欧州歴史映画 「ジャンヌ・ダルク」ミラ・ジョボヴィッチ主演! 実在したのか? | 人生・嵐も晴れもあり!

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「ジャンヌ・ダルク」

(原題: The Messenger: The Story of Joan of Arc

 

Prime Video:The Messenger: The Story Of Joan Of Arc

 

「ジャンヌ・ダルク」 プレビュー

 

1999年10月27日公開。

フランスの英雄ジャンヌ・ダルクを「一人の少女」という視点から描いた作品。

興行収入:$66,976,317

 

脚本:リュック・ベッソン、アンドリュー・バーキン

監督:リュック・ベッソン

 

キャスト:

ジャンヌ・ダルク
演 - ミラ・ジョボヴィッチ
本作の主人公。フランスのロレーヌ地方の村に暮らしていた敬遠なキリスト教徒の娘。幼い頃にイギリス軍により姉を殺害された経緯から、深いトラウマを抱いている。「神のお告げ」を受けたとしてシャルル王太子(後のシャルル7世)の城へ出向き、イギリス軍に包囲されたオルレアンを解放するべく、フランス軍を指揮する。
シャルル7世
演 - ジョン・マルコヴィッチ
フランス王太子。「神の使者」を名乗るジャンヌに対して、初めは半信半疑であったが、やがて信頼し彼女に軍隊を与える。ジャンヌの尽力によりフランス国王となる。
ヨランド・ダラゴン
演 - フェイ・ダナウェイ
元アンジュー公妃で、シャルル王太子の姑(王太子妃の母)。シャルルの理解者である一方、策略家の一面もある。ジャンヌがシノン城に来た際には彼女と対面することを勧めた。
ジル・ド・レ
演 - ヴァンサン・カッセル
フランス国軍の将軍であり、男爵。シャルルからは「フランスの元帥」 と称えられている。初めはジャンヌに反発していたが、戦場での彼女の勇姿を見て改心してからは、ジャンヌの戦友となった。オルレアンの戦いでは、イギリス軍の射手に狙われたジャンヌを身を挺して助けている。
デュノワ伯
演 - チェッキー・カリョ
フランス国軍の将軍で、オルレアンの守備隊長。ジル同様、当初はジャンヌと反発し合っていたが、やがて同志となる。
アランソン公
演 - パスカル・グレゴリー
フランス国軍の将軍で、シャルルの従兄弟。シャルルからは、洗練され勇気があり裕福だと称された。オルレアンの戦いではジャンヌの戦友として彼女を支えた。
ジャン・ドーロン
演 - デズモンド・ハリントン
フランス国の軍人であり、ジャンヌの副官。元は弓の射手であり、パリ大学で読み書きを習っていた経歴がある。ジャンヌを何かと気にかけ、支えている。
ラ・イル
演 - リチャード・ライディングス
フランス国軍の将軍で、ジャンヌの戦友。言葉使いの悪さを度々ジャンヌに注意されている。
ピエール・コーション
演 - ティモシー・ウェスト
ジャンヌの異端裁判を取り仕切るボーヴェの司教。史実とは異なり、ジャンヌの異端裁判では公平な立場に立ち、ジャンヌを火刑から救おうと尽力する一面もある。
ルニョー
演 - デビッド・ベグ
大司教。 ランスで行われたシャルルの戴冠式を取り仕切り、彼に王冠を授けた。

 

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あらすじ:

ジャンヌ・ダルクは子供の頃、暴力的で超自然的な幻覚を見た。

家に戻ると村が燃えていた。姉のカトリーヌは、攻撃してくるイギリス軍から彼女を隠して守ろうとする。

隠れている間に、ジャンヌは姉の残忍な殺害と強姦を目撃する。

ショックを受けたジャンヌは、遠い親戚に引き取られる。 

数年後、シノンで、王太子で間もなくフランス王となるシャルル7世は、10代になったジャンヌから、占領しているイギリス軍と戦うために軍隊を率いてほしいというメッセージを受け取る。

シャルル7世と義母のヨランド・ド・アラゴンに会った後、彼女は自分の幻覚について語る。

絶望したシャルルは、彼女の予言を信じた。 

鎧を身にまとったジャンヌは、包囲されたオルレアン市にフランス軍を率いた。

彼女はイギリス軍に降伏の機会を与えるが、彼らはそれを拒否する。

軍の指揮官たちはジャンヌのリーダーシップに疑いを持ち、翌朝、彼女抜きでサン・ルーの砦を占領するための戦闘を開始する。

彼女が戦場に到着する頃には、フランス兵は撤退していた。

ジャンヌは撤退を終えて次の突撃を率い、砦を無事に占領する。

彼らはトゥーレルと呼ばれる敵の要塞へと進む。

ジャンヌはイギリス軍にもう一度降伏の機会を与えるが、彼らは拒否する。

彼女はトゥーレルへのフランス軍の攻撃を率いるが、イギリス軍は多くの損害を与え、ジャンヌは重傷を負う。

それでも、ジャンヌは翌日2度目の攻撃を率いて要塞を占領する。

イギリス軍が再編成すると、フランス軍は平原を挟んで彼らと対峙する。

ジャンヌは一人でイギリス軍に向かって馬を走らせ、彼らが降伏してイギリスに帰る最後のチャンスを与える。

イギリス軍は彼女の申し出を受け入れて撤退する。 

ジャンヌはフランス国王シャルル7世の戴冠式を見届けるためランスに戻る。

彼女の軍事作戦はパリの城壁まで続くが、彼女が要求した援軍は届かず、包囲は失敗に終わる。

ジャンヌはシャルル7世にさらなる軍を要請するが、シャルル7世は戦争よりも外交を優先するとして拒否する。

ジャンヌが自分の地位を脅かし、財宝の浪費を要求すると考えたシャルルは、敵軍に捕らえてジャンヌを排除しようと企む。

ジャンヌはコンピエーニュで親英派のブルゴーニュ人によって捕らえられ、イギリスに売られる。

その後イギリスはルーアンで裁判を開き、ジャンヌに足かせをはめた。

ジャンヌは神からの幻視と兆候を主張したため、教会の法廷で異端の罪で裁かれる。

イギリス軍はジャンヌをすぐに有罪とし処刑したいと望んでいる。

ジャンヌは獄中で超自然的に戦闘に影響を与えることができると信じ、イギリス軍はジャンヌが生きている間は戦うことを恐れているからだ。

コーション司教は、神から幻視を受けたかもしれない人物を不当に処刑することへの恐れを表明する。

有罪判決を受けたジャンヌは、最後の告白をしないまま処刑されることに取り乱す。

司教は、告白を聞く前に幻視を撤回しなければならないと告げる。

ジャンヌは撤回書に署名する。

安堵した司教は、ジャンヌを異端者として火あぶりにすることはもうできないと断言し、その書類をイギリス人に見せる。

独房にいる間、ジャンヌは良心と対峙し、自分が本当に神からメッセージを受け取っていたのかと疑問を抱く。 

苛立ったイギリス人は、教会によってジャンヌを処刑する別の方法を考案する。

イギリス兵がジャンヌの独房に入り、彼女の服を引き裂き、男性用の服を着せる。

イギリス人は、ジャンヌが新しい服を出現させる呪文を唱えたと主張し、彼女は魔女であり火あぶりにしなければならないと主張する。

イギリス人が嘘をついていると疑いながらも、司教はジャンヌを運命に任せ、ルーアンの市場で生きたまま火あぶりにされる。

追記には、彼女が20世紀に聖人として列聖されたことが記されている。

 

RELEASE DATE: 12 November 1999. MOVIE TITLE: The Messenger The Story of Joan  of Arc STUDIO: Columbia TriStar. PLOT: In 1412, a young girl called Jeanne  is born, at the age of

 

コメント:

 

フランス史上に名高い聖女ジャンヌ・ダルクの生涯を描いた大河ロマン。

監督リュック・ベッソンが、ミラ・ジョヴォヴィッチを起用した話題作である。

 

日本では、鎌倉幕府が滅び、室町幕府が始まる時代と同じ頃のフランスを描く異色作。

当時フランスは、アルマニャック派とブルゴーニュ派に分かれて、戦っていて、ブルゴーニュ派にイギリスが参加していた。
同じ国民、民族が分かれて戦うことは不幸でしかなく、外国のイギリスが参加することでより一層不幸が深まる。

 

百年戦争下のフランス。

13歳の少女ジャンヌは、故郷であるドンレミ村で父や母、姉のカトリーヌと共に幸せに暮らしていた。

人並み外れて信仰心豊かであったジャンヌは、頻繁に村の教会へ告解に訪れていたが、ある日神父に、自らに助言を授けてくれるという謎の少年について話す。

その少年の正体は不明であるものの、ジャンヌは「天から来た人」ではないかと考えていた。 

その日の午後、ジャンヌが自分の村へ戻ると、村はイギリス軍に焼き討ちにされ、目の前で姉を虐殺されるという悲劇に見舞われる。

心に深い傷を負ったジャンヌは、父の命令で村の修復が終わるまでの間、伯父であるデュラン夫妻の家に預けられる。しかし姉を虐殺された悲しみとイギリス軍への憎しみから、ジャンヌは伯父夫妻にも心を閉ざし、教会の神父にもやり場のない感情をぶつける。

彼女のあまりの悲しみを目の当たりにした神父は「いつか神が、お前を必要とする日が来る」と言うが、ジャンヌは「今すぐ神と一つになりたい」と激しい感情を露にする。

それから数年後。

シノン城のシャルル王太子(後のシャルル7世)の元に、自らを「神の使い」と名乗るジャンヌからの手紙が届く。

手紙には、イギリス軍に包囲されているオルレアンの街を解放し、シャルル王太子がランスで戴冠式を挙げる手助けがしたいと書かれていた。

廷臣たちは危険を感じて、シャルルにジャンヌとの対面を断るように助言する。

しかし姑のヨランド(王太子妃マリーの母)から「ロレーヌの乙女がフランスを救う」という言い伝えを聞かされたシャルルは、彼女の後押しを受けてジャンヌと対面する決意をする。

だが一計を案じたシャルルは、ジャンヌが本当に神の使いであるかを試すために、家臣のジャン・ドーロンに自分の衣装を着せて、玉座に座らせる。

やがて広間に現れたジャンヌは、玉座に座っているジャンがシャルル王太子ではないと気付き、広間に集まった人々の中から見事に本物のシャルルを見つけるのだった。 

やがてシャルルと2人きりになったジャンヌは、自分の過去と、神のお告げに従いフランスを救うために城へやって来たことを告白する…。

 

フランス史上に名高い聖女ジャンヌ・ダルクの生涯を描いた作品である。
14世紀半ばから始まった英仏の百年戦争、今にも敗れそうになっていたフランスを救った聖人ジャンヌの奇跡について描いている。

ジャンヌは、本当に神の啓示を受けたのか。

作品の前半と後半では描き方が違っていて、結局本当のところは何だったのか・・・、と疑問が残ってしまう。

 

それでも、ジャンヌの功績は当然評価されるべきであって、宗教裁判と言うよりはイギリスによって火あぶりになってしまったのは残念である。

最後の火あぶりのシーンは、あまりにも惨すぎて正視に耐えない。

 

全体を通して宗教と神の存在を絡めながら進行するが、同時にジャンヌは神の使いではないと否定的に描かれている。

作中にたびたび登場する大規模で迫力のある攻城シーンにより、娯楽大作としても評価が高いが。

 

この映画は、メジャーの映画賞からは無視されている作品で、鬼才リュック・ベッソン監督の力作がほとんど評価されていない。

 

ポイントは、ジャンヌ・ダルクとは何者だったかという疑問がさらに深まったと感じさせることだろう。

 

この奇跡の女性は本当に存在したのだろうか。

歴史書は、どう解釈しているのか。

 

多くの歴史書には、ジャンヌ・ダルクの物語は記載されてはいるようだ。

だが、実在したかどうかは疑問だ。

 

ジャンヌ・ダルクが実在したかどうかについては、最近再び論議の的になっており、これから再審議がなされるというニュースもあるようだ。

 

ひとつわかっているのは、ジャンヌ・ダルクという人物にスポット・ライトをあてた英雄がいることだ。

それは、ナポレオンだ。

ナポレオンというフランスという国を史上最大に高めた英雄が、「ジャンヌ・ダルク」という中世の英雄に刮目せよと強調したらしい。

それによって、伝説の少女・ジャンヌ・ダルクの奇跡の話が蘇ったということだ。

 

英雄になった人が、自分自身をさらに英雄化するために、過去の英雄の話を持ち出すことは多いようで、ナポレオンもこういう手を使ったのだろう。

 

 

一応、歴史書を見ると、シャルル7世という人物は確かに存在したようだ。

ジャンヌ・ダルクの名前も出てくる。

 

シャルル7世(在位1422~61年)は、百年戦争後期に父シャルル6世が急死したため、フランス王国の王位(ヴァロワ朝)を継承したが、イギリス軍とシャルルの王位を認めないブルゴーニュ派によって実権を奪われ、苦境に陥った。

そのとき、神の声を聞いたという少女ジャンヌ=ダルクとシノン城で面会、その言葉に動かされてジャンヌを指揮官に加えて救援軍を派遣した。

それによって1429年5月にオルレアンは解放され、さらにジャンヌに促されて、1429年7月、ランス大聖堂で正式に戴冠式(塗油式)を挙行した。

彼はフランク王国のクローヴィスが国王として塗油され、歴代のフランス王と同じく聖なる王に列なることとなった。

 

シャルルは父シャルル6世の王太子であったが、母で王妃のイザボー(スペイン王家の出のイザベル)は、夫シャルル6世が精神を病んで統治能力がないことからブルゴーニュ派の後押しで実権を握ろうと、娘カトリーヌがイギリス王ヘンリ5世との間に産んだ王子ヘンリを王太子にした。

王位継承権を奪われたシャルルは、イザボーが自分に冷たいのは、実の子では無いからなのではと疑い始めた。

イザボーは王妃でありながらあちこちで浮き名を流していたからだ。
1422年、イギリス王ヘンリ5世とフランス王シャルル6世が相次いで死ぬとフランスは混乱の極みとなった。

イザボーとブルゴーニュ派はヘンリ6世(わずか9ヶ月の赤児でまだイングランドにいる)をイギリス・フランス両国の王として立て、それに対してシャルルはアルマニャック派に押されてシャルル7世となった。

シャルルはパリに入ることはできず、正式な戴冠式も上げられない上に、自分自身がはたしてフランス王としての血統という資格があるのか悩んでいたので、国王としての自覚と自信がなく、その意味では無能といわれる状態であった。

 

そこに現れたのがジャンヌ=ダルクだったという。

 

シャルルはジャンヌ=ダルクが謁見に現れたとき、わざと家臣の中にまぎれていた。

王太子の顔を知らぬはずのジャンヌが、大勢の中からすぐに王太子を見分けることができたので、感心し信用することにした。そしてジャンヌの願いを聞き入れ、国王軍の指揮を任せたところ、オルレアン解放を実現した。

神の声を聞いたというジャンヌに導かれ、イギリス軍と戦いながらランスに入り、その大聖堂で、クローヴィス以来の歴代のフランス王と同じように聖別された。

それはフランス国王という神聖な地位を継承する戴冠式を意味していた。

 

1429年7月17日、シャルルの聖別式(戴冠式)は次のように行われた。

シャルル7世は大司教によって、サン・レミより運ばれた聖油入れから聖油を注がれた。

シャルルは聖別式でも祝宴でも、古式にのっとり、高位聖職者たちによって玉座に登らされ、世俗の貴族がこれに奉持した。

それが済むと、彼はサン・マルクーに赴き、病人に手を触れた。

すべての儀式はなんの支障もなく無事に終了した。

彼はその時代の信仰空間のなかで、真の、また唯一の、王となったわけである。・・・王が祝聖されたその瞬間、ジャンヌ・ダルクはただちに跪き、王の膝を抱きしめて熱い涙を流した。

誰もが同じように泣いた。

 

ジャンヌ=ダルクに導かれてランスで戴冠式を挙げたシャルル7世とジャンヌ=ダルクはパリ攻撃に向かった。

だが、ジャンヌはパリ突入に失敗し、ブルゴーニュ派に捕らえられイギリス軍の手に渡ってしまい、1431年、魔女として処刑されてしまった。

 

シャルル7世はブルゴーニュ派との和平を進め、1435年にはブルゴーニュ公フィリップとの間で「アラスの和約」を結び、内乱を終結させた。

それによってブルゴーニュ派とイギリスの同盟は破棄され、百年戦争の終結への前提を作ったうえでイギリス軍への攻勢を強め、1436年にはリシュモン元帥率いるフランス軍がパリに入城、その後、1450年にはノルマンディを、1453年にはギュイエンヌを回復し、カレーを除いてほぼフランス本土からイギリス軍を撤退させた。

この年を以て百年戦争は終結したとされ、シャルル7世は勝利王といわれることとなった。

 

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