この世界のあらゆる物質には、必ず力が伴っていることはいまや常識だと言ってもいいでしょう。

 イオンや重力と言った物をオカルトだという人はいません。

 イオンというのは電気ですね。

 重力というのは、重さです。老荘思想における世界観では、世界を構成する物の内、相対的に軽い物が陽の気と呼ばれて上に登ってゆき、重い物が下に降りて陰の気と呼ばれています。

 重さとはこの原初の陰の気の類だと言えます。

 この陰陽思想にさらに五行の思想が現れて陰陽五行説となったあたりからオカルトくさくなってくるのですが、純粋に昔の人が考えた間違っているところも含んだ科学として考えると、この五行の思想というのは物質の分類ということです。

 木火土金水というこれらの内、面白いのは金という存在です。

 これはギリシア哲学の四大元素(地水火風)にも含まれていないし、インドの五輪(地水火風空)にもない物です。

 しかし、この金、すなわち金属というのは科学の元素記号を必死で暗記した記憶のある方ならお判りいただけるかと思いますが、この世界を構成する物質の中で非常に多くの種類を締めているものであります。

 この中華の思想においては、この世界を大宇宙と言い、生命一つ一つを小宇宙と言います。

 すなわち人間一人一人が閉ざされた宇宙であり、外部の大宇宙と同じく五行すべてと陰陽の気によって内部世界が運営されているという考え方です。

 確かに人間の内にも無数に微生物が存在していて、またミネラルなどの金属も含まれており、一つの生態系を形成しています。

 これらの生命とエネルギーの働きが気です。別になんのオカルト要素も必要ない。

 人体と通るエネルギーの流れに鍼を刺すと気の通りが良くなって健康が良くなるというのがありますが、最近治療家から聞いた話によると金属の鍼によって体内の細胞にイオンとしてたまっている電気を中和して体内のバランスを変えているからだと言う説があるそうです。

 確かに電気が増すと磁力が増し、部分的に磁力が変わると血中の鉄分がそこに惹きつけられるので結構が滞ります。

 血液は体内の栄養を運ぶ役目があるので、滞ればエネルギーの供給が悪くなります。

 それをイオンから分解して血行を良くして治すというのは、野球選手やゴルファーが付けているマグネットのネックレスと同じ理屈ですね。

 電気風呂なんてのもあります。整形外科にいくとなんでもかんでもとりあえず電気を流されます。

 電気という気、磁気と呼ばれる金行の気はこのように現代語に置き換えればそれほど不思議な物ではないように感じられます

 人体に働いている気には他に衛気や水穀の気なんてのもありますが、衛気とは外部の邪気を寄せ付けない気のことです。

 というともろに厄払い、魔除けの信仰の世界の物に感じられますが、邪気とはこれ風邪なんかのことを言います。

 五邪の気と言って、他に暑邪、湿邪、寒邪、燥邪なんてのがありますが、暑邪とは暑気当たり、寒邪とは冷えのことです。お腹が冷えたとか寝冷えしたとかの。

 そういった物から身を守る免疫力のことを衛気と言っている訳です。別になんら大層なものでも神秘的な物でもない。

 水穀の気とは食べ物から体内に取り入れた栄養のことです。

 水の気はまんま水分、塩などのミネラルは金の気、カルシウムなどの土の気、野菜などの木の気があるのは当たり前のことです。

 火の気とは何かというと、これ最近巷で避けられがちな炭水化物を食べるとカロリーが摂取できますね。

 カロリーとは熱量のことです。炭水化物を体内で燃やして活動力にしている訳です。はい火の気。

 この働きを意味しているから、氣という漢字は中に米という字が入っていて、それが力になる様を顕している訳です。

 このようにね、気とは本来は単なる違う言語体系における物理用語に過ぎないわけです。

 私などはこういう気の話を女性に説明していると「でも人間機械じゃないんだから……心だってあるんだし……」と不満な顔をされてしまったりします。気にロマンを求めている人が多い。

 漢字の話で言うなら、氣という時には気という略字の他に汽というサンズイが付いた物もあります。

 サンズイというのは水を意味する記号ですね。

 お米を炊いて蒸気が出ている訳です。そしてこれが、古い意味では雲を意味していたのだと言います。

 すなわち、気とそこに込められた陰陽思想の意味というのは、雲から重さのために降ってきた雨が川に流れ込み、川は上から下に流れて

深い海に居たり、そして海は日に温められてモヤとなって上に登りますそうして蒸気として昇った水分は上空で雲になってまたいずれ降りてくるという訳です。

 これが陰陽の気の円転であり、世界の循環を象徴しているということです。

 この大自然の営みを象徴する気の生物として、中国人は龍を想像しました。

 昇ってゆく気を昇り龍、これを雲龍と言います。

 降りてくる気を降り龍、これは雨龍と言います。雨龍は烏龍とも言います。烏龍とは烏のような黒い龍。黒は五行で水を意味する色です。

 古い拳譜にある「雲龍は風を捲く」「雨龍は角を擺く」という言葉は武術における気と勁の運用を暗示しています。

 雨龍というのはまだ若い龍で角が無い姿で描かれます。擺くとは「ひらく」「配置する」という意味で、若く未だ角の無かった龍が成長して角を備える様を意味しています。という話は余談として、つまり上に上がる気で風を捲くように勁を用い、下に向かう気を持って角を振るような勁を用いる、ということと考えて差し支えないでしょう。

 烏龍盤打なんてのも良く聞く言葉です。

 盤とは我々蔡李佛の十字訣にも入っている物で、円盤状であることを意味します。

 つまり、烏龍盤打とは烏龍が渦巻くように円軌道を描いて打つということでしょう。

 絵図を観ると、雨竜は輪を描いて渦巻き、昇竜はまっすぐに天に昇っています。

 すなわち、曲と直がこの二龍でそれぞれ象徴されています。

 昇る気は直で用い、降る気は曲で合わせる。

 方やで伴う勁は捲くように用いられることもあれば、ひらくようにも使われえる。外形と内勁は別の動きをしていることがあります。見た目通りの力だったらそれは単なる格闘技の力であって中国武術の物ではない。大事なのは中身の使い方なのです。

 そのエネルギーの用い方のことを、昔の人はこのように表現していたという訳です。

 決して気迫や気合で打てとかそういうことではない。そのような勘違いがオカルトと精神主義、スピリチュアルという現代の心の病の世界に人をいざなってしまう。ブラック企業もパワハラも鬱病も妄想狂も、気の円転で繋がっています。

 とまぁこのように、うちでは気という言葉をいろんな力の流れを表現した物と用いています。迷妄に囚われるのはまさに活動の趣旨そのものに反する。

 純粋技術、純粋哲学、純粋科学としての読み解きで、中国武術の命は十分に我々現代人に活用できるものになると思っています。