「メイム叔母さん」
(原題:Auntie Mame)
1958年12月27日公開。
ブロードウェイのヒット作を映画化。
興行収入:32.6百万米ドル。
受賞歴:
ゴールデングローブ賞 作品賞 (ミュージカル・コメディ部門
ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門):ロザリンド・ラッセル
脚本:ベティ・コムデン、アドルフ・グリーン
監督:モートン・ダコスタ
キャスト:
- メイム・デニス:ロザリンド・ラッセル
- ボールガード・ジャクソン・ピケット・バーンサイド:フォレスト・タッカー
- ヴェラ・チャールズ:コーラル・ブラウン
- パトリック:ロジャー・スミス
- バブロック:フレッド・クラーク
あらすじ:
10歳の孤児パトリックは、父の遺言で婦人家庭教師ノラと一緒に、たった1人の身内であるメイム叔母さん(ロザリンド・ラッセル)の邸を訪ねた。
享楽家のメイム叔母さんはカクテル・パーティをやっていた。
そこへパトリックの法定後見人であるバブロック(フレッド・クラーク)がきた。
バブロックは、パトリックの教育のことで、メイム叔母さんと論争、数カ月後には彼女の手許からパトリックを奪い、コネチカットの田舎町にある学校に押し込めた。
1929年に起った株の大暴落は、メイム叔母さんの財産を奪った。
だが陽気な彼女はそんなことにおかまいなく、いろんなアルバイトをはじめた。
しかしそれもことごとく失敗した。
とどのつまり、彼女は大売り出し中のデパートの売子となり、そこで南部出の紳士ボウレガード(フォレスト・タッカー)と知り合った。
しかし勘定書の書き方も知らぬためここもクビ。
クリスマス・イヴの日、メイム伯母さんを慰めにやって来たのはボウレガードだった。
彼は彼女を南部の町に招待した。
やがて2人の間は恋愛に発展し、結婚にゴールインした。
しかしその幸福も長くは続かなかった。
ボウレガードはアルプスの高峰マッターホルンから墜落死してしまった。
今は大学生に成人したパトリック(ロジャー・スミス)は、メイム伯母さんに、秘書と文士を雇って波瀾に富んだ自叙伝を書かせることにした。
パトリックにはグローリアという女友達があったが、彼女の両親はメイム伯母さんの無軌道な奔放ぶりが気に入らなかった。
彼は、伯母さんの新しい秘書ペギーンの方がグローリアよりも好きになっていた。
年月が流れ、パトリックには妻のペギーンと、10歳になる息子マイケルができていた。
マイケルはインド行きの夢を見たが、両親に反対され、メイム伯母さんを訪ねた。
彼女は小さなマイケルに、かつてのパトリック同様新しい人生のコースを教えた。
コメント:
1956年ニューヨークで初演されたパトリック・デニスの小説『メイム叔母さん』の映画化作品である。
日本では1959年に若草文庫、1974年に角川文庫で刊行。
ニューヨーク初演に引き続いてモートン・ダコスタが演出・監督、ロザリンド・ラッセルが主演した。
1966年にはアンジェラ・ランズベリー主演でミュージカル化されている。
1974年の映画版ではルシル・ボールが主演した。
主役を演じたロザリンド・ラッセルは自身で、メイム叔母さんの役を発案し、1957 年のトニー賞演劇主演女優賞にノミネートされた。
とにかく、ロザリンド・ラッセルというめちゃくちゃ元気で美人の女優が、存在感をスクリーンいっぱいに誇示している元気の出る作品だ。
モーション・ピクチャー・ヘラルドのレビューでは「この映画はヒロインのメイムが住むビークマン・プレイス・アパートの装飾の変化を通じて時間とプロットの進行を確立するユニークな手段を提供した」と評価した。
ロサンゼルス・エグザミナー誌(1958年6月)の批評では、中国風、1920年代モダン、作家サマセット・モームの妻にちなんで名付けられたフランス風「シリー・モーム」、イギリス風、デンマーク風モダン、東インド風という6つの異なるスタイルを挙げている。
この映画は、アカデミー賞美術監督賞にノミネートされた(美術監督:マルコム・バート、舞台装飾:ジョージ・ジェームズ・ホプキンス)。
セットと調和したヒロインの衣装を含む映画の衣装デザインは、多くの映画でロザリンド・ラッセルと協力したオーリー・ケリーによって提供された。
ニューヨーク・タイムズ紙は、「ヒロインのアパートの豪華な装飾は、彼女の派手な衣装と同じくらい頻繁に変更されており、そのすべてが色も改良されたワイドスクリーン上でもまばゆいばかりである。」と述べた。
ロザリンド・ラッセルは、階段を駆け下りるシーンの最初のテイクで足首を骨折した。
そのため、撮影は彼女が回復するまで延期された。
ロザリンド・ラッセルはその演技で広く賞賛を集めた。
1930 年代から 1940 年代にかけて長らくトップレベルの映画スターであったラッセルは、中年期に入るにつれてハリウッドでのキャリアが減少していた。
メイム・デニスの役は、彼女にとって魅力的であり、鋭いコメディの才能を披露する機会を与え、彼女が依然として考慮すべき重要な役者であることを世界に思い出させたのだった。
この劇の成功で彼女はブロードウェイに乾杯し、この映画のヒットにより彼女は 10 年以上ぶりにオスカー主演女優賞にノミネートされた。
本作は、興行的にも大成功した。
1958年のハリウッド映画で2番目に興行収入の多い作品となり、880万ドルの純利益を上げた 。
作中の「Life is a banquet, and most poor suckers are starving to death!(「人生とは宴であり、大多数の貧しい人々が死ぬほど飢えている!」)」と言う台詞は、AFIが選出したアメリカ映画の名セリフベスト100において、93位にランクインしている。
この映画は、残念ながら動画配信、レンタル、劇場上映の記録がゼロであった。
将来どこかのサイトで配信されることを祈るのみ。
英語版はAmazon Primeサイトで動画配信可能かも知れない:
https://www.amazon.com/Auntie-Mame-Rosalind-Russell/dp/B000LJ5604