ハリウッド・スリラー映画 第25位「タイタニック」 ジェームズ・キャメロン監督の大ヒット作! | 人生・嵐も晴れもあり!

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「タイタニック 」

(原題: Titanic

 

カットも納得!?『タイタニック』のもう一つのエンディングが話題

 

「タイタニック 」 予告編

 

1997年12月19日公開。

ディカプリオの代表作となった大ヒット作。

巨匠・ジェームズ・キャメロン監督作品。

世界興行収入:21億9500万ドル(累計)。

 

監督・脚本:ジェームズ・キャメロン

音楽:ジェームズ・ホーナー

主題歌:セリーヌ・ディオン「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」

出演者:

レオナルド・ディカプリオ 、 ケイト・ウィンスレット 、 ビリー・ゼイン 、 キャシー・ベイツ 、 フランシス・フィッシャー 、 ビル・パクストン 、 バーナード・ヒル 、 ジョナサン・ハイド 、 ヴィクター・ガーバー、 デビッド・ワーナー

 

タイタニック |映画/ブルーレイ・DVD・デジタル配信|20世紀スタジオ公式

 

あらすじ:

現代。

1500人の乗客とともに北大西洋3773メートルの深海に眠るタイタニック号の引き上げ作業が行われていた。

作業を指揮しているのは行方不明となった宝石「碧洋のハート」を発見し、一攫千金を狙うラベット(ビル・パクストン)。

船内の金庫から見つかったのは、若い女性を描いた一枚の絵だけだった。

その女性が裸の胸につけていたのが「碧洋のハート」。

この模様をテレビで見た100歳の女性ローズ・カルバート(グロリア・スチュアート)が孫娘のリジー(スージー・エイミス)と共にラベットに会いに来る。

彼女はタイタニック号事故の生存者で、問題の絵のモデルだという。

悲劇の航海の模様が、ローズの口から語られていく。

1912年。

イギリスのサウサンプトン港から処女航海に出ようとするタイタニック号に、賭けで勝ってチケットを手に入れて三等に乗り込んだ画家志望の青年ジャック(レオナルド・ディカプリオ)がいた。

17歳のローズ(ケイト・ウィンスレット)は上流階級のアメリカ人で、大資産家で婚約者のキャル(ビリー・ゼーン)、ローズの結婚を強引に決めた母親ルース(フランシス・フィッシャー)、コロラドの富豪夫人モリー・ブラウン(キャシー・ベイツ)と一緒に一等船室に乗る。

ローズが愛の無い結婚と上流社会の退屈な生活を憂いて、船の舳先から飛び降りようとしたのを助けたのがジャックだった。

ジャックはローズの家族から食事の招待を受け、上流階級の生活を垣間見る。同時に二人は激しい恋に落ちた。

4月14日、ローズは家族から逃れてジャックと二人だけで過ごし、ジャックはローズをモデルにデッサン画を描く。

その後、キャルが差し向けた追手から逃れながら、船の中で二人は結ばれた。

ローズの心が自分から離れたのを知ったキャルは、ジャックに「碧洋のハート」を盗んだと濡れ衣を着せ、彼に手錠をかけて船室に閉じこめる。

深夜、船は氷山に船体を傷つけられ、停止する。

浸水が始まり、沈没が確実となり、救命ボートが降ろされるが、ボートは全乗客分はなかった。

女と子供が優先してボートに乗せられる。

しかし、ローズは船底のジャック救出を優先し、結局ジャックや多くの乗客、乗員とともに船に取り残される。

船は沈み多くの乗客が海に投げ出された。

ジャックとローズの二人は、船の残骸の木切れにつかまったまま冷たい海の中、救出を待つ。

しばらくして救助のためボートが戻ってきたが、既にジャックは凍死していた。

ローズは最後の力を振り絞り救助を求めた。

ルース、モリー、キャル、タイタニック号を建造したホワイト・スター・ライン社の社長・J・ブルース・イスメイ(ジョナサン・ハイド)は助かったが、船長のE・J・スミス(バーナード・ヒル)、設計者トーマス・アンドリュース(ヴィクター・ガーバー)らは海に消えた。

現代。

老いたローズはラベットには言わずに隠し持っていた「碧洋のハート」を海に沈める。

彼女の心はあの絢爛なタイタニックの船内に戻り、再会したジャックとローズを船員と乗客たちが祝福するのだった…。

 

製作費は当時最高の240億円! 『タイタニック』はいかに狂った映画だったか<前編>/2021年5月7日 - 写真 - クランクイン!

 

コメント:

 

この映画がなぜ大ヒットしたかについては後述する。

 

その前にまず、本作がなぜAFIによって、「スリルを感じる映画100」の第25位に選ばれたかである。

 

それはこのシーンだ:

 

 

 

この巨大な船が沈没して行く場面である。

 

なぜここまでリアルな映像を撮影できたのか?

 

それが「100日スタジオ」と呼ばれた奇跡の戦略だった。

 

監督をつとめたキャメロンは、実物大のタイタニック号だけでなく、それを収容するスタジオも一緒に作ることを思いついたという。

 

 

本作は、1997年12月19日に公開され、批評家や商業的に大きな成功を収め、後に多くの称賛を受けた。

アカデミー賞では14部門にノミネートされ、『イヴの総て』(1950年)と並ぶ最多ノミネート作品となり、作品賞と監督賞を含む11部門を受賞し、『ベン・ハー』(1959年)と並ぶ単一作品での最多受賞作品となった。

 

全世界での初動興行収入は18億4,000万ドルを超え、10億ドルの大台に乗った最初の映画となった。

2010年にキャメロンが監督した『アバター』がこれを超えるまで、史上最高の興行収入を記録した。

 

そして、沈没100周年を記念して2012年4月4日に公開された3D版『タイタニック』は、全世界でさらに3億4360万ドルを稼ぎ出し、映画の世界累計興行収入は21億9500万ドルに達し、「アバター」に続く2番目の映画となった。

 

この映画がなぜここまでの大ヒットになったのか。

 

要因はいくつもある。

 

まず、実話に基づく映画ではあるが、単なる実話ベースのパニックムービーではないということだ。

また、男女のベタなメロドラマでもない。

一介の貧しい庶民のジャックという青年と、富裕階級のお嬢様・ローズとの階級間のギャップが明確に描かれており、そのために浮かび上がる愛し合う二人の悲哀がキッチリと描きこまれているからだ。

 

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ジャックを演じたディカプリオと、ローズを演じたケイト・ウィンスレットの素顔と熱演も重要な要素だ。

特に、ジャックに扮した美青年・ディカプリオのイケメン振り、声、そして演技の全ては、観る者を魅了した。

当時、ディカプリオは23歳だった。

 

SNSのアイコンに使えるレオ様の美麗写真 | Young leonardo dicaprio, Leonardo dicaprio, Leonardo  dicapro

 

セリーヌ・ディオンが情感タップリに歌い上げたテーマ曲「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」。

この曲も大ヒット。

1997年のアカデミー歌曲賞を受賞、グラミー賞では最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀女性ポップ歌手、Best Song Written Specifically for a Motion Picture or Televisionを総なめにした。

1998年のゴールデングローブ賞も受賞している。

ほかにも、ビルボード・ミュージック・アワード ザ・サウンドトラック・シングル・オブ・ザ・イヤー、超大作エンターテイメント賞 for the Favourite Song from a Movie、ビルボード・ラテン・アワード for the First English-language Song to Top Billboard's Hot Latin Tracks Chart、第40回日本レコード大賞特別賞、日本ゴールドディスク大賞ソング・オブ・ザ・イヤーを受賞、2006年にはThe Hits' 50 Greatest Love Songs 第3位になった。

 



映画のヒットは、監督・脚本を担当したジェームス・キャメロンの力が大きい。

秀逸な脚本・演出に加えて、最新CGを駆使したことにより、これまでとは異なるスペクタクルなエンタメムービーを創り出すことに成功しているのだ。

この監督は、米国を代表する映画監督で、代表作は、本作のみならず、『ターミネーター』シリーズ、『エイリアン2』、『アバター』と、世界的大ヒット作品が目白押しの、映画界屈指の成功者だ。

 

ジェームズ・キャメロン - 映画.com

 

キャメロン監督は、難破船に魅了されたことからこの映画のインスピレーションを得たといわれている。

彼は、災害の感情的なインパクトを伝えるためには、人間の喪失感を織り交ぜたラブ・ストーリーが不可欠だと考えたという。

製作は1995年に開始され、キャメロンは実際に沈没したタイタニック号の映像を撮影した。

調査船での現代的なシーンは、キャメロンが沈没船の撮影時に拠点としていたアカデミク・ムスティスラフ・ケルディッシュで撮影された。

沈没事故の再現には、スケールモデルやCG、バハスタジオで製作されたタイタニック号の復元模型などが使用された。パラマウント・ピクチャーズと20世紀フォックスが共同で出資し、パラマウント・ピクチャーズが北米で、20世紀フォックスがその他の地域で配給した。製作費は2億ドルと、当時の映画界で最も高額な作品となった。

こんな多額の製作費用がよく認められたものだ。

 

 

 

この映画制作で、一番苦労したのは、タイタニック号のヴィジュアルの再現だったという。

 

全長269.1メートル、全幅28.2メートル、高さ53メートルという巨大な豪華客船。

これを、現代によみがえらせるために、一体どんな方法が使われたのか?

 

映画『タイタニック』

映画『タイタニック』

 

20世紀フォックスが『タイタニック』の製作に正式なゴーサインを出したのは1996年の5月だが、その時点では映画の公開日は翌年の7月に予定されていた。

 

つまり、1年ちょっとでこの超大作映画を完成させなければならないのだ。

 

その時の心境を後にジェームズ・キャメロン監督は「せめてあと2カ月早くゴーサインが欲しかった」と語っているが、とにかく大急ぎで準備を開始した。

 

まず、「どうすれば最も効率良くスケジュール内に撮影できるか?」を検討するために、全長7.6メートルのミニチュアを作り、キャメロン自ら小型のビデオカメラを持って色んな角度から撮影しまくった。

 

キャメロン監督は、いつも撮影の前にはそうやって全てのショットのイメージを完璧に固め、シナリオに従って”ビデオマティック”を作り、最も効率のいい撮影方法を選んでいるという(今でいうプリヴィズ方式)。

しかし、そんなキャメロン監督でも、さすがに『タイタニック』の時は頭を悩ませたらしい。

 

1993年に『ジュラシック・パーク』が公開されて以来、猛烈な勢いで映画にCGが使われ出したのだが、キャメロンは「タイタニック号を完璧な形で再現するには、まだCG技術が不足している」と考えていた(「CGを使わない」という意味ではないが)。

 

そうなると、「船体の一部分だけを本物そっくりに作って役者の演技を撮影し、ワイドショットではミニチュアを使う」という昔ながらの方法になるわけだが、「船の細部までキッチリ描こうとした場合、どうしても限界がある」と気に入らない様子だった。

ならば、本物の大きな船の上にセットを組んだらどうだろう?キャメロン監督は、大西洋と太平洋の間の運河輸送に使われている全長250メートルの巨大なコンテナ船を、タイタニック号に見立てる案を思い付いた。

 

コンテナ船の平らな表面にタイタニック号のセットを作り、側面にはニセの船体の覆いを吊り下げ、さらに突き出しデッキを設けて照明やカメラ機材のスペースを確保する。

こうすれば、実際に海を航行しながら撮影することが可能なのだ。

ただ、たしかにリアルな画は撮れそうですが、残念ながらこの方法では最後にタイタニック号が沈んでいくシーンを撮れない。

そこでキャメロン監督は考えた。「いっそのこと本物のタイタニック号を作ってしまおうか…」と。

 

この時、キャメロンは「実物大のタイタニック号を丸ごと作り、それを海に浮かべて撮影し、最後に大西洋に沈めてしまえばクライマックスの沈没シーンまで全部映像に収めることが出来る」と本気で考えていたそうだ。

 

そのため、専門家に建造費を計算させたところ、2500万ドルという数字がはじき出されました。約28億円という大金ですが、『タイタニック』の最終的な製作費は2億ドル(約220億円)なので、決して実現不可能な金額ではない。

しかし「完成まで2年半かかる」と言われたキャメロンは「公開日に間に合わない…」としぶしぶ諦めたらしい(時間があれば作ってたのかも)。

 

映画『タイタニック』

映画『タイタニック』

 

次に監督は「実物大のタイタニック号を半分だけ作る方法」を思い付いた。

船の右舷側だけを実際の大きさで作り、それを海の近くに設置して陸地から撮影すれば、大海原をバックにタイタニック号の全景が撮れるし、船の上での撮影もやり易い。

 

このアイデアを聞いたプロデューサーは「そんなデカいセットを組めるスタジオなんかあるわけないだろ!」とビックリ仰天。

しかしジェームズ・キャメロンは少しも怯まず、「無いなら作ればいいじゃないか!」と言い放ち、さらにプロデューサーを驚愕させた。

 

なんとキャメロンは実物大のタイタニック号だけでなく、それを収容するスタジオも一緒に作ることを提案したのである。

まあ、『アビス』を撮る時も破棄された原子力発電所を買い取って「水中撮影できる環境」をわざわざ作っていたので、こういう発想も監督にとっては当たり前なのかもしれない。

 

しかし会社側にしてみれば、一つの映画を作るために新たにスタジオを建設するなど前代未聞です。案の定、「いくら何でも無茶だろ…」という雰囲気が漂っていた。

 

ところが社内で詳しく検討した結果、「国境に近いメキシコの海岸にスタジオとセットを建設すればアメリカよりも低コストで済むし、一つの場所にまとめることで船とステージを簡単に往復できる」「その上、気象条件やスケジュールの変更による中断も最小限に抑えられ、撮影が終わっても会社の資産として残せる等、長期的に見れば安上がりだ」という結論に達したのである。

 

映画『タイタニック』

映画『タイタニック』

 

こうして、20世紀フォックスはメキシコのロサリトに40エーカー(東京ドーム3.5個分)の土地を購入し、実物大タイタニック号を作るための新スタジオの建設に着手した(総工費は2000万ドル)。

 

しかし、この時点ですでに1996年の5月末になっており、来年7月の公開予定日まで1年ちょっとしかない。

常識的に考えて、「今からスタジオを作ってて間に合うのか?」と思わざるを得ないが(まあ結局は間に合わなかったが)、当時のキャメロンは「何が何でも間に合わせる!」と考えていたらしく、なんと着工からわずか100日後にスタジオが完成!

もの凄い突貫工事だ。

このことから「100日スタジオ」と名付けられたという。

 

ただし、大急ぎで作らなければならないので、現場には毎日2000人近くの建設業者や重機の運転手たちなど様々な工事関係者が押し寄せ、1日で450~500メートル分のセメントを消費し、巨大なセットを収容する穴を掘るために1万トンものダイナマイトが使われた。

 

それでも、セットが完全に出来上がるまで待っていたら間に合わないので、「スタジオを作りながら同時進行で撮影する」というメチャクチャ慌ただしい状況に!塗ったペンキがまだ乾かないうちから撮影しようとしたため、出演者たちは衣装にペンキが付かないかヒヤヒヤしたそうだ。

 

映画『タイタニック』

映画『タイタニック』

 

最終的にタイタニック号のセットは建設期間の短縮&コスト削減のために、本物よりも10%縮小することになった。

ただ、多少小さくなったとは言ってもフットボール場二つ分に匹敵する大きさ(全長238メートル)があり、最後はセット全体を傾斜させて水に沈めるというとてつもない撮影が待ち構えているわけだから、工事担当者の苦労は計り知れない。

 

ちなみに24エーカーの巨大なタンクの中に作られたタイタニック号のセットは、6400万リットルの海水を流し込むことで海上に浮かんでいるように見せているが、実際は水深が90センチ程度しかなく、スタッフは水につかりながら撮影していたそうだ(スタントマンが飛び込む場所だけ6メートルの深さがあった)。

 

なお、これだけ立派なセットが出来たら「どんなシーンでも撮れるだろう」と思うかもしれない。

しかし実物大のタイタニック号は右舷側しか作られていないため、カメラアングルに制限があったのだ(あまりカメラを大きく動かすとバレてしまう)。

そこで、全体を撮る時はミニチュアが使われた。

 

映画『タイタニック』

映画『タイタニック』

 

例えば、タイタニック号の船首に立ったジャック(レオナルド・ディカプリオ)が「世界は俺のものだ!(I'm the king of the world!)」と叫び、カメラがグーッと引いて船の全体を映す有名なシーンでは、本物の役者とミニチュアのタイタニック号を一つの画面に合成している(別々に撮影した映像の動きを完璧に合わせるためにモーション・コントロール・カメラが使用された)。

 

このミニチュアは全長44フィート(約13メートル)あり、細部に至るまで本物そっくりに作り込まれ、数万本におよぶリベットを全て手作業で取り付けるなど、完成まで5ヶ月以上が費やされたそうだ(他にも20分の1スケールや6分の1スケールなど、シーンに合わせて様々なサイズのミニチュアが作られた)。

 

さらにクライマックスの「真っ二つに裂けるタイタニック号」を撮影するために、実物大の船尾のセットを制作。船尾だけとは言え、長さが90フィート(約27メートル)もありますから撮影も大変だ。

 

このセットは沈没していく過程に合わせて角度を自由に変化(6~90度)させることが可能で、最終的には直立状態になった船尾から次々と乗客が落下していくシーンを撮影した。

それがこのシーン:

 

映画『タイタニック』

 

こんな苦労を経て、この作品は完成したのだ。

 

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