白壁に赤ペンキの遺言 | 南風のブログ

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脳梗塞患者で闘病生活中です。
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小学校(ギャングエイジ)時代の遊び場が、

最恐スポットになっていたのを紹介しました。

記事はこれです。

 

 

 


世界地図から日本に入り、北海道から釧路、阿寒湖と縮小して行って、

道道雄別釧路線を布伏内から自転車目線で雄別に向かいました。

道道222号線です。通行止めのはず。

「炭鉱住宅跡鶴ケ丘アパート」を過ぎて、「喫茶かくれんぼ臨時休業」を過ぎて

「雄別炭鉱給油所跡」を過ぎて、「雄別炭鉱記念碑」を過ぎて、

「雄別炭鉱職員クラブ跡」を過ぎて、「雄別商事(購買会)跡」を過ぎて・・・

 

というか、何もないです。

航空写真でも何も見えない。

 

 

布伏内から山を越えて、途中道端に不法投棄されたゴミ山があって、

物凄い数のカラスが群がっている時があって、小学生には怖かった。

山が、下りになって、ちょっと開けたところに出ると、

廃棄された工場があって、脇に大きめの沼があって・・・

 

沼なんて何処にもありません。消失しました。

筏を作って浮かべて遊んだ、大きめの沼。

ターザンごっこも含めて、当時の遊びは命がけだった。

誰も死ななかったのは奇跡。のような昭和のギャングエイジでした。

 

そして、もう入れなくなったあそび場「雄別炭鉱跡」で、

強く、記憶に残っていることがあります。

 

(※ もう忘れてしまいそうなので備忘録として残します。)

 

建物の白壁に赤ペンキで、大きく書かれた遺言的文字です。

毎回、雄別に行く度に、読みました。

多分こんな感じ。

「お前の心はよめたり、お前に使われていたことを後悔する。

もしお前に、人の心があるのなら、残された人を大切にしてほしい。

〇〇どのへ 〇〇〇〇」

20年前に、雄別炭鉱跡地に来た時も、

この文章を確認したくて、目指したのですが、通行止めで果たせませんでした。

当時の仲間に逢うことも出来ないので、誰か覚えていないか確認できないし、

こんな文章であっているか、わかりません。

 

でも、還暦過ぎのボケた頭で、ここまで思い出せたら上出来でしょう。

一応、中学一年で一番成績が良かったのは南風だし、

高校入試で旧制中学に進学したのも、当時の仲間では南風だけだったから、

みんな、お前が覚えているのが多分一番正確だと、言うにちがいない。

学級代表だったしね。

 

お読みいただき、ありがとうございました。