新田次郎という文豪がいます。
「八甲田山死の彷徨」や「富士山頂」など、山岳に関連した多くの作品を世に出した、直木賞受賞作家です。
また、「武田信玄」など戦国時代の武将を描いた歴史小説も発表しています。
まず、この人の出自と経歴をたどります。
新田 次郎(にった じろう、本名:藤原 寛人(ふじわら ひろと)、1912年6月6日 - 1980年2月15日)は、日本の小説家、気象学者。無線電信講習所(現在の電気通信大学)卒業。
中央気象台に勤めるかたわら執筆。山を舞台に自然対人間をテーマとする、山岳小説の分野を開拓した。
『強力伝』(1955年)で直木賞受賞。
作品に『孤高の人』(1969年)、『八甲田山死の彷徨』(1971年)などがある。
長野県諏訪郡上諏訪町角間新田(かくましんでん)(現在の諏訪市上諏訪角間新田)に藤原彦、りゑの次男として生まれる。
ペンネームは“新田の次男坊”から(「しんでん」を「にった」と読み替え)。
旧制諏訪中学校(現在の長野県諏訪清陵高等学校)・無線電信講習所本科(現在の電気通信大学の母体)・神田電機学校(現在の東京電機大学の母体)卒業。
気象庁職員として富士山気象レーダー建設などに携わる傍らで作家活動を行い、『八甲田山死の彷徨』など山岳小説の分野を拓く。登山好きの今上天皇が愛読する作家として知られる。
1956年(昭和31年)『強力伝』で直木賞、1974年『武田信玄』等で吉川英治文学賞受賞。
伯父(父の兄)に気象学者藤原咲平。妻ていは作家。
次男正彦は数学者・エッセイスト。
長女の咲子も、家族を書いた小説を発表している。
ベーシストの村井研次郎は孫にあたる。
父方のいとこ(叔母の長男)に、ハリウッド化粧品創業者の牛山清人。1880年(明治13年)創業で現在も続く新橋のすき焼き専門店「今朝(いまあさ)」は親戚で、父方の祖母ふくの弟・藤森勝三郎が初代(従兄)の養子となって跡を継いだ。
略歴:
- 1932年 - 中央気象台(現:気象庁)に入庁。富士山観測所に配属
- 1935年 - 電機学校卒業
- 1939年 - 兩角(もろすみ)ていと結婚
- 1940年 - 中央気象台布佐気象送信所に転勤。長男・藤原正広誕生
- 1942年 - 中央気象台母島測候所建設に工事担当官として赴く
- 1943年 - 満州国観象台(中央気象台)に、高層気象課長として転職。次男正彦誕生
- 1945年 - 長女咲子誕生。新京にてソ連軍の捕虜となり、中国共産党軍にて一年間抑留生活を送る。
- この時期の、家族の引き揚げの体験を妻・ていが『流れる星は生きている』として作品化した(刊行は1949年)。
- 1946年 - 帰国。中央気象台に復職。
- 1948年ごろ - 中学時代の友人のすすめで、長編少年科学小説「超成層圏の秘密」を執筆して玉川学園出版部に持ち込みするが出版にいたらず、原稿も行方不明になる。また、短編少年科学小説「狐火」を執筆して各社にもちこみするが、やはり出版にいたらず、原稿は行方不明に。
- 1951年 - サンデー毎日第41回大衆文芸(サンデー毎日創刊30年記念百万円懸賞小説)に「強力伝」を応募、現代の部一等に輝き作家活動をはじめる。丹羽文雄主催の『文学者』の同人になる。
- 1952年 - 東京都武蔵野市に転居。
- 1955年 - 「山犬伝」でサンデー毎日第47回大衆文芸賞を再度、受賞。無線ロボット雨量計の発明により、運輸大臣賞を受賞。同年、「孤島」でサンデー毎日三十周年記念大衆文芸賞で一等入選となる。
- 1956年- 『強力伝』にて、第34回直木三十五賞を受賞。村上元三の紹介で新鷹会に参加するが、職務の都合で合評会に参加できないため、のちに退会。
- 1961年 - 気象庁観測部測器課の気象測器調査のため、3ヶ月渡欧。
- 1963年 - 1965年 - 気象庁観測部測器課補佐官・高層気象観測課長・測器課長として、富士山気象レーダー建設責任者となり、建設を成功させる。
- 1966年 - 気象庁観測部測器課長を最後に依願退職。
- 1974年 - 『武田信玄』などの執筆活動に対し、吉川英治文学賞受賞。
- 1979年 - 紫綬褒章受章。
- 1980年2月15日 - 心筋梗塞のため武蔵野市の自宅にて午前8時半頃に急死。正五位勲四等旭日小綬章。戒名は誓岳院殿文誉新田浄寛清居士。菩提は長野県諏訪市の正願寺。
エピソード:
初めての小説は、1942年から1945年の間に書かれたと思われる、藤原廣の筆名の自伝小説『山羊』で原稿用紙7枚。内容は、半生を振り返り抑留生活の辛さと、今後作家として活動していきたいという決意の表明となっている。
帰国後は、伯父の咲平(気象の第一人者)が公職追放されるなど気象台自体が組織として混乱しており、気象台はバラック立てで隙間風が吹き抜ける状態で、給与も微々たる物で大変な困窮ぶりであった。
手始めにアルバイトとして、教科書の気象関係の執筆を引き受けた。
このころ、ジュブナイル小説『超成層圏の秘密』『狐火』などを著したが、刊行はされなかった。
1949年に、妻・ていの書いた『流れる星は生きている』がベストセラーになり映画化もされ、とても生活が助かったため、さらに、作家活動を考えるようになる。
気象職員として最も知られている仕事に、富士山気象レーダー建設がある。
これには、1959年の伊勢湾台風による被害の甚大さから、広範囲の雨雲を察知できるレーダー施設の設置要請を受け、無線ロボット雨量計で運輸大臣賞を受賞するなど、気象測量機の第一人者にして高山気象研究の専門として携わった。
富士山気象レーダーは当時世界最高(高度)・世界最大であったため、同レーダーの完成後はそのノウハウを国際連合の気象学会で説明するなどの公務に明け暮れた。
この時の体験を基にして書いた作品が、小説『富士山頂』である。
小説の解説が、会計検査院の定期誌「会計と監査」に題材として連載された。
またこの工事に関しては、NHKの『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』第1回で取り上げられた。
1966年3月31日、文筆一本に絞るため気象庁を退職したが、この決意に至るまで、果たして作家業だけで食べてゆけるのか、6年後の定年まで待つべきか、など大変懊悩したという。
また、退職に際しては気象庁から繰り返し強い慰留を受けたという。
新田の小説は緻密で、小説構成表(年表のように縦軸と横軸を設定し、人物の流れを時系列に当てはめたもの)を先に作成してから執筆に取り掛かっていた。
司馬遼太郎が新聞記者であった頃原稿執筆を依頼しに行ったが、依頼を受けることができない理由として勤務時間・執筆時間・病気になる可能性などをしっかりと並べて断ったと言われる。
山岳小説、時代小説を問わず、現地取材を欠かすことはなかった。
映画化された『八甲田山死の彷徨』や『聖職の碑』などに見るように、新田次郎の山岳や気象、地形に関するリアルな筆致は、他の作家の追随を許さない。
また、大学山岳部関係者主体で極地法を重視した日本山岳会とは一線を画し、社会人を主体とするプロのクライマーを糾合して尖鋭的登山によるヒマラヤ8000メートル峰登頂をめざした第2次RCCに賛同し、マッターホルン北壁日本人初登頂の芳野満彦をモデルにした小説『栄光の岩壁』、アイガー北壁に挑んだ2人の日本人登山家の実名小説『アイガー北壁』を書くなど登山家との交流もあり、いわゆる「山岳小説家」の代表とされる。
しかし、新田自身はそう呼ばれることを大変嫌っていた。
むしろ歴史小説である『武田信玄』を最も気に入っており、続編である『武田勝頼』、さらには続々編『大久保長安』を執筆するほどの入れ込みようであったが、その執筆中に亡くなった。
夫人のていも自分の健康を顧みないほどの執筆態度をかなり心配していたが、不幸にも予感が的中した事になる。
またNHK大河ドラマで映像化される事を熱望していたが、生前には実現を見る事ができなかった。
彼の作品は山岳小説をはじめとする「夢と挑戦」をコンセプトにしているが、題材として、歴史上の人物や科学者や技術者、また強い意志で道を切り開いた人物を描いた人物伝・公害やリゾート開発などに伴う問題を取り上げた作品・海外での経験を生かした作品・科学者としての作品などを多彩にとった。
ビーナスラインと旧御射山遺跡に関して『霧の子孫たち』(旧制諏訪中学の一級先輩で考古学者の藤森栄一がモデル)に反対を示したことは、自然保護運動を盛り上げさせる契機となった。
新田の急逝後には、スイス・ユングフラウ地方の自然を愛し何度も訪れていた思いを受け、アイガー、メンヒ、ユングフラウ三山を望むクライネ・シャイデック駅の裏手の丘に、墓碑(記念碑)が作られた。
諏訪市図書館の2階には、新田次郎記念室というコーナーが設けられており、取材で山に登った時の遺品や、本人や家族の著作や蔵書が常設展示されている。
生前の書斎も再現されている。 また「お天気博士」として親しまれた、おじの藤原咲平記念室も併設されており、蔵書を中心に胸像・遺品・墨蹟などが常設展示されている。
映像化作品は以下の通り:
映画:
- 「白い夏」 - 1957年、日活、斎藤武市監督
- 「ふるさとの風」 - 1959年、松竹大船、原研吉監督 (「ひとり旅」の映画化)
- 「海流」 - 1959年、松竹大船、堀内真直監督
- 「風の中の瞳」 - 1959年、松竹大船、川頭義郎監督
- 「富士山頂」 - 1970年、日活、村野鐵太郎監督
![富士山頂 (1970) | 100石原裕次郎.com](https://i0.wp.com/100yujiroishihara.com/wp-content/uploads/2021/10/fujisanchou.jpg?fit=600%2C337&ssl=1)
- 「八甲田山」 - 1977年、東宝、森谷司郎監督
- 「アラスカ物語」 - 1977年、東宝、堀川弘通監督
- 「聖職の碑」 - 1978年、東宝、森谷司郎監督
- 「劒岳 点の記」 - 2009年、東映、木村大作監督
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- 「ある町の高い煙突」 - 2019年、松村克弥監督
テレビドラマ:
- 「つぶやき岩の秘密」 1973年 NHK少年ドラマシリーズ
- 「八甲田山」1978年 TBSドラマ
- 「武田信玄」 1988年 NHK大河ドラマ
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- 「芙蓉の人〜富士山頂の妻」 2014年 NHK土曜ドラマ
これから、原作の映像化作品をできる限り多くレビューして行きます。
ご期待ください。