「神阪四郎の犯罪」
1956年2月25日公開。
業務上横領と自殺ほう助の罪を着せられた男の物語。
キャスト:
森繁久彌 | 神阪四郎 |
新珠三千代 | 妻・雅子 |
二木まこと | 子・明 |
左幸子 | 梅原千代 |
轟夕起子 | 戸川智子 |
高田敏江 | 永井さち子 |
滝沢修 | 今村徹雄 |
広岡三栄子 | 夫人 |
清水将夫 | 三景書房社長 |
深見泰三 | 裁判長 |
金子信雄 | 検事 |
宮坂将嘉 | 弁護人 |
宍戸錠 | 新聞記者堀田 |
杉幸彦 | 堀田の同僚 |
伊達信 | 刑事 |
下絛正巳 | 山岸 |
渡規子 | 女給夏子 |
藤代鮎子 | 女給ミキ |
新井麗子 | 雅子の友達 |
あらすじ:
三景書房の編集長・神阪四郎(森繁久彌)は、検事の冒頭陳述によると、勤務先における業務上横領が発覚するや、これをごまかすため、かねて関係のあった被害者・梅原千代(左幸子)のダイヤの指環に眼をつけ、詐取する手段として被害者の厭世感を利用し、偽装心中を図ったという。
証人として出廷を求められた今村徹雄(滝沢修)、永井さち子(高田敏江)、神阪雅子(新珠三千代)、戸川智子(轟夕起子)の四人は各人各様の証言をするが、果して真実を衝いたものであったろうか。
評論家・今村徹雄の証言:
神阪はいかなる場合も俳優で、彼の語る言葉は台詞にすぎない。
神阪の横領によって会社の経営は非常に困難となり、許すことは出来ない。
千代との情死も関係者の同情をひく手段であろう。
編集部員永井さち子の証言:
利己主義者で嘘つきだ。
妻子のあることをかくし、甘言を並べて自分を欺いた神阪は、ひとたび秘密がバレるや、極力自分を陥れようとした。したがって千代の場合も、巧みに欺かれたのにちがいない。
妻・雅子の証言:
自分は誰よりも良人の神阪を愛している。
深夜、寝床を蹴って仕事に没頭する良人は、いつも家庭の喜びを与え得ないおのれを私に詫びた。
これほど仕事を愛する良人が、罪を犯すとは絶対に考えられない。
歌手の戸川智子の証言:
神阪は駄々ッ子で世間知らずだから、皆から利用されたのだろう。
また死んだ千代の日記には、何かと自分の不幸を慰めてくれた神阪に感謝しているが、病気で入院することになったとき、初めて神阪に妻子があると知り、同時に売却方を依頼してあった母の形身の指環を彼から偽物だといわれ、死を決意し、彼に心中を迫ったと記してあったと主張。
最後に、神阪四郎は次のように叫んだ:
嘘だ。
すべての証言は自分に都合のいいことばかりいっている。
思いもよらぬ汚名をきせられ、初めて人間社会の醜さを知った。
これ以上、とやかく申し上げますまい。
そして、まもなく、護送車に揺られて行く未決囚たちの中に、神阪四郎の顔が見られた。
果して彼は犯罪者なのであろうか?。
コメント:
原作は、石川達三の同名中編小説。
月刊『新潮』の1948年11月号 - 1949年2月号に連載され、1949年(昭和24年)2月に新潮社より単行本として刊行された。
梅原千代という女性と情死事件を起こし、自分だけ生き残った綜合雑誌編集長の神坂四郎が自殺幇助罪に問われ、6人の陳述者が異なった証言をし、その証言のずれた部分において新しい事実が少しずつ暴露され、すべての人間が何らかの形で傷をもつことが見えてきて、結局人間の真実を外から覗うことはほとんど不可能だという観念に到達する知的な、一種のユーモア小説である。
悪人か善人かが分からない正体不明の男の罪状を記している不思議な作品である。
小説では、今村徹雄、永井さち子、神阪雅子、戸川智子の4人の陳述、梅原千代の手記、主人公・神阪の陳述という6つの章に分かれて神阪の行動や事件の真相が綴られている。
今村徹雄は、主人公・神阪の会社の上司にあたる人物。
神阪という男がいかに仕事や女性関係にだらしがなかったを陳述していて、神阪が会社の資金を横領したり、自殺した女性の自殺ほう助をした経緯などを述べていて、神阪が有罪であることを訴えている。
永井さち子というのは、神阪と深い仲にあった女性で、神阪がいかに適当なワルだったかを述べており、神阪への恨みと、神阪の有罪を訴えている。
神阪雅子は、主人公・神阪の妻である。
夫がいかに真面目に仕事をしてきたか、いかに妻の自分を愛していたかを陳述しており、夫も有罪を信じていない。
戸川智子という女性は、主人公の愛人だった人間で、男は信じられないと主張し、特に神阪はとんでもない詐欺師で、絶対に悪事を重ねていただろうと主張している。
梅原千代という女性は、結核のため、余命いくばくもない状態だった人物。
元々は、今村徹雄の愛人だったが、病気の妻からの激しい嫉妬に負けて、神阪の愛人になった女性だ。
もう結核が進み、死の淵にいるが、父からもらった20万円の指輪を神阪に取れれそうになったり、神阪に妻がいることを察知して、全てに絶望し、死を望んでいた。
神阪と一緒に死のうとするが、自分だけ死んでしまった。
遺書のような手記を残しており、神阪は詐欺師で、妻がいながら自分と結婚しようとして、指輪を奪おうとしている悪人だと記している。
主人公・神阪の陳述においては、他の人間たちの言い分とは真逆の主張をしている。
業務上横領については、事実無根。
社長たちが自分をないがしろにするために自分を無実の罪を陥れる計略だと主張。
自殺ほう助についても、自殺した女性の勝手な邪推や思い込みがあって、最後は彼女の自殺に付き合わされて殺されるところだったと主張。
すべて、自分は被害者であると主張している。
だが、この物語がどうなったのかは不明で、結論が出ないまま終わっている。
いったい何が真実なのかわからないままだ。
おそらく、これは、名作「羅生門」の原作である芥川龍之介の「藪の中」を模倣したようなスタイルなのだろう。
映画は、この摩訶不思議な事件の主人公・神阪を、森繁久彌が熱演しており、若き日の森繁の圧倒的な存在感を感じることが出来る作品に仕上がっている。
こういう一見真面目で実直そうな亭主で、ちゃんとしたサラリーマンであるかっこうをしながら、裏では欲望のまま突っ走る子悪党が終戦直後の日本には沢山存在していたのではないだろうかと思える。
だが、もしかしたら主人公の陳述通り、実は無罪なのかも知れないとも思わせてくれる。
悪漢小説をどんどん世に出した石川達三の傑作を見事に映像化した作品のひとつといえよう。
神阪四郎(森繁久彌)は、ある出版社の敏腕編集長だ。
女好きでお金に節操がない彼の周りには、偉そうなくせに手癖の悪い作家や、男に遊ばれつつ自分もうまく利用している事務員や、貞淑を絵に描いたように見えるけれど計算高いところもある妻(新珠美千代)…。彼が使い込みで会社から訴えられた後、愛人(左幸子)と心中事件を起こして自分だけ生き残り、彼を裁くための裁判が始まる…。
森繁が演じる神阪四郎の最後の陳述が泣かせる。
彼は「今回はからずも告訴され、人間社会をはじめて知り、人間の醜さを痛感した。名誉とは何なのか。それは彼らの業績の評価であり、社会的意義の称讃であり、個人的な人格を称讃しているわけではない。彼らの個人生活の醜悪さ、人格の劣等さに驚かされる」と述べる。
続けて「真相とは何なのか。犯罪容疑者にあらざる第三者の語る真相とは真相なのだろうか。真相はどこにあるのか、私には分からない。嫌疑を受けたものの努力と憤りと、無念さを持って関知した限りの真相を申し述べたに過ぎない。結局のところは、真相を発見し得ず、それらしきものを想定して、判決を与えられるのであろうことを知っている。私はそれに抗弁しようとは考えていない。裁判とは客観的な活動であっても、犯罪においては客観的な真相はない」と言い切る。
「申し述べた真相はあるいは大部分が嘘かも知れないし、嘘であることも証明できない」とも言い、「私すらも知らないこの真実を誰が判定するのか」と迫り、「私は判決に抗議する意志はない。人間社会においては、真相らしきものが真相なのだから」と開き直り護送車で連れていかれる。
この長い演説は見応えがある。
真面目な映画評論家は、「この作品は人間のエゴイズムを究極に衝く心理社会劇である」と、のたまわっていらっしゃるようだ。
だが、一口に言うと、世の中は誰もが自分に都合のいいことばかり言って、真実は闇の中だという映画なのであろう。
若いころの森繁は、最高だ。
さらに、左幸子や新珠美千代が平然と演じているところも実に良い。
人間のイヤらしさ、面白さを徹底的に描いていて楽しい。
こういう映画は令和の時代にはみられなくなった。
森繁のすごさは、どんな場面でも、どんな役柄でも、それを誠実に演じ切っているところだ。
これぞ、役者である。
左幸子のイっちゃってる神経症的な演技もすごい。
この人の女優としてのレベルの高さは半端ない。
後日、彼女を筆頭とする往年の名女優たちの演技力比較をしてみたい。
むしろもうちょっと抑えてくれてもよかったかもと思えるほどだ。
とにかく、この年代の日本映画には、本当に面白いものが多い。
こういう作品を生み出せる監督や俳優が令和に何人残っているだろうか。
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