「俺の血は他人の血」
1974年10月12日公開。
筒井康隆原作の初の映画化。
原作:筒井康隆「俺の血は他人の血」
監督・脚本:舛田利雄
キャスト:
- 火野正平 : 絹川良介
- フランキー堺 : 沢村六助
- 奈美悦子:房子
- 橋本功 : 左文字
- 那智わたる : 蘭子
- 小松方正 : 警察署長
- 山谷初男 : 伊藤
- 渥美國泰 : 足田専務
- 穂積隆信 : 福田常務
- 青木義朗 : 大橋
- 中谷一郎 : 伊丹
- 安部徹 : 山鹿虎一郎
あらすじ:
とある地方の新興都市。
絹川良介(火野正平)は、この町の景気を耳にして職を求めにやって来た。
その日、絹川の目前で町の実力者・山鹿虎一郎(安部徹)の息子が殺され、絹川は、もう一人の目撃者・沢村六助(フランキー堺)に強引にバー「マーチンズ」に連れ込まれた。
「マーチンズ」には、ママの蘭子(那智わたる)と房子(奈美悦子)という可愛い女がいた。
そこへやくざ風の男三人がなだれ込み、悪態をつき始めた。
怒った絹川は「エスクレメントオ!」と絶叫するや否や、恐ろしい力で三人を叩きのめした。
彼は昔から怒ると自分でも分からぬ力を発揮するのだった。
かつてこの町は一面の水田だったが、山鹿虎一郎が買い叩き、新興都市を造ったのである。
その山鹿産業では、福田常務(穂積隆信)派と足田専務(渥美國泰)派の勢力争いが激化、福田は土建やくざの左文字(橋本功)組、足田は盛り場を支配する大橋(青木義朗)組とそれぞれ組んで私腹を肥やしていた。
翌日、大橋組のチンピラが昨日の仇討ちとばかり押しかけ、房子を連れ去ってしまった。
房子を取り戻そうと絹川と沢村は大橋組に乗りこんだ。
そこには山鹿の息子を撃った伊藤(山谷初男)がいたが、房子を無事に助け出すため、絹川は口をつぐんだ。
絹川と房子の間にいつしか愛が芽生えていた。
数日後、足田が経理課長と組んで二重帳簿を作製・私腹を肥やしてることを知った絹川は、足田の家からその帳簿を盗み出した。
策士・沢村はこの帳簿を左文字組と大橋組の両天秤にかけて大稼ぎしようと企む。
絹川はこれ以上足を突込みたくはなかったのだか、房子が左文字組に殺されてからは、もうどうなってもよかった。
ある日、絹川は、友人の伊丹(中谷一郎)から自分の変身の秘密を知らされた。
絹川は生まれたとき大病して、血液を取り替えなくてはならなくなった時、横浜でマフィアの親分ロベルティスが死んだために、その血を輸血したのだった。
事実を知った絹川は、かえってさっぱりとした気持だった。
「俺には世界一強いギャングの血が流れている。怒って怒って怒りまくって、悪党どもを全滅させてやる!」
数日後、市長や警察署長の仲介で山鹿社長以下、会社幹部、左文字、大橋ら出席のもとで手打ち式が行われた。
この式場に乗り込んだ絹川は、悪の仕組みの全てを暴露した。会場は騒然となった。
ドスが光り、銃が飛び、次から次へと死体の山ができた。
悪い奴はみんな死んだ。町には平和がやって来た。
絹川は追いすがる沢村をふり切って町を去って行った。
コメント:
子供の頃、マフィアの親分の血を輸血した男が、絶叫とともに超人に変身して大暴れをするSF・アクション映画。
主人公は、恐怖を感じた瞬間に「エスクレメントオ!」と絶叫するや否や、恐ろしい力で相手を叩きのめす超人になってしまうという特異体質。
とにかく、筒井康隆の原作はぶっ飛んでいて、チョー面白い!
映画は、異色俳優の火野正平。
この人は、子役出身だが、当時25歳となっていて、大人の役者として初めて主役を演じているのがこの映画だ。
それなら結構面白い映画になるはずだったが、散々な結果となった大コケ作品だという。
KINENOTEにも以下の評価しか残っていない:
「期待を裏切るつまらなさだった。原作の面白さがまったく表現されていない。」
「原作は、平凡なサラリーマンが社内抗争、やくざの抗争、地方都市抗争に巻き込まれ、エスカレートしていく話なのに、映画ではただの風来坊がやくざ抗争に巻き込まれ(?)る話に。ラストの方のボスの説明的な殺され方など、原作の持ち味をほとん殺してしまった。」
「ご贔屓舛田利雄作品なれど、これはちょっと…。原作を大事にしようとしたことが裏目に出た感じがする。火野を主演にしても、彼でなければ、という必然性も、持ち味も出ていない。舛田は松竹で「必殺」シリーズを1本手掛けているが、これも失敗作だったが、松竹という枠には合わない巨匠なのかもしれない。」
この映画は、ソフト化もされず、ネット上にも動画は端切れすら観られない。
画像がほんの少々あるのみ。
唯一、今年5月にシネマヴェーラ渋谷で上映された記録が残っているのみだ。
ということで、この映画のレビューはこれ以上不可能だ。
しかし、しかし、それではあまりにも残念だ。
なぜかというと、原作の小説があまりにも奇想天外で、ストーリーの展開も、最高のぶっ飛びシーン続出なのだ。
こんなに笑える、変な小説は初めてだ!
おそらく、この小説が筒井康隆作品の中で最も面白いと感じられたからこそ、松竹が最初に映画化したのだろう。
「時をかける少女」より、間違いなく数倍面白いのだ!
ということで、原作のレビューをしておきたい。
この小説『おれの血は他人の血』は、1974年2月5日に河出書房から発刊され、1975年に 第6回星雲賞(日本長編部門)を受賞している。
星雲賞(せいうんしょう)というのは、前暦年に発表もしくは完結した、優秀なSF作品およびSF活動に贈られる賞。
毎年行われる日本SF大会参加登録者の投票(ファン投票)により選ばれる。
ワールドコン(世界SF大会)のヒューゴー賞を範に、1970年に創設された、日本でもっとも古いSF賞。
「星雲賞」という名前は、1954年に刊行された日本最初のSF雑誌と言われる『星雲』に由来する。
ネビュラ賞の日本語訳ともかけている。
最初は小説と映画演劇に関する部門だけだったが、その後メディアやコミック、アート、ノンフィクションなどの部門が追加された。
2018年現在は「日本長編部門」「日本短編部門」「海外長編部門」「海外短編部門」「メディア部門」(第10回までは「映画演劇部門」)「コミック部門」「アート部門」「ノンフィクション部門」及び「自由部門」(平成14年の改訂で追加)がある。
筒井康隆は、この「星雲賞」を3度も受賞している。
第1回:「霊長類南へ」
第6回:「おれの血は他人の血」
第7回:「七瀬ふたたび」
つまり、この「おれの血は他人の血」という小説は、日本のSFファンなら知らない人はいない名作なのである。
この小説は、筒井康隆節全開のスプラッターバイオレンス作品である。
何が面白いかというと、
1.これは「血液型」と「遺伝」についての学問的なテーマであるということ。
2.主人公・絹川が普段は臆病で気が小さいのに、命の危険を感じるような恐怖を感じると、変身して一気に狂暴になり、どんな相手でも徹底的に攻撃して、相手をコテンパンにノシてしまう。
だが、狂暴になっている時間帯は茫然自失で、全く記憶に残らないということ。
この変化が実に面白いのだ。
(映画は、その部分が欠落している。)
3.ストーリーは、こんな感じ:
ただの会社員である絹川は、ある夜場末のバーに行くが、そこで暴力団に絡まれ、恐怖を感じた瞬間、変身して3人の相手を一気に叩き潰す。
偶然そのバーにいた敵方のヤクザ・沢村がそれを見ていて、その腕を見込まれ、ヤクザの用心棒という夜の仕事を引き受けることになる。
しかし、昼間は会社員を続けることになり、会社内部の隠れ資金情報の入手もさせられることになる。
その後、ヤクザ同士の争いが激しくなり、どんどん用心棒の仕事が増えて行き、ほとんどヤクザと同じような毎日になってゆく。
何度も窮地に陥るが、その都度「エスクレメントオ!」と叫びながら、敵をノックアウトする。
主人公には女がいて、濡れ場もある。
その後ヤクザ同士の頂上決戦状態が開始され、主人公も拳銃をどんどんぶちかますシーンが連続して行き、数十人が死んでゆく。
主なヤクザの幹部連中も死んでいって、最後は、組長同士が拳銃で射ち合って二人とも死んでしまう。
会社の課長、部長、常務、頭取も全員死んでゆく。
その少し前に、主人公と知り合いだった事件記者が、主人公が変身した直後の奇妙なおたけびの真相を調査して、本人に知らせてきて、ついにその理由が明らかになる。
「エスクレメントオ!」という絶叫は、アメリカのマフィアで拳銃の名手だった「デ・ロベルティス」という男の喧嘩の時に発する雄たけびだというのだ。
「エスクレメントオ」という言葉は、イタリア語で、「クソ」という意味だという。
おそらくイタリアからアメリカに移民したマフィアの常習語だったのだろう。
そのマフィアの命がこの言葉と共に、輸血によって主人公に引き継がれたのだろうという。
主人公は、誕生直後に発病し、輸血が必要になったが、母親とは「血液型不適合」で輸血してくれる人がいなかった。
その時、偶然日本に来ていて瀕死の重傷を負って同じ病院にデ・ロベルティスが入院してくる。
彼しか血液型の合う人間がいなかったため、病院の医師の判断で、彼の血が輸血され、蘇生したのが主人公だったのだ。
その結果、デ・ロベルティスの戦闘能力が主人公に引き継がれたのだという。
そして、本人が生命の危機を感じた時だけ、デ・ロベルティスの戦闘能力が覚醒し、無敵の戦士に変身できるのだというのだ。
この話のキモは、「血液型」だ。
血液型に関する本がこの小説の3年前の1971年に大ヒットし、ベストセラーになったのだ。
それは、能見正比古の「血液型人間学」。
あの当時に物心がついていた人はおそらく99%、この血液型に夢中になっただろう。
年がら年中、性格判断や相性占いなどで日本中が盛り上がっていたのだ。
日本中が血液型に熱中している時代に書かれたものが、本作「おれの血は他人の血」なのだ。
つまり、筒井康隆は、流行にも敏感で、どういうストーリーならウケるだろうかという計算もしっかりした上で、この小説を世に出したに違いないのだ。
筒井康隆は、大阪出身だ。
笑いの天国、浪花の人なのだ。
ギャグの面白さを100%理解して、SF的な雰囲気を絡めて作り上げられたこの小説は、絶対に映画化しても売れるはずだった。
監督・脚本をつとめた舛田利雄は名監督だが、こういうバイオレンスとギャグが混在したぶっ飛んだ作品は無理だろう。
あまりにも常識派だからだ。
出演者も、火野正平では無理だ。
初主演の人間にこんなキャラクターをやらせても無理だろう。
もっと適役が存在した。
松田優作だ!
今なら、窪田正孝かも。
今からでも遅くない。
完全にゼロからこの小説を映画化し直してほしいものだ!