自民党総裁選 石破茂 「最後の戦い」が吉と出るか?  世論調査で第1位! | 人生・嵐も晴れもあり!

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石破茂というベテラン政治家が、今回の自民党総裁選に正式に出馬すると表明している。

 

長期間自民党にいながら、総裁の椅子が遠かったベテラン代議士が、「最後の戦い」と称して、今回の総裁選に出馬するという。

 

 

まずは、この異色の政治家の出自とこれまでの経歴を見てみよう。

 

 

石破 茂

いしば しげる

                

2015年撮影

生年月日 1957年2月4日(67歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都千代田区
出身校 慶應義塾大学法学部法律学科卒業
前職 三井銀行(現:三井住友銀行)行員
所属政党 (自由民主党〈田中派事務局職員→中曽根派→渡辺派〉→)
(新生党→)
(新進党→)
自由民主党(平成研究会→無派閥→水月会)
称号 法学士(慶應義塾大学・1979年)
配偶者 石破佳子
親族 祖父・石破市造(大御門村長)
父・石破二朗(公選第4-7代鳥取県知事、第28代自治大臣、第38代国家公安委員会委員長)
サイン
公式サイト 石破茂オフィシャルサイト

日本の旗 内閣府特命担当大臣(地方創生)

内閣 第3次安倍第1次改造内閣
在任期間 2015年10月7日 - 2016年8月3日

日本の旗 内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)

内閣 第2次安倍改造内閣
第3次安倍内閣
在任期間 2014年9月3日 - 2015年10月7日

日本の旗 第48代 農林水産大臣

内閣 麻生内閣
在任期間 2008年9月24日 - 2009年9月16日

日本の旗 第4代 防衛大臣

内閣 福田康夫内閣
在任期間 2007年9月26日 - 2008年8月2日

日本の旗 第67-68代 防衛庁長官

内閣 第1次小泉第1次改造内閣
第1次小泉第2次改造内閣
第2次小泉内閣
在任期間 2002年9月30日 - 2004年9月27日

その他の職歴

日本の旗 衆議院議員
(鳥取県全県区→)
鳥取1区
当選回数 12回
(1986年7月8日 - 現職)
 第50代 自由民主党幹事長
(総裁: 安倍晋三)
(2012年9月28日 - 2014年9月3日)
 第52代 自由民主党政務調査会長
(総裁: 谷垣禎一)
(2009年9月29日 - 2011年9月30日)

 

石破 茂(いしば しげる、1957年〈昭和32年〉2月4日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(12期)、自由民主党総務。血液型はB型[3]

防衛庁長官(第68代・第69代)、防衛大臣(第4代)、農林水産大臣(第48代)、自由民主党政務調査会長(第52代)、自由民主党幹事長(第50代)、内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)、内閣府特命担当大臣(地方創生)、さわらび会会長、無派閥連絡会顧問、自民党たばこ議員連盟副会長、水月会会長などを歴任。

父は、建設事務次官、鳥取県知事、参議院議員、自治大臣などを歴任した石破二朗。

 

1981年、父・二朗が死去。父の死後、二朗の友人であった田中角栄から「おまえが(おやじの後に)出ろ」と薦められ、政界入りを決断。

1983年、三井銀行を退職し、田中角栄が領袖の木曜クラブ事務局に勤務する。

1986年、第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で鳥取県全県区(定数4)から出馬し、得票数は最下位ながら4位で初当選した。当時29歳で、全国最年少の国会議員であった。

 

以後も9期連続当選をはたす。

1988年9月2日、リクルート事件をきっかけとして武村正義、鳩山由紀夫らとともに政策勉強会「ユートピア政治研究会」を結成する。

1990年の第39回では鳥取県全県区でトップ当選する。

1990年、衆議院農林水産委員会理事に就任。

1992年、宮澤改造内閣で農林水産政務次官。

 

このように、華々しく政界に登場し、順調に政治家として実績を上げてきたのだが、その後は波乱の人生を歩むことになる。

 

1993年の宮澤内閣不信任決議を巡って、与党の一員でありながら賛成票を投じる。

離党はしなかった。

第40回衆議院議員総選挙では、公認が得られず、無所属で出馬し、再びトップ当選する。

1993年、細川連立政権が推進した政治改革関連4法案をめぐり、野党に転落した自民党の方針に反して賛成し、役職停止処分を受ける。

自民党離党と新党参加を決意したのは、河野洋平自民党総裁(当時)の下で、「憲法改正論議を凍結する」という方針だったことが原因だったという。

これをきっかけに、自民党を離党し、小沢一郎率いる新生党に参加する。

河野自民党が護憲路線の他方、小沢率いる新生党は集団的自衛権の行使容認を政策として掲げ、憲法改正にも積極的だということで、「本来の保守は新生党になったんだ」と思い、入党することにしたと述べている。

 

ところが実際には、集団的自衛権・憲法改正政策論議が党内で行われることはほとんどなく、権力闘争が繰り返されているという有様であった。

石破が憲法改正や安全保障問題などを党内で議論しても、それが党としての政策に反映されることはなかった。

そのため、本格的な政策論議をするためと小沢は小選挙区導入を推進したはずなのに、理想とはほど遠い現実であった。

 

その後、新生党はいくつかの新党と合従連衡したのちに大きな党となったので、自民党と対峙する二大政党制確立のためと主張する新進党結党にも参加する。

しかし、1995年に党首に選出された小沢一郎の憲法改正論議のない安全保障政策に失望した。

1996年の第41回衆議院議員総選挙の直前になって、新進党は「集団的自衛権は行使しない」「消費税はこれ以上上げない」等のまったく異なる政策を掲げた。

そのため石破は、衆議院選挙前に単身、新進党を離党。

総選挙では新設された鳥取1区から無所属で出馬し、過半数に達する得票で圧勝した。

以後8度、鳥取1区では対立候補に1度も比例復活を許さず、当選を続ける。

1997年3月、橋本龍太郎首相率いる自由民主党に復党した。

 

2000年、第2次森内閣で農林水産政務次官に任命される。

2001年、第2次森改造内閣で防衛庁副長官に任命される。

 

2002年、第1次小泉内閣第1次改造内閣で防衛庁長官に任命され、初入閣した。防衛庁長官在任中はアメリカ同時多発テロ事件の発生による有事法制の制定や、陸上・航空自衛隊のイラク派遣に取り組んだ。

 

安倍晋三の退陣に伴う2007年自由民主党総裁選挙では福田康夫を支持し、福田が総裁に選出される。

福田康夫内閣では防衛大臣に任命され、約3年ぶりに防衛省へ赴任する。

翌2008年、福田首相の退陣に伴う自由民主党総裁選挙に出馬し、25票で立候補者5人中最下位に終わった(当選者は麻生太郎)。

 

2008年、麻生内閣で農林水産大臣に任命される。

農林水産大臣は松岡利勝(自殺)、赤城徳彦(辞任)、遠藤武彦(辞任)、太田誠一(辞任)ら前任者の多くが不祥事に見舞われていたが、石破は特に目立った不祥事を起こさず、約1年間、農林水産大臣を務めた。

しかし総選挙が近づくと、閣内にありながら与謝野馨財務大臣らとともに麻生おろしに加担し、退陣要求を行った。

 

2009年の第45回衆議院議員総選挙では鳥取1区で民主党の新人に比例復活を許さず8回目の当選を果たした。

民主党の鳩山由紀夫内閣の発足に伴い、農林水産大臣を退任。

 

2009年9月、自民党の野党転落後に行われた自民党総裁選挙では、前回の総裁選の対立候補であった与謝野馨から立候補を促され、マスメディアも石破の立候補を有力視していたが、前回総裁選の推薦人であった議員20人のうち13人が落選し、推薦人集めの難航が予想されたため、立候補を断念。

谷垣禎一元財務大臣への支持を表明し、総裁に選出された谷垣の下で自由民主党政務調査会長に起用された。

自民党鳥取県連の関係者によれば、党三役入りした鳥取県選出議員は石破が初めてであった。

政調会長就任に伴い、所属していた額賀派を離脱した。

 

2010年4月22日の記者会見において、自民党を離党した与謝野馨、園田博之らが参加する新党・たちあがれ日本について「私自身、新党「たちあがれ日本」に参加した与謝野馨と園田博之とは、政策的に非常に近いスタンスだ。2人は、自民党で中心的な政策の立案をしてきており、共闘していくのは当然だ」、「民主党の過半数を阻止しなければならない」という思いは共通しており、今後、政策面で共同歩調をとることは多々ある」などと述べ、たちあがれ日本と共闘する可能性を示唆し、たちあがれ日本と協力する可能性に言及した。

だが、同年9月、自民党政調会長に留任。

 

2012年9月10日、自由民主党総裁選挙への出馬を表明。

9月26日に実施された投開票では、1回目の投票で立候補者5人中トップの199票(地方票165票、国会議員票34票)を獲得し、特に地方票では2位以下の候補を大きく引き離したが、過半数の確保には至らなかった。

国会議員のみによる2回目の投票では、大きく上積みし89票を獲得するも、108票を獲得した安倍晋三元首相に敗れる。

 

これが、これまで石破茂が最も自民党総裁の椅子に近づいた最後となっている。

 

自由民主党総裁に選出された安倍の下、無派閥ながら自由民主党幹事長に起用され、2012年の第46回衆議院議員総選挙、2013年の第23回参議院議員通常選挙の陣頭指揮を執り、自民党の政権奪還に貢献した。

 

2014年9月3日の第2次安倍改造内閣発足に先立ち、安倍は石破に対し、新設する安全保障法制担当大臣への就任を打診していたが、石破は8月25日にラジオ番組に出演し、安保法制担当相への就任を辞退する意向を明言し、内閣改造後も引き続き幹事長職に留まりたい意向を表明した。

しかし、「幹事長が公の場で人事の希望を言うなど前代未聞」等、石破に対する批判が高まり、安倍から挙党体制の確立のため石破に安全保障法制担当相以外での入閣を打診され、石破もこれを受け入れた。

 

その結果、9月3日に発足した第2次安倍改造内閣で石破は内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)及び「元気で豊かな地方の創生のための施策を総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣(地方創生担当大臣)に任命された。

 

第3次安倍内閣では、地方創生担当大臣兼内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)に再任される。

 

2015年9月8日の自民党総裁選には立候補せず、安倍の無投票再選となった。

 

2016年8月3日の第2次内閣改造に当たっては、安倍から農水相に転じて引き続き閣内に残留するよう打診があったが固辞して退任。

石破は後のインタビューで、「いつまでも続く政権はない。次は誰かがやらないといけない。安倍首相を支えるのも、次に備えるのも、自民党が果たすべき責任。」と退任について語っている。

 

閣僚退任後は、衆院中国ブロック代表として党総務を務めていたが、政権に批判的な言動をとる石破に不満を抱えていた前総務会長の細田博之(島根1区選出)の反対にあい、8月29日に退いた。

石破の後任には、同じ石破派の赤澤亮正(鳥取2区選出)が就く。

 

2018年8月10日、9月に行われる自民党総裁選挙への出馬を表明。

3選を目指した安倍と一騎討ちとなり、地方票では健闘したものの及ばず、敗れた。

 

2020年9月1日には、安倍の病気による任期途中の辞任に伴う自民党総裁選挙の出馬を正式に表明した。

菅義偉、岸田文雄に次ぐ最下位で敗れた。

 

菅の任期満了に伴う2021年自由民主党総裁選挙では当初菅の再選を支持していたが、菅が不出馬を表明した事で自身の出馬に意欲を示し、白紙としていた。

しかし党内での支持拡大を見込めず、足元の石破派でも賛否が割れたことで同年9月15日、派の臨時総会で立候補しない考えを正式に表明した。

 

2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で12選。

この選挙における立候補者の中で、全国最多の得票率(84.07%)を獲得。

これは前回の自身の得票率83.63%を上回るものである。

 

2024年8月24日、地元の八頭町で9月の自由民主党総裁選挙に出馬すると表明した。

 

 

以上のような石破茂の経歴を見ていると、肝心なところでミスをしていることが分かる。

常に自己の主張を高く掲げて、政界の常識から逸脱する傾向もみられる。

若気の至りか、何度も離党・復党をしており、結果として損ばかりしてきているのも非常に気になる。

運の悪さだけではないものを感じざるを得ない。

また、これだけ味方を作ることが苦手な政治家も珍しい。


これまで安倍晋三のような強力なライバルとの対抗意識を隠せず、それが政権から距離を置くことになり、自民党内部での人気の下降というマイナスの減少を生んでいる。

 

地元の島根県ではずっと人気を保ってきているが、問題は自民党内部での友好関係の確立である。

 

また、閣僚経験が少なく、外務、財務、経済産業という最重要分野では素人という印象が否めない。

 

今回の総裁選には10名以上もの立候補が予想されており、その中で果たして石破が長年の夢である総裁の椅子を獲得できるかどうか見ものである。

 

本人は、「今回が最後の戦いだ」と言っているようだが、よほどのことが無い限り、あっさりと石破総裁が実現するとは思えない。

 

追加情報がある。

 

マスコミ各社が9月5日に報道したところによると、世論調査の結果、石破茂が人気第1位だという。

 

以下は、朝日新聞のネットニュース:

 

朝日新聞社が8月24、25日に実施した全国世論調査(電話)で、次の自民党総裁に誰がふさわしいと思うかについて、11人の名前を挙げて質問した。

 

結果は、石破茂元幹事長(67)と小泉進次郎元環境相(43)が21%で並び、トップ。

次いで高市早苗経済安全保障相(63)が8%、上川陽子外相(71)と河野太郎デジタル相(61)がそれぞれ6%、そして小林鷹之前経済安保相(49)が5%。

この上位6人について、様々な角度から分析すると、興味深い内容が明らかになった。

 

まず最初に、男女別でみると、石破氏と高市氏は男性の支持が、上川氏は女性の支持が多いのが特徴。

小泉氏、河野氏、小林氏は男女で大きな差はみられない。

 

次に年代別の支持動向をみると、石破氏は、同世代の60代が33%と唯一の30%超で、70歳以上(26%)と50代(23%)でも最も多い支持があった。

2008年の総裁選以降、今回で5回目となる総裁選に挑む石破氏は当選12回のベテランで、メディア出演の多さなどから全国的に名を知られている。

長年にわたる政治経験により、比較的年代の高い層から支持されているのかもしれない。

 

まあ、これは国民の声なので、このままそれが総裁選に反映されることはない。

 

また、調査時期が先月下旬なので、これからどんどん変わってゆくだろう。