「黄色い星の子供たち」
(原題: La Rafle. )
2010年3月10日公開。
フランスでのユダヤ人殺害事件を描く。
興行収入:$25.6 million。
監督・脚本:ローズ・ボッシュ
キャスト:
- アネット・モノ: メラニー・ロラン
- ダヴィッド・シェインバウム医師: ジャン・レノ
- シュメル・ヴァイスマン: ガド・エルマレ
- スラ・ヴァイスマン: ラファエル・アゴゲ
- ジョー・ヴァイスマン: ユゴ・ルヴェルデ
- シモン・ジグレール: オリヴィエ・シヴィー
- ノエ(ノノ)・ジグレール: マチュー・ディ・コンチェート/ロマン・ディ・コンチェート
- ラケル・ヴァイスマン: レベッカ・マルデール
- ディナ・トローブ: アンヌ・ブロシェ
- エレーヌ・ティモニエ: イザベル・ゲリナス
- ピエレ大尉: ティエリー・フレモン
- 管理人“タチ”: カトリーヌ・アレグレ
- ベラ・ジグレール: シルヴィー・テステュー
- コロー: ドゥニ・メノーシェ
あらすじ:
1942年、パリ。
少年ジョーの家は貧しく、ユダヤ人の印である黄色い星を胸につけていた。
だが、父(ガド・エルマレ)や母(ラファエル・アゴゲ)、親友のシモンやシモンの弟ノノらと幸せな日々を送っていた。
そのころユダヤ人迫害政策を推し進めていたヒトラーは、ナチス・ドイツ支配下のフランスに、ユダヤ人を引き渡すよう要求する。
ラヴァル首相はパリ地区の外国籍のユダヤ人2万4000人の検挙を決定する。
ドイツ側は子供の除外を提案するが、孤児の面倒を見切れないことから、ラヴァルが反対する。
ユダヤ人の間で検挙の噂は流れていたが、兵器工場に必要な男だけだと信じられていた。
しかし7月16日午前4時、女子供もあわせて1万3000人のユダヤ人が検挙され、ヴェル・ディヴ(冬季競輪場)に移送される。
赤十字から派遣された看護師アネット(メラニー・ロラン)が、ヴェル・ディヴにやってくる。
数千人の患者に対し、医師は自身も検挙されたシェインバウム(ジャン・レノ)だけ、看護師はアネットを入れて6人しかいなかった。
シモンとノノの母親(シルヴィー・テステュー)は、流産が原因で亡くなっていた。
しかしノノは母の帰りを待ち続ける。
劣悪な環境で5日間を過ごしていたユダヤ人に対し、ホースの点検に来た消防団の責任者が1度だけ消火用の水を振る舞った。
人々は親戚や友人に宛てた手紙を消防士に託す。
突然、彼らはロワレ県ボーヌの収容所へ移送される。
共に移動したアネットは、不潔で食料も乏しい環境に愕然とする。
ユダヤ人と同じ食事を続け、痩せ細ったアネットはその姿で知事を訪ね、食料の配給を受ける。
ある日、ユダヤ人しか行くことのできない別の収容所への移送が決まる。
今回は子供を残して、大人だけが出発することになる。
残されジョーは、ノノをおぶって脱走しようとシモンを誘う。
しかし子供たちには過酷な運命が待ち受けていた。
コメント:
ナチス・ドイツ支配下のパリで行われた史上最大のユダヤ人一斉検挙“ヴェル・ディヴ事件”を子供たちの視点で描いたヒューマンドラマである。
出演はメラニー・ロランとジャン・レノなど。
ナチス・ドイツの占領下にあったヴィシー政権時代のフランスを描いている。
原題の「La Rafle.」は「一斉検挙」の意。
1942年7月16日、ナチス占領下のフランスでユダヤ人約1万3000人がフランス警察に検挙されドイツの強制収容所に送られたヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件(ヴェル・ディヴ事件)。
わずかに生き残った400人の証言を元に当時を再現している。
この事件に対してフランス政府は1995年まで「ヴィシー政権はフランスではない」として一切責任を認めようとしていなかった。
ボシュ監督の夫の家族はユダヤ人であり、劇中のウェイスマン一家の近所に居住していた。
また自らの父もフランシスコ・フランコに拘束された経験を持つ。
そのためボシュはヴェル・ディブ事件を描くことを決意し、当時を知るジョゼフ・ヴァイスマン 、アネット・モノーに出会い、証言を元に台本を書いた。
主演にコメディアンのガッド・エルマレを抜擢。
しかし完全に畑違いのドラマチックな作品に一度はためらうものの、台本を読み作品の奥深さに感動し、出演を了承した。
赤十字社で働く諸国民の中の正義の人であったアネット・モノー役には、ユダヤ系女優のメラニー・ロランを抜擢した。
第二次大戦のユダヤ人ものだが、ここでは1942年にフランスのヴィジー政権がナチスに協力してパリにいる一万三千人のユダヤ人を収容所に送った、という事実を描いている。
自転車競技場に一万三千人を無理やり押し込めてろくに食事も与えなかったというエピソードが描かれており、フランスが今まで明らかにしたくなかったというこの実態は驚きである。
そんな中で、本当は二万五千人捕まえる予定だったのに、パリ市民が約一万人強の人々を匿ったことや、競技場内での消防士のエピソードなどは、せめてもの抵抗なのかもしれない。
ナチスの存在がいかに世界を戦慄させたかが分かる作品である。
この映画は日本ではあまり知られていない。
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さて、この映画は史実にある事件を描いているのだろうか。
ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件(ヴェロドローム・ディヴェールたいりょうけんきょじけん、フランス語: Rafle du Vélodrome d'Hiver)、または、その略称であるヴェル・ディヴ事件(Rafle du Vél' d'Hiv、日本語ではベルディブ事件とも)は、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの占領下にあったフランスで1942年7月16日~17日に行われた最大のユダヤ人大量検挙事件である。
本質的には外国から避難してきた無国籍のユダヤ人が標的だったとされる。
ナチス・ドイツはホロコーストの一環として1942年の7月、占領したヨーロッパ各国でユダヤ人を大量検挙することを目的とした「春の風」作戦(Opération Vent printanier)を計画した。
フランスにおいては、親独のヴィシー政権がフランスの警察官ら4500人以上を動員して作戦を実行した。
警察庁の記録によれば、7月17日の終わりには、パリと郊外での検挙者数は1万3152人で、そのうち4115人が子供だった。
ヴェロドローム・ディヴェール(Vélodrome d'Hiver、「冬季自転車競技場」の意味)とはパリ15区にあった自転車競技場ないしスケート競技場のことで、本事件で用いられた中間収容施設の中で最も大きかった。
最初、検挙されたユダヤ人達の多くは5日間、ここに閉じ込められた。
競技場に屋根はなく、真夏の太陽が照り付ける中、食料や飲料水をほとんど与えられず、トイレも少なかった。
身動きもできないまま、飢えと渇きと臭気に襲われ、その光景は人間に対する冒涜そのものであった。
その後、アウシュヴィッツを初めとする東欧各地の絶滅収容所へと送られた。
収容所生活の中で、終戦までに生き延びたのは100人に満たない大人のみで、子供は生き残らなかったという。
数少ない生存者であるジョゼフ・バイスマンの回想によると、拘束されたユダヤ人はヴェロドローム・ディヴェールからパリ郊外の収容所に移され、一週間後にドイツ側の命令で大人全員と一部の子供がバスで送り出されることになり、我が子と引き離される母親の悲痛な叫び声やフランス警官の怒号が収容所に響き渡った。
バイスマンは、このままでは危険だと感じて同年代の男児とともに鉄条網を潜り抜けて脱走し、フランス解放まで養護施設で過ごしたものの、両親や姉妹を含むほとんどの被害者が絶滅収容所に送られて殺されたことを後に知った。
彼は、中年まで自らの体験を語ることはなかったが、同じくホロコーストを生き延びたユダヤ系フランス人政治家シモーヌ・ヴェイユに説得されて「語り部」となり、映画『黄色い星の子供たち』のモデルになったのであった。