「悪の愉しさ」
1954年10月5日公開。
読売新聞連載小説を映画化。
原作:石川達三「悪の愉しさ」
脚本:猪俣勝人
監督:千葉泰樹
キャスト:
伊藤久哉 | 中根玄二郎 |
杉葉子 | 妻・有貴子 |
久我美子 | 植松康代 |
森雅之 | 脇坂昌雄 |
日野明子 | 脇坂夫人 |
船山汎 | 池田浩二 |
東郷晴子 | 沢本夫人 |
伊豆肇 | 亀山 |
徳川光子 | 亀山夫人 |
星美智子 | 女給サツキ |
加藤嘉 | 警察の係官 |
中野かほる | 悪夢の女 |
高田博 | 捜査主任 |
あらすじ:
サラリーマンの中根(伊藤久哉)は、冷静な計算で狙った相手を操る事に密かな愉しみを持っていた。
同僚の亀山(伊豆肇)と競輪へ行き、巧みな口実で八千円を借りたまま返さない。
中根の妻・有貴子(杉葉子)は夫の無能を軽蔑しながら、間借先の未亡人・沢本(東郷晴子)と夫の仲を嫉妬したりする。
中根は社の事務員・植松康代(久我美子)と一度寝た事がある。
康代が同僚の池田(船山汎)と結婚すると聞いて、中根はその関係をネタに彼女を陥れようと考える。
しかし、康代は逆に手切金として中根に三千円を渡した。
執拗に部屋の立退きを迫る沢本末亡人に、中根は巧みに接近して関係を結ぶ。
さらに、病床についた亀山の代りに、貸金の返済を求めて訪れた亀山の妻(徳川光子)も、彼に征服された。
だが中根は妻・有貴子とブローカーの脇坂(森雅之)の仲を嫉妬していた。
妻と脇坂は同じ日に別々の口実で信州へ行った。
中根は二人の仲を責めて脇坂から金をとろうとするが、その証拠を掴めない。
池田と結婚した康代は、夫が会社の金を使い込んでいるのを知り、穴埋めの金策に中根を頼った。
彼女の肉体に執着する中根は脇坂の金に狙いをつける。
ある夜二人で立寄った酒場ビキニからの帰途、中根は女給を利用してアリバイを作った後、自家用車を運転する脇坂の首をしめて殺した。
彼は奪った金を康代に与えたが、彼女は人形のように冷たく体を投出しただけだった。
有貴子は疑惑の目を注ぎ、幾度も離婚を要求した。
そして或る真夜中、彼は警察に捕えられた。
中根が絶対の自信を持っていたアリバイは、あの夜、酒場に近い病院から下を見ていた一患者の証言で一挙に破れたのだった。
有貴子は離婚届をすますと、中根に一顧も与えず実家へ帰った。
康代からは嘲けるように一冊の聖書が送られて来た。
中根は凡てに敗れた。
一切を自白した彼は、検察庁の窓から身を投げて死んだ。
コメント:
根っからのワルの主人公・中根は、会社の同僚・伊豆肇と一緒に競輪に行き、ちょうど持ち金がないなどと言って数千円を借り、“これでこいつからの借金は8千円になったが、どうせ返すつもりはない”などとモノローグで語るセコい小悪党だ。
このどうしようもない男を伊藤久哉が熱演している。
後に殺人の容疑者として警察に捕まった際、面会に来てくれたのはこの伊豆肇たった一人に過ぎませんが、“8千円の借金を取り立てに来たのか”などとうそぶいた上、伊豆が“そんなつもりはないよ、君とは同僚だったのだから心配してやって来た”と素直に語る伊豆のことを、ただの偽善者と決めつけて、さも迷惑そうに追い返す伊藤久哉のゲスぶりのリアリティがなかなか良い。
会社で廊下を出た向かいの課の女子課員である久我美子に擦り寄り、なんとかデートに漕ぎ着けようとするので、独身なのかと思ったら、自宅に帰ると杉葉子扮する妻と幼い子供までいる伊藤久哉の女癖のだらしなさ。
久我美子とは、以前行った社員旅行で宴会を抜け出して海岸で涼んでいた際に一緒になり、つい出来心からキッスを迫るものの拒否されて以来、伊藤は久我のことを狙っているが、久我は迷惑そうだ。
それもそのはず、久我は同じ課の船山汎との結婚話が決まっているのだ。
しかしそれでも伊藤久哉は、自分が浮気性なのだから他人も当然そのはずだ、とばかりに久我を優しい口調で口説こうとし続けるというゲスぶり。
その後、久我美子の夫・船山汎が会社の金に穴を開けてしまったことを知り、ついつい伊藤久哉に助け舟を求めてしまったことから、そして伊藤は、実際には持ち金などあるはずもないのに、そんな金を用意することなど容易いことだとばかりに軽く請け負った。
そのことから、その金を工面するために、妻・杉葉子との仲を疑っている相手の友人不動産屋・森雅之のことを首を絞めて殺すことになるのだ。
そして森雅之から盗んだ金を持って、久我と一緒に温泉マークにしけこみ、恩着せがましく金を渡したあと関係を迫る伊藤だが、その時、“ああ、僕は愛情に飢えているんだ、僕に愛情を注いでくれ”などと歯の浮くようなことを平然と口にするゲスぶりがまた凄い。
主人公の女癖の悪さということでは、家の大家である東郷晴子の存在を忘れるわけにはゆかない。
盛んに立ち退きを要求する東郷に対し、ノラリクラリと話を逸らしながら、自分は孤独で愛情を求めていることを、例の歯の浮いたような台詞でしきりに訴えた挙げ句、子持ちの寡婦である東郷の身体に擦り寄り、結局関係を持ってしまうと、これで当分は立ち退き話は立ち消えになる、などと嘯く伊藤。
後に伊藤が警察に捕まった際、差し入れに鰻重を持ってきてくれるのが東郷だが、有難そうな素振りすら見せず、あんな婆あに興味はない、とばかりに面会は断わってしまう伊藤。
伊藤による森雅之殺しは、妻との不倫を疑った上での“復讐”という意味合いはあるものの、表面上は森と仲良くキャバレーで飲んだ夜、一度は店を出たあとに再び店を訪れることで、自分としては“完璧なアリバイ”が出来たと思い込んだ上で、森の車の中で森の首を絞めて殺し、車上荒らしに見せかけるという、粗雑な代物。
結局は二度目にキャバレーを出たあと森の車に乗り込むところを、車の前にあった病院の窓から入院患者が見ていたという形で、あっさりアリバイは崩れるが、ともかく伊藤による殺しは、ただ久我美子をモノにするための当座の金が欲しかったという。
ただそれだけのために、人ひとりの命を簡単に奪ってしまおうという、人の命を軽々しく捉えただけの、なんとも救いようのないゲスのなせる業なのであり、そんな彼のゲスな思考ぶりは、差し入れられた聖書を破り捨てた上で、自分の命も簡単に捨ててしまう衝動的な死という帰結を迎える。
監督の千葉泰樹は、そんなゲス男の転落人生を、実に丹念に描いてみせ、細部にリアリティを与えてゆく。
観る者を楽しませる演出が憎い。
石川達三は、こういった悪漢小説もけっこう多く発表しているのだ。
それが人気の秘密かも知れない。
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