「底抜け大学教授」
(原題:The Nutty Professor)
1963年6月4日公開。
名コメディアン・ジェリー・ルイスの大ヒットコメディ。
興行収入:19百万米ドル。
脚本:ジェリー・ルイス、ビル・リッチモンド
監督:ジェリー・ルイス
キャスト:
ケルプ教授:ジェリー・ルイス
ステラ:ステラ・スティーヴンス
あらすじ:
ケルプ教授(ジェリー・ルイス)は化学の虫で、頭は強いが腕力はからっきし。
あんまり学生にナメられるのを気の毒に思った女子学生のステラ(ステラ・スティーヴンス)の勧めでボディ・ビルを始めるが、効果はサッパリだ。
そこで今度は生物学教室の文献をあさり、あるクスリを発明して飲んでみると、たちまちたくましい男に変容する。
学生集会所へ出かけても誰も教授とは気がつかず、ワーシェフスキーら蹴球の猛者連中を尻目にかけて、ステラとダンスに興じた。
たちまちケルプは“バディ・ラブ”と呼ばれて、学生連中のリーダーとなる。
だが、このクスリの効目がきれると、たちまちもとの弱虫教授に逆戻りするから油断できない。
かくて昼はケルプ教授、夜はバディ・ラブという生活が続く。
ステラは教授に同情をよせつつ、バディ・ラブにも妙に心をひかれる。
大学名物のダンス・パーティ・バディ・ラブとしてバンドの指揮をとり、拍手喝采を浴びたのはよかったが、突然、“教授”が戻ってきた。
もう言い逃れはできず。ケルプはステラに事実を打ち明けた。
「教授になるかバディ・ラブになるかを自分で決めるのよ」とステラは言ったが、彼女の希望が、彼の教え子として学問をすること、そして彼の妻になること、と分かれば、それで万事は解決した。
ところで、久しぶりにケルプの両親が大学へ訪ねてきた時、昔と正反対に父が威張って、母がいうなりになっていた。ケルプが、そのクスリをひそかに両親に送っていたのである。
コメント:
ロバート・ルイス・スティーヴンソンの小説『ジキル博士とハイド氏』をモチーフに、ジェリー・ルイスが映画化。
ルイスは監督、脚本、主演と1人3役をこなしている。
ジェリー・ルイス28本目の作品で、ディーン・マーチンとのコンビを解消してからは12本目の作品である。
原題の「The Nutty Professor」とは、「イカレタ教授」という意味。
日本語タイトル「底抜け大学教授」は、ぴったりのネーミングだ。
この作品は、人気コメディアンのジェリー・ルイスの代表作で、本作を皮切りにシリーズ化された。
ジェリー・ルイスは、アメリカ合衆国の喜劇人、俳優、映画プロデューサー、脚本家、映画監督。
スラップスティックなユーモアが持ち味で一時代を築く。
筋ジストロフィー患者支援のために創設したテレソンチャリティ基金「レイバー・デイ・テレソン」は、日本の24時間テレビ 「愛は地球を救う」のモデルにもなった。
この人は、ニュージャージー州ニューアーク出身。
両親はロシア系ユダヤ人。
父親がヴォードヴィル芸人だったため、5歳から舞台に立つ。
1946年にディーン・マーティンと「底抜けコンビ」を結成。
人気ナイトクラブでの活動に加え、パラマウント映画製作によるコメディ映画の人気シリーズに出演する。
コンビは結成10年後に解散した。
本作は、1996年にエディ・マーフィ主演で『ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合』としてリメイクされた(原題はともに『The Nutty Professor』である)。
ジェリー・ルイスは、筋ジストロフィー患者の社会参加と治療費捻出、ならびに筋ジストロフィー協会の活動の啓蒙を念頭において1966年から「レイバー・デイ・テレソン」と題したチャリティーコンサートを開催し、全米にテレビ中継。
2010年まで45年間担当した。
晩年はネバダ州南部ラスベガスに在住、2017年8月20日に死去した。
91歳没。
ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに2つの星をもっている。
代表作は以下の通り:
『底抜け慰問屋行ったり来たり』
『底抜け大学教授』
『おかしなおかしなおかしな世界』
『キング・オブ・コメディ』
『ファニー・ボーン/骨まで笑って』
『底抜け大学教授』シリーズ
主な受賞歴は以下の通り:
- 1998年 - アメリカン・コメディ賞特別功労賞
- 1999年 - ヴェネツィア国際映画祭功労金獅子賞
- 2005年 - ドイツ「金のカメラ賞」特別功労賞
- 2004年 - ロサンゼルス映画批評家協会賞特別功労賞
- 2004年 - ロサンゼルス映画批評家協会賞特別功労賞
- 2009年 - 第81回アカデミー賞特別賞(ジーン・ハーショルト友愛賞)
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