さて、フィリピンに再訪前ということで改めてアルニスのことを書いてみましょう。
アルニスはフィリピンの武術で、元は十四世紀にスペインから渡来した剣術が普及してゆく過程で土着化したものです。
そのためにそれぞれの流派によってスタイルがまったくことなり、独自の必殺技に拘る派もあれば、他の国の武術と融合して独自の物になったスタイルもあります。
私たちの派は、ラプンティ・アルニス・デ・アバニコという物です。だいたいこんな感じ。
https://www.youtube.com/watch?v=cruyyAWhXZc&t=9s
見た目に時々出るように、中国拳法と融合されて成立した物です。
そのカンフーが、私の継承している蔡李佛拳です。
なので、我がSMACはこの流れを系統立てて学べる世界でもわりに珍しいクラブとなっています。
融合される前のラプンティ・アルニスは、アルニス・デ・アバニコと呼ばれる一派の一つでした。
これは19世紀の剣術家、アルセニオ・カブルナイの武者修行によって一度完成をみたものであると言われています。
のち、アルセニオのに十歳以上離れた弟のフェリモンは剣士仲間のフアン・アベッラ、アントニオ・アリンガソン、コンコルディオ・エンカボ、ラモン・フェルナンデス、ラウリアノ・サンチェスらと訓練を積み独自の「アルニス・デ・アバニコ」という剣術のタイプを作りました。アバニコとは扇子のことであり、センスを振るように剣を使うからこのように命名されました。
このスタイルの特徴は、接近戦に優れ、速度があり、多人数戦を旨とするということです。
セブの多くのアルニスが、一対一の決闘用に進化していったこととは少し差異があります。
その決闘(バハド)特化のアルニスの代表が、カコイ・カニエテ大先生であり、彼の流派であるコルト・クルバダを教えるカコイ・ドセ・パレスです。
https://www.youtube.com/watch?v=fcwZywgtJXE
コルトとは英語のショート、短い間合いという意味で、クルバダとはこの扇子を振るような打ち込みのことです。すなわち、私たちのアバニコ・アルニスに非常に近い動きです。
このコルト・クルバダスタイルでカコイ先生はバハドにおいて向かうところ敵なしとなりました。
彼の家はもともと剣士の家系であり、兄弟も剣士でありました。ドセ・パレスとは彼の一族が取り仕切る剣術道場で、もともとは十二個(ドセ)の流派の伝統剣術が学べるというのでその名を付けたものです。
カコイの兄のフェリモン(カブルナイのフェリモン先生と偶然同じ名前です。通称はモモイ・カニエテ)は、カコイが決闘の訓練にばかり専心して本来の伝統剣術をやらなくなったことに異論を抱き、伝統的な剣術の継承をするクラブを開設しました。それがサンミゲル・エスクリマです。
https://www.youtube.com/watch?v=XZEZc0CNtuI
この動画の49秒あたりに出てくる男性の服についているロゴをみて下さい。見づらいのですが、実はドラゴン殺しの大天使、聖ミカエルの姿が描かれています。
サン・ミゲルとは聖ミカエルのことだそうです。フィリピンの名物サンミゲル・ビールもここから来ています。
この男性、こちらの動画に出ています。ロゴもよく確認できるのでどうぞご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=jclgmNTljqc
ここで見逃せないのが、ロゴの下にサンミゲル・イ・アバニコと書かれていることです。
イとはスペイン語で&を意味します。
つまり、サンミゲル・エスクリマとアバニコ・アルニスの流れを汲んでいると言うことです。あの、上の動画のあの男性がナイス・ミドルになって出てきています。
とはいえ、これは彼が昨日今日融合させたものではありません。
実はサンミゲル・エスクリマのフェリモン・モモイ先生が50代のころ、フェリモン・カブルナイ先生はサンミゲル・ドセ・パレスに呼ばれてアバニコ・アルニスを教授したと言うのです。
つまり、そのころまでもモモイ先生は伝統剣術を保存しようとし続けていたことがうかがえますし、またフェリモン先生のアバニコ・アルニスがそれだけ認められていたことも類推できます。
動画のナイスミドルの男性はフェリモン・カブルナイ先生の息子で前の宗家である故オンド・カブルナイ先生にも面会をしています。
https://www.youtube.com/watch?v=bntZGGrMfyQ&t=121s
こうして現代化が進んでいる世界の中で、伝統的な剣術を保持している仲間がいるということは、私には非常に感動的に思えます。
いまだこの分野への関心が薄いこの国で自分が行っていることは孤独ではあるのですが、その孤独は価値があるものであると感じています。
先日、うちの生徒さんで、私など及びもよらない立派な会社にお勤めで海外にも稽古に行く方に、ある有名な先生の連絡先を知っているからご存命の内に習ってきてはいかがかとお話しました。
謝礼は三十万円ほどで、直接先生から段階を経た技術が伝承してもらえるという話でした。
その生徒さんは、三十万は少し高いのでなかなか払えないと言うことを言われました。
あぁ、そうなのか、と思いました。
私はもともと日本の古武術をしていたので、その値段は常識的な値段だと思っていました。
しかもいくつもの段階を教えてくれるというのは良心的だと思っていました。
日本では、一段階ごとに数十万ということも別に不思議ではありません。
ある日本剣術の先生は、ある時その方の先生に呼び出されて突然二百万を要求されたと言っていました。さもありなん。
私自身、初めてマニラに行くときは三十万円を用意していました。
いざとなったらお会いして入門するためです。
偶然、いくつかのスタイルを当たっているうちにいまのグランド・マスタルを紹介されて、向こうから認められてマスターに取り立てられましたが、そうでなければいまでも先の先生のところに行かない理由は多くありません。
私にとって人生とは、いまのような生き方をするための物なので、ブランド物や自動車にお金を払う気は薄くても、武術の真実を学ぶのに三十万は比較的安いと感じられる。
このような生き方をしている人間が世界には時々いて、上のナイス・ミドルも同じカテゴリーの先人なのだと思われます。
私はこの生き方が見つけられて、本当に良かったと思って日々を送っています。
こうして真実を学んで共に生き、それを好学の士に分かってゆくということは、大変に意義があるものに感じられます。